資本主義の終わりを思い描く ―加速主義について(社会学篇)― 2019/10/05 by Ω No comments 高橋一行 「政治篇」、「経済篇」、「哲学篇」と続けて来て、今回は最後に補足として「社会学篇」を書く。 大澤真幸は社会学者のルーマンと先に取り Continue reading →
資本主義を越える原理とは何か -加速主義について(哲学篇)- 2019/09/18 by Ω No comments 高橋一行 資本主義を何とか超えて次の社会に進みたいと思っても、これは越えられないのではないかという思いがある。加速主義とはその思いそのものを声高に叫ぶだけの主義主張で Continue reading →
資本主義の次に何が来るか - 加速主義について(経済篇) - 2019/09/04 by Ω No comments 高橋一行 前回分において、加速主義については右派であれ左派であれ、そこにニヒリズムがあると私は言ったのだが、しかし同時に彼らには資本主義を加速すれば何とかなるのだとい Continue reading →
資本主義は越えられないのか – 加速主義について(政治篇)- 2019/08/24 by Ω No comments 高橋一行 「資本主義の終わりを想像するよりも世界の終わりを想像する方がたやすい」(ジェイムソンp.13)という文言は、加速主義について語られるときに誰もが使うものであ Continue reading →
移動の時代3 -移民の哲学- 2019/06/14 by Ω No comments 高橋一行 柄谷利恵子『移動と生存』を読解することから始めよう。現代は移動の時代である。2016年の本の冒頭部分で彼女はそう書く。2015年のデータで、移動先で居住、就 Continue reading →
移動の時代2 - マルチチュード論 – 2019/06/03 by Ω No comments 高橋一行 前章で、東浩紀が観光客の哲学を、カントとヘーゲルを読解し、アーレントなど現代思想を取り挙げることで正当化して来たことを見た。その上で、今度は東は、A. ネグリとM. ハー Continue reading →
移動の時代1 – 東浩紀『観光客の哲学』論 – 2019/05/24 by Ω No comments 高橋一行 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』を参照し、その批判をしつつ、拙論を述べる。3回程度連載の予定である。 この本は題名の通り、観光客 Continue reading →
身体を巡る省察5 病理が教えること 2019/04/16 by Ω No comments 高橋一行 メルロ=ポンティの初期の大作『行動の構造』(1942年)と『知覚の現象学』(1945年)にシュナイダーという男の症例が出て来る。それもひとつのエピソードとして取り挙げられ Continue reading →
身体を巡る省察4 自閉症の「硬さ」について 2019/03/20 by Ω No comments 高橋一行 ここで自閉症という言葉を、アスペルガー症候群を含み、広い意味で使う。それは正確には自閉症スペクトラムと言うべきものを指している。一般的には知的障害を伴うことが多いのだが、 Continue reading →
身体を巡る省察3 言葉と身体 2019/03/09 by Ω No comments 高橋一行 フロイトの取り挙げる神経症においては、精神の何かしらの困難が身体に現れる。例をふたつ挙げる。『ヒステリー研究』(1895)において、良く知られている症例、ルーシーとエリザ Continue reading →