身体の所有(10) 身体論の整理 2023/04/07 by Ω No comments 高橋一行 このシリーズの最終回である。身体について、理論の整理をしておく。 まずはヘーゲルの身体論において、他者の存在が重要な視点を与えるということを指摘 Continue reading →
デモクラシーの契機としての「精神的貴族主義」は可能か(一)-ヘーゲルの「ストア主義」論 2022/03/29 by Ω No comments 相馬千春 先に掲載した「リベラル・左派の何が問題か?」の(七)と(八)では、主に丸山真男によって「武士のエートス」とはどんなものかを見たのですが、それを通して逆に、近・現代の日本が Continue reading →
主体の論理(12) 実体としてだけでなく、主体としても 2022/01/13 by Ω No comments 高橋一行 「真なるものをただ単に実体として把握し、表現するだけでなく、主体としても把握し、表現する」という文言は、『精神現象学』の序言にある(p.16ff.)(注1)。S. ジジェ Continue reading →
主体の論理(7) 否定性から出現する主体(2) 2021/07/17 by Ω No comments 高橋一行 木元裕亮は、ネットに膨大な量のジジェク論を展開している(注1)。木元の論稿は、ジジェクの多岐に亘る論点を追っているが、その中で注目すべきは、ジジェクとハイデガーの関係 Continue reading →
主体の論理(6) 否定性から出現する主体(1) 2021/06/28 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの『真ん中の部屋 ヘーゲルから脳科学まで』の第2章は、フランスにおけるヘーゲル受容がテーマである。それは、ハイデガーによって開かれ、J. イポリット、A. Continue reading →
主体の論理 (1) フロイトの事後性について 2020/11/07 by Ω No comments 高橋一行 この古色蒼然たる題名は、しかしM. フーコーやJ. ラカンやJ. バトラーの理論が私たちの共通認識になったと思われる現在において、あらためて意義を持って来るのではないかとい Continue reading →
ジジェクのヘーゲル理解は本物か(3) 具体的普遍 2020/04/10 by Ω No comments 高橋一行 ジジェクのキーワードの一つは具体的普遍である。「ヘーゲルのとは何か」(以下、「具体的普遍とは何か」)という論文を見て行こう。 ジジェクはここで、ヘー Continue reading →
ジジェクのヘーゲル理解は本物か(2) 無限判断論 2020/03/22 by Ω No comments 高橋一行 無限判断論は、ジジェクのヘーゲル理解の要(かなめ)と言っても良い概念である。これは二千年の昔から哲学史上議論されているのだが、それを活用したのはカントである。そのカントの無 Continue reading →
ジジェクのヘーゲル理解は本物か(1) 闇と鬱 2020/03/07 by Ω No comments 高橋一行 S.ジジェクは、その単著の内30冊が邦訳されている。また共著やインタビュー集なども10冊の訳が出ている。未邦訳のものは単著で10冊以上、あちらこちらに寄稿しているものは一体 Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →