サントームとは何か 『他者の所有』補遺(8) 2016/09/22 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (7)より続く 「ジジェクのラカン像」を書き、「ラカンの鬱論」を書いた。今回、そのふたつのテーマが、「ラカンのサントーム論」で結び付く。 再度、内海健を引用しつつ、精神病型の鬱の Continue reading →
ラカンの鬱論 『他者の所有』補遺(7) 2016/06/30 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (6)より続く 「アガンベン論(1) – (5)」で、鬱を論じている。所有論の帰結として、喪失の病である鬱に言及し、またアガンベンの論を、「所有しないということ」を主張しているものだ Continue reading →
「ラカンを通じてヘーゲルを読み、ヘーゲルを通じてラカンを読む」『他者の所有』補遺(6) 2016/06/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (5)より続く ヘーゲル『法哲学』を読んで、ヘーゲルの所有論を探っている。するとその論理は、「論理学」の、肯定判断、否定判断、無限判断で言い表され、その最後の無限判断が最も所有の論理を言い当てて Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (3) 他者が所有する 2014/09/18 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (2)より続く 第3節は、新宮一成の『ラカンの精神分析』を主として分析する。その前に、すでに、私たちは、彼の、「所有の病理」という短い論文を取り挙げている。もう一度、それを見る。本稿そのものが、所有の病理に始 Continue reading →
ヘーゲルを読む 6-1 ラカンを弄ぶヘーゲル(ジジェク論1) 2014/09/06 by KIT 2 comments 高橋一行 5-3より続く 結論から書けば、ジジェクの功績は、ヘーゲルの「否定の否定」という論理を、無限判断論として解釈したことである。 「否定の否定」は、ヘーゲル「論理学」の第一部存在論で扱われる概念であ Continue reading →