主体の論理 (2) 当事者研究とは何か

高橋一行

 
  「主体の論理」というテーマで話を続けたい。今回は補論に入れるべき事柄かもしれないと思う。
 
  当事者研究とは、2001年に北海道の浦河べてるの家で始まった、特定の一団体の活動を指す。べてるの家は精神障碍者の集まる施設だが、ソーシャルワーカーの向谷地生良によれば、次のようなきっかけがあったのだそうである。つまり、そこである統合失調症の男性が周囲に対してしばしば「爆発」する。周りに大きな迷惑を掛けるのである。そのことで本人が行き詰っているという感じになる。その本人に対して、自らの「爆発の研究」をしないかと向谷知が持ち掛けたことが当事者研究の由来であると言うのである。本人がどうして爆発が起きるのか、どうしたら良いのかということを研究して、その研究成果が公表されたのである。それは反省するということではなく、研究対象として自分を見つめるということであって、そこにこの活動の面白さがある(石原 p.15f.、向谷知・浦河べてるの家 p.53ff.)。
  そのことの意義については、すでにいくつも本や論文が出ている(向谷知・浦河べてるの家、石原、熊谷2013、同2020)。まず浦河という過疎地で、精神障碍者は社会に復帰することが求められていたのだが、しかしそれは容易ではない。そこで取り組みがなされたのは、商売をすることで、昆布加工品の製造販売や、ドキュメンタリービデオの販売などが試みられた。彼らは地域の活性化と同時に社会復帰をしなければならなかったのである。それは人として当たり前の苦労をする機会を奪われた人々に、「苦労を取り戻す」ための試みである。そしてこの「苦労を取り戻す」というキャッチフレーズは、浦河べてるの活動を特徴付けるものとして知られるようになった(石原 P.13ff.、向谷知・浦河べてるの家 p.26ff.)。それは人生を、また生きる主体性を取り戻す作業である。
  そこからさらに熊谷は、誰でも生きていればたくさんの苦労に直面するのだが、この苦労に直面し、そのことを自覚している人を、その苦労の当事者と呼ぼうと言う(熊谷 2020 p.2f.)。ここから一団体の運動は、大きく広がることになる(注1)。
  またこの当事者研究とは、共同的な行為である。研究の内容が個人を超えた意味を持ち、他者に向かって発表されてこそ、研究の意義があると石原は言う。べてるの家の当事者研究は、「自分自身で、共に」というキャッチフレーズで特徴付けられている(石原 p.22)。研究を通じて、人と人との繋がりが模索され、その回復がもたらされるのである。
  ひとまずここまでまとめておく。
 
  以下、具体的にその研究の広がりを追って行く。まず、2004年からは当事者研究全国大会が毎年開かれて、べてるの家の研究成果が報告され、それに触発された試みが紹介され、大きな影響を与えている。
  また2008年には、アスペルガー症候群当事者の綾屋紗月と脳性まひ当事者で小児科医の熊谷晋一郎が『発達障害当事者研究』を出す。当事者の視点から障碍の理論的把握を試みようとしたもので、ここで一地域の試みから全国的に発展したと言うことができる。
  とりわけこの本の綾屋の当事者としてのはじけ方は凄い。「体中がどくっどくっと脈打っている。頭髪の生えている部分がかゆい。首筋から肩にかけて重い・・・」とまず本人の身体感覚の描写から本文は始まる(同 p.13)。このような感覚の中を生きざるを得ない自分は何者なのかと著者は問う。そしてこの問いに対して、当事者研究という「時代の波」が、「私に千載一遇のチャンスを与えてくれた」と書く(同 p.14)。自らを「子持ちバツイチ出戻り無職」と自嘲する綾屋の感情の爆発で本書は書き上げられている。一方の熊谷は控えめに、この本において、小児科医としてではなく、脳性まひ当事者として綾屋と共同研究をしたいと書く(同 p.190)。
  ふたりはさらに2010年には、『つながりの作法』という本を出す。そこでは、少数派がどう繋がりを作るかということについて、治療の観点からではなく、当事者研究ということを明確にすることで説明する。つまり当事者研究がその特徴として、本来共同的なものであり、それぞれの研究を通じて見出された多様性を互いに認め合いながら連帯することを目指しているということが確認される。
  そこからさらに、薬物やアルコール依存患者の自助グループ「ダルク女性ハウス」の活動にも、この運動は生かされている(石原 p.52f., 綾屋・熊谷 2010 p.136ff.)。そこでは順に参加者が自らを語るのだが、周りはその話に相槌を打ったり、頷いたりすることを求められない。「言いっぱなし、聞きっぱなし」がモットーである。そのことによって、聞く人は聞くことだけに専念し、話す方は話すことだけに集中できる。そのような人と人との繋がりが模索されている。
  ここで私は、当事者研究を、精神障碍者のためのものから、発達障碍者や薬物やアルコール依存患者にまで広げられたと言うことができると思う。
  このように広がりを見せる当事者研究について、石原は次のように言う。すなわち、ここで大事なのは、自分の問題に向き合うことにより、終わりのない研究に取り組み続けさせること、自分を語ることのリスクを減じること、自己を再定義すること、コミュニティを形成することを、以上が当事者研究の当事者にとっての意義だとまとめている(石原 p.64f.)。
 
  しかしさらに話を広げられるのではないか。とにかく「ニーズを持った人物が当事者」であるとするならば、もっと様々な運動に、この当事者研究を当てはめることができるのではないか(中西正司・上野千鶴子)。
  私自身、3人の子どもが小学生時代に登校拒否であったという経験があり、また周りにも似た境遇の親子が多く、そのために地元で親の会を組織して、その世話役をやっていた。そしてその経験をもとに、本を書いている(高橋)。これも私としては当事者研究だと思っている。
  学校に行かない子を持つことによって、親は様々な経験をする。なぜこの子は普通の子ではないのかと親は悩む。教師は自分の責任を棚上げにして、ひたすら家庭環境や親の教育方針を糾弾する。近所からの冷たい視線も感じる。つまり親は苦しみの当事者であったのである。
  もちろん子どもが本来の当事者である。しかし学校に行かれないという事態の中に子どもはいて、その原因を子どもの性格だけに帰す訳には行かず、制度の問題も含めて、複合的な要因が社会の側にあるのなら、その社会を変えて行かねばならない。それができるのは親である。まずはこのように考える。しかし現実的に社会を変えるのは大変で、社会が良くならなくても、何とか親は子育てをしなければならない。すると学校に行かないで子を教育することを考えねばならない。そして実際に体験的に、子どもは家にいるだけでも、きちんと育つのである。家にいればそれで十分だということになる。この経験を私は多くの人に伝えたいと思う。つまり自らの悩みとそこから得られた経験を研究したいと思う。私のやって来たことを、当事者研究だと見做す所以である。
  また、私自身が実際に当事者研究をすることで見えて来たものがある。それは親と子とどちらも当事者だが、しばしば互いの利害は異なるのである。子どもは学校に行かれないことで苦しみ、親は我が子が学校に行かないことで苦しむ。しかし親は子どもに学校に行ってほしいと願い、子どもは理由は様々であるのだが、とにかく学校に行かれないという事態の中にある。相互の利害の対立に敏感にならないとならない。
  このことは上野千鶴子も書いている。上野は、家族当事者と障碍者当事者を区分し、より立場が弱いのは障碍者当事者なのに、その苦しみが無視されて、家族のパターナリズムが支配してしまう危険性に触れている(上野)。不登校児は障碍者ではなく、置かれている状況は異なるのだが、この危険性は不登校児にもあり得る話である。
  またしばしば、親も子も当事者は特権であるということにも気付く。親に話を限って言えば、この悩みは不登校の子を持つという経験をした親でないと分からない。それで同じ悩みを持つ親同士が定期的に集まって、互いに愚痴を言い、自ら体験的に得た知恵を出し合う。かくして「親の会」が始まる。それはしばしば専門家によるアドバイスよりも、悩みを減じるという点で、当事者にとっては効果的である。そして話し合いの最後に必ずこう言うのである。「経験者でないとこの苦しみは分からない」と。
  しかしただ単に当事者の悩みを特権化して、それで良いものではない。それを他者にどう伝えるのか。そこが求められる。つまり、この当事者にしか分からないだろうという、ある種の優越感を協同作業にして行く。閉塞的な個人の体験談を、共同的なものにして、「言葉や知を立ち上げて行く」。多数派に振り回されずに、主体性を取り戻すことと同時に、繋がりも回復する(池田 p.132f.)。
  このことについて、熊谷は、自分のことは自分が一番良く知っていると思うのだが、しかし実は自分のことは自分が一番良く分かっていないという面もあると言う(熊谷 2013 p.218f.)。自分のことは自分で決めるという精神とともに、本当は自分のことは良く分からないので、仲間とともに方針を探って行くことが必要なのである。
 
  当事者研究は、従って、上述のような世の無理解に晒される少数者の運動に拡張されるだろう。例えば、フェミニズムやLGBTにまで広げられるはずである。障碍者としての苦しみから、少数者の苦しみへと話は展開して行く。
  もうひとつ例を挙げておやこう。H. ヒューズは、その論稿の冒頭に「私はゲイです」と書く。そして自らの体験を語る。日本は多様な性にオープンだと思って、イギリスからやって来たのに、来てみれば、そこで強い異性愛規範を押し付けられる。そういう話から始めて、規範とアイデンティティ構築の問題や、セクシュアリティの再考へと話を展開する。
  すると最も狭義の当事者研究は、浦河べてるの研究を指すのだが、しかし苦しみの中にいる当事者が、自らを研究対象とするものを当事者研究とするのなら、上述の少数者による、自らを語った研究はどれも当事者研究と呼ぶことができるだろう。
 
  しかし私が考えているのは、もっと一般化できるということである。さらに話を続ける。
  三部倫子は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル(以下、LGB)の性的少数者の子どもからカムアウトされた異性愛者の親たちのインタビューをもとにして、膨大な量の質的調査をし、本にまとめている(三部 2014)。私は著者と個人的に面識があるので、この著書は当然、当事者研究なのだと思って読んだのだが、事態はそれほど単純ではない。著者はまず、この調査では、調査者の私が当事者であるか否かが、調査に要求され、協力者との相互行為上、重要視されると書く(p.23f.)。実際著者も、何度も参与観察のために足を運ぶうちに、LGBの子のいる親たちからはご飯をおごってもらい、愚痴を聞いてもらうという体験をする。また同世代の人たちからは、相談を持ち掛けられたり、友だちとして付き合うこともあると言う。そしてその際に、「私はいったい何者なのかを頻繁に問われた」と書く(p.26)。
  しかしそこで著者は、自らが当事者であるとは書かない。研究者と協力者は「いかに多くの共通した問題経験があるように見えても、両者の関係は非対称的であり、同じ当事者にはなり得ない」と書くのである(p.27)。
  さらには書き手が当事者であることから得られる特権は慎重に排除したいとも考える。もちろん、当事者であることで、貶められたりすることも避けたい(p.27f.)。
  するとこの著書は、狭義の当事者研究ではないということになる。あくまでも、ひとつの学術研究だということになる。
  また補足的に書いておきたいのだが、先の不登校の子と親の関係と同じく、LGB当事者と家族当事者との違いにも注意を払うべきだと著者は言う。様々な場面において、本人がニーズを感じていない場合もあることから、当時者を、ニーズがあるかどうかではなく、問題経験を抱えている人を指す名称だとする。そして、社会から賦与されるスティグマを直接被る人と、間接的に被る人を分ける必要があるとし、LGBを当事者とし、カムアウトされた親を家族としての当事者としている(p.24f.)。
  こういうことをわざわざここに書いたのは、不登校の場合、子はまだ幼く、親が教育の主体だと思うからで、つまりこの場合は、子だけでなく、親もやはり当事者本人なのである。それに対して、LGBの場合は、主体性が求められるのは本人である。そこは区別されるべきである。しかし親が世間から、育て方が悪かったのだろうと言われたり、夫婦で責任を擦り付け合って、離婚したりということが起きるのなら(不登校の場合は、しばしば見られることであるが)、問題の在り処は同じである。
 
  文化人類学者の菅原和孝は、ブッシュマンの社会のフィールドワークをし、そこにおける精神障碍者や知的障碍者に注目する。そして自らの子が知的障害を伴う自閉症者であることと重ねて考察をする。
  1982年に、カラハリ砂漠の狩猟採集民族グイの調査を始めたときに、菅原の子は4歳で、すでに自閉症であることが判明し掛けており、著者は、日本とカラハリ砂漠とを往復しながら、グイの人々の生き方に共感することと、我が子に対する思いが相互に反響していたと書く(菅原2010 第1章)。
  また1993年には、15歳になった息子を、グイの定住地であるガナに連れて行く。その時の体験は、菅原1999に詳しい。菅原はその時に、グイの調査を手伝ってくれた現地の助手から、その自閉症児を指して、「彼は人を殺すことを知らない子」だと言われ、衝撃を受ける。それは「定型発達者たちが作ってきた歴史にひしめく途方もない愚かさと残虐さから逃れる、かぼそい経路を私たちに指し示すように思える」と書く。またフィールドで出会った、知的障害のひとり息子を持つ女性から、菅原は「仲間」として扱われたとも書いている(菅原2019 p.130f.)。
  自ら障碍者を持つ親として、つまり自ら当事者として研究に関わり、同時に研究者でもあって、研究対象として、ブッシュマン社会で、発狂したり、知恵遅れであったりするケースを、またその本人と親族との関係を調査する。ふたつの立場が融合している。
 
  するとこれらの研究を広義の当事者研究と、私は呼びたいのである。つまり自らが当事者であったり、または親として当事者である研究者が、必ずしも自らを研究対象とするのではなく、自分とは別の調査対象を研究するのだが、しかしそこに、自らが当事者であることが大きな影響を与えていると言えるものがそれである。
  そしてここまで来ると、研究と言うのは、その程度は異なるのだが、どんな研究も当事者性を帯びているのではないかと思うのである。
  熊谷は、当事者とは「決してマイノリティだけを意味するのではない。専門家も多数派も、すぐに妄想にとらわれてしまう脆弱な存在としての当事者なのである。ゆえに当事者研究は、皆に開かれたものなのだ」と言う(熊谷 2020 p.215)。
  つまり、学問研究をする際に、その研究の主体性が常に問われるべきではないのかと私は思う。そもそもなぜそのテーマを研究対象として選んだのかということが、意識化されるべきである。その問題を何としてでも解決したいという、研究主体の強い意志がそこにあるはずだ。要するに、すべては当事者研究であるというのが、本稿の結論である(注2)。
  一体、資本主義社会の中で、大きな格差に苦しみ、環境破壊の犠牲になり、社会保障の脆弱さに不安を覚える人は当事者ではないのか。そのことが、社会の様々な問題を研究する際に大きな影響を与えているのではないか。つまり研究の主体性ということを繰り替えし強調したいのである。
 
  補足的に以下のことを書いておく。池田喬は、現象学と当事者研究を結び付ける。「体験の研究において、当事者は第三者よりもある優位な基盤の上に立っている」と池田は言う(池田 p.122)。「当事者研究は、障害や困難の当事者による現象学の実践である、と言いたくなるほど」で、「逆に、当事者研究の営みを知ることで哲学や現象学がそもそも何であったかを次々に再発見させられているという実感もある」と書く(P.114)。
  どうしてこういうことが言えるのかと言えば、現象学的に顧みるということは、まさしく当事者が自分の体験を研究することだからである。人は他人の経験を客観化することはできない。他人の経験の外側に立って、それを分析することはできない。できるのはあくまでも自分の体験を自分で研究することしかない(注3)。そしてそのことを共同作業で行うのである。これはまさに先に書いたように、当事者研究が、当事者本人によって行われるものなのだが、それを共同の知の営みとして行うということと同じである。
  しかしここまで書いておいて、私の本心を言えば、何もこれは現象学を出すまでもないように思えるのである。そもそもフッサールの現象学はまさしくカント的であって、私たちは主観と客観の相関の外には行かれないということである。私たちはこの相関の内部で、自らの能力を吟味し、その自らの主観が構成した客観を考察することになる。研究は客観的でなければならないとされるのだが、しかしこのことは学問の主体性が大事だということと矛盾しない。主体と客体の相互作用で世界が成り立っている以上、徹底的に主体的であることを突き詰めることと、客観的であることを追求することとは重なるのである。
  先述のヒューズは、その論稿の中で「日常を問う現象学」という言い方をする。世界は客観的に存在するものではなく、その世界を生きる人々が経験するものとして、人びとの相互作用を通じて成立するものであって、そのことをそのこととして記述すべきだと言う(ヒューズ p.103)。
  また「フェミニスト現象学」という言葉を中澤は使う。彼女は「フェミニスト現象学の基本的視点は、反自然主義、反本質主義にある。これは人々を社会的、経済的、文化的条件の相互作用の中で、生成されるものとしてとらえる観点」であると言う(中澤 p.11)。
  さらに、「自閉症の現象学」、「治癒の現象学」と村上は言う(村上2008, 同2011)。その際の現象学とは、人間の経験を扱うものであり、「新たに発見された経験構造の節目節目に目印となる旗を立ててゆく共同作業」だと村上は言う。世界の中の個別的な事象から出発して細部の骨組みを捕まえる。そして現象学者は客観的な視点を取らずに、対象に巻き込まれ、その巻き込みの中で追体験をしていく。その追体験とは、経験を作り出す構造の再作動であると言うのである(村上 2011 p.176ff.)。
  世界が主客の相互作用で成り立っていることと、研究の客観性とともに主体性が大事であることとが、ここで確認される。
 

1 当事者主権という言葉が定着しつつあると思う。中西正司・上野千鶴子『当事者主権』では、「障害者、女性、高齢者、患者、不登校者、そしてひきこもりや精神障害者の当事者」(同 p.2)など、ニーズを持った人を当事者と考え、当事者が自分の身体と精神を自ら統治する権利を当事者主権と呼ぶ。また上野千鶴子『ケアの社会学』は、その副題に、「当事者主権の福祉社会へ」とあるように、ここでも当事者主権がテーマである。上野は「ニーズの帰属先を当事者と呼び、そのニーズへの主体化が成り立つことを当事者主権と呼ぶ」(同 p.7)と書き、主として、高齢者介護を扱う。かくして当事者という言葉が使われるようになったところに、さらに本稿では、当事者が自らを研究対象にするということがテーマとなる。
2 野尻英一は、定型発達者の当事者研究を自覚的に実践することが必要だと言う。障碍者は自らの障碍について考えるために、定型発達者の視点を仮設的に経由する。これと同じく、今度は定型発達者が、自らのことを考えるのに、障碍者の視点を経由する必要があるのではないか。今までは学問のすべては、無意識に、定型発達者による当事者研究としてなされて来た。それを今度は、非定型発達者の知見を視野に入れて、学問のあり方を反省し、構造変動を起こす。そういう実験として、この本は編まれていると、自閉症に関する9つの論文と9つのコラムをまとめた本のあとがきに書く(野尻他編 p.365ff.)。ちなみに私もごく短いコラムを寄せている。ここで言われているのは、定型発達者という多数派こそ、当事者研究が必要だということである。当事者研究は少数者のためのものではない。なお、この本には、熊谷の、松本卓也と國分功一郎との鼎談も収められており、そこでも当事者研究について語られている。
3 人は他人の経験を扱えないということではない。他人の経験を扱う客観的な視点がないということであって、経験を作り出す構造を再作動させることで、他人の経験を追体験することはできる(村上 2011 p.177f.)。
 
参考文献
綾屋紗月・熊谷晋一郎『発達障害当事者研究 - ゆっくりていねいにつながりたい -』医学書院、2008
――    『つながりの作法 - 同じでもなく違うでもなく -』NHK出版、は2010
ヒューズ、F., 「なぜ自分のセクシュアリティを口に出すのか? - 経験からのセクシュアリティ再考 -」『フェミニスト現象学入門 - 経験から「普通」を問い直す -』所収、ナカニシヤ出版、2020
池田喬「研究とは何か、当事者とは誰か - 当事者研究と現象学 -」石原孝二編『当事者研究の研究』所収、医学書院、2013
石原孝二「当事者研究とは何か - その理念と展開 -」石原孝二編『当事者研究の研究』所収、医学書院、2013
熊谷晋一郎「痛みから始める当事者研究」石原孝二編『当事者研究の研究』所収、医学書院、2013
――   『当事者研究 - 等身大の<わたし>の発見と回復 -』岩波書店、2020
向谷知生良・浦河べてるの家『新 安心して絶望できる人生 - 「当事者研究」という世界 -』一麦出版社、2018
村上靖彦『自閉症の現象学』勁草書房、2008
――  『治癒の現象学』講談社、2011
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波書店、2003
中澤瞳「フェミニスト現象学とは何か? - 基本的な視点と意義 -」『フェミニスト現象学入門 - 経験から「普通」を問い直す -』所収、ナカニシヤ出版、2020
野尻英一他編『<自閉症学>のすすめ - オーティズム・スタディーズの時代 -』ミネルヴァ書房、2019
三部倫子『カムアウトする親子 - 同性愛と家族の社会学 -』御茶の水書房、2014
菅原和孝『もし、みんながブッシュマンだったら』福音館書店、1999
――   『ことばと身体 - 「言語の手前」の人類学 -』講談社、2010
――   「文化人類学 - ブッシュマンとわが子における知的障害の民族史 -」野尻英一他編『<自閉症学>のすすめ - オーティズム・スタディーズの時代 -』所収、ミネルヴァ書房、2019
高橋一行『教育参加』新読書社、2004
上野千鶴子『ケアの社会学 – 当事者主権の福祉社会へ -』太田出版、2015
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
 
(pubspace-x8007,2020.12.01)