病の精神哲学 補論1 魂はどこにあるのか 2018/12/16 by 高橋一行 No comments 高橋一行 魂(Seele)はどこにあるのか。すでに本稿第2回において、カントが心(Gemüt)の病に対して、異常なまでに固執していることを指摘したが(注1)、そもそもその魂はどこにあり、どのようにして存在 Continue reading →
病の精神哲学11 精神の出現の偶然性とその絶滅の必然性について 2018/09/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 10より続く 思弁的実在論または新実在論が提起した問題は、カントの物自体をどう解釈するかという問題である。それに対して、まずヘーゲルの解釈があり、そしてさらに近年の研究では、カント Continue reading →
病の精神哲学9 現代哲学は人間の絶滅を思考し得るか 2018/06/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 8より続く まだしばらくは思弁的実在論、または新実在論にこだわる。前回までに、Q. メイヤスー、G. ハンマー、R. ブラシエ、I. H. グラント、M. ガブリエル、M. フェラーリス、S. Continue reading →
病の精神哲学8 新実在論はどこまで評価できるか 2018/05/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 7より続く 思弁的実在論、または新実在論について、Q. メイヤスーとM. ガブリエルを取り挙げて書いて来た。メイヤスーについては、一通り彼の問題意識を整理したと思うのだが、ガブリエルについてはその説明はまっ Continue reading →
病の精神哲学4 カントとヘーゲル 2018/02/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 3より続く 本稿を3回分書いて来たが、ここで短いまとめを提出する。次回以降、さらにテーマを広げて行く予定だ。 柄谷行人は、カントの物 Continue reading →
病の精神哲学3 カントの構想力論 2018/01/01 by 高橋一行 No comments 高橋一行 2より続く カントはいくつかの著作で構想力に言及している(注1)。私はここで、『純粋理性批判』(以下、第一批判)、『人間学』と『判断力批 Continue reading →
病の精神哲学2 カントの「心の病」論 2017/12/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 1より続く カントは48歳(1772年)から晩年まで途切れることなく、「人間学」の講義をしている。そして74歳(1798年)になってから、その講義をまとめた『実用的見地から見た人間学』(以下『人 Continue reading →
病の精神哲学1 ヘーゲルの構想力論 2017/11/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 すでに前著『所有しないということ』の最終章において、私自身の精神哲学と自然哲学を書きたいと言い、それは「偶然の自然哲学」と「病の精神哲学」という題になるだろうということを示しておいた。いよいよ Continue reading →