身体を巡る省察2 身体の戦略 2019/02/09 by Ω No comments 高橋一行 身体について考えようと思い、参考にすべき資料を探すと、実に夥しく存在することが分かる。20世紀は言語の哲学の時代だったから、その反動として、20世紀後半には身体に関心が集 Continue reading →
身体を巡る省察(1) 心の暴走を抑える身体 2019/01/01 by Ω No comments 高橋一行 今までカントやヘーゲルに即して論じて来た問題を、今度は精神の病の現状に即して、数回論じたい。分量は短いが、「病の精神哲学」の本論となる。 第1回目は、与那覇潤『知性は死なない - 平成の鬱を超 Continue reading →
病の精神哲学 補論1 魂はどこにあるのか 2018/12/16 by 高橋一行 No comments 高橋一行 魂(Seele)はどこにあるのか。すでに本稿第2回において、カントが心(Gemüt)の病に対して、異常なまでに固執していることを指摘したが(注1)、そもそもその魂はどこにあり、どのようにして存在 Continue reading →
カトリーヌ・ポッジ――ポール・ヴァレリーの非対称な鏡像 2018/10/15 by 永倉千夏子 No comments 永倉千夏子 <位置づけ> 思想と生涯とは、本来切りはなして考えるべきものかもしれない。たとえば、およそ個人史というものを否定したヴァレリーなら、そう考えるか、むしろ後者を削 Continue reading →
病の精神哲学11 精神の出現の偶然性とその絶滅の必然性について 2018/09/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 10より続く 思弁的実在論または新実在論が提起した問題は、カントの物自体をどう解釈するかという問題である。それに対して、まずヘーゲルの解釈があり、そしてさらに近年の研究では、カント Continue reading →
戦後の他者 2018/08/15 by 石川 求 No comments 石川 求 「戦後」という言葉がなぜ日本では、そしてこの国だけにおいては、こんなにも人口に膾炙するのか。日本を除く東アジアでは、「戦後」って、どのヽヽ戦争の後のことなのですか、というような反応こそが一般であ Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →
病の精神哲学9 現代哲学は人間の絶滅を思考し得るか 2018/06/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 8より続く まだしばらくは思弁的実在論、または新実在論にこだわる。前回までに、Q. メイヤスー、G. ハンマー、R. ブラシエ、I. H. グラント、M. ガブリエル、M. フェラーリス、S. Continue reading →
病の精神哲学8 新実在論はどこまで評価できるか 2018/05/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 7より続く 思弁的実在論、または新実在論について、Q. メイヤスーとM. ガブリエルを取り挙げて書いて来た。メイヤスーについては、一通り彼の問題意識を整理したと思うのだが、ガブリエルについてはその説明はまっ Continue reading →
病の精神哲学 7 - カントの目的論 – 2018/04/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 6より続く 再度、目的論と実在論の関係について書く。まず目的論とは、自然や歴史の諸事象は目的によって規定されているという見方を指す。そ Continue reading →