好奇心から萌え出づる知の全方位 2025/05/20 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 1990年代、私は東京電機大学で講義しつつ、大手予備校の河合塾で小論文の講座を担当していた。池袋校、千葉校、立川校、大宮校など年々各校舎をめぐ Continue reading →
科学と非科学と擬似科学―パスカルの確率論を事例に 2025/05/15 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 昨今、様々なタスクを難なく支援するテキスト生成ツール、という触れ込みで一気にデジタル市場に出回ったChatGPTについて、1940年代末の生ま Continue reading →
記憶力・理解力・編集力のトリプルワーク 2025/05/08 by Ω No comments 石塚正英 一 コミュニケーションにおける〔頭がいい〕 物理学者にして文筆家の寺田寅彦(1878-1935)は、エッセー「科学者とあたま」において、次のように語って Continue reading →
滝寺不動と毘沙門堂 2025/05/03 by Ω No comments ――第19回くびきのフィールド見学会(頸城野郷土資料室主催)報告―― 石塚正英(見学会案内人) 民俗調査を目的として初めて私が滝寺不動と毘沙門堂(上越市大字滝寺)に出 Continue reading →
人はなぜ学問するか―数学者エヴァリスト・ガロアを事例に 2025/04/05 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 今から10年程以前になるが、『科学するこころを開くScience Window』(2015年冬号)という雑誌で特集記事「なぜ数学を学ぶの?」を Continue reading →
非ポリス的自由人アリスティッポスと非ソクラテス的思索者F. ベーコン 2025/03/22 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 紀元3世紀に、古代ギリシアの哲学者とその諸潮流に関する概説書『ギリシア哲学者列伝』を著したディオゲネス・ラエルティオスは、同書の冒頭でこう記し Continue reading →
量子力学は科学でなく技術である―パイディアの欠如 2025/03/10 by Ω No comments 石塚正英 はじめに―問題の所在 すでに好奇心の芽生えている人は別として、ある現象や出来事、物事にふと関心を抱いた人は、「なぜ」と質問されても、「ほんの気紛れさ」と Continue reading →
公共空間ドライブの印象―我孫子から香取まで(2024年11月28日) 2024/12/16 by Ω No comments 石塚正英 昨日(2024年11月28日)私は、公共空間XスタッフSさんの運転で、JR我孫子駅から香取神宮まで、ミニ旅行に出かけました。Sさん、Nさん、Wさん、そして私の4名で一 Continue reading →
パウロ・ルター・フォイエルバッハ―柴田隆行死去3年目によせて 2024/11/04 by Ω No comments 石塚正英 はじめに わが畏友の柴田隆行(1949-2021)は、勤務先の東洋大学で講座「社会文化思想史」を担当し、その講義概要(2000年度)に、次の文を記していた。 Continue reading →
量子力学という科学の非科学性―〔メソフィジカル・バース〕の提唱 2024/10/05 by Ω No comments 石塚正英 本格的な研究が開始し成果が認められてから100年あまり経過した研究分野、量子力学について話題にします。100年前のアインシュタインと同様、私は数年前からこの分野に強い Continue reading →