「福沢諭吉神話」解体の道のり・補遺1 ――「東大病」症候群(?)との闘い 2016/05/13 by 安川寿之輔 No comments 安川寿之輔 「丸山眞男の支持者」や東京大学関係者が、安川の福沢研究の成果をもっぱら黙殺・無視する傾向があるが、これは、現在の日本の学界の汚点の一つと考えている。そこで、原則として、下記の私の諸著書で言及している件を中心 Continue reading →
現代ギリシャ文学ノート(3) ――エーゲ海とその変容(オディッセアス・エリティスについて)―― 2016/04/22 by 茂木政敏 No comments 茂木政敏 エーゲ海 愛 無数の島々 その泡立つ舳先 夢の鷗どり いや高きマストに水夫の揺らす 歌 愛 その歌 旅の水平線 こだまする郷愁 濡れそぼつ岩に許婚者の Continue reading →
「怠惰または鬱」アガンベンを読む(4) -『他者の所有』補遺(4) – 2016/03/29 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (3)より続く アガンベンは、『スタンツェ』(1977)において、中世の修道院における鬱を論じている(注1)。それは「白昼のダイモン」と呼ばれ、怠惰、陰鬱、生の倦怠、無為とも呼ばれる。「僧院の中で行われるあら Continue reading →
二つの最高裁判決を読んで、家族を考える(下) 2015/12/27 by 西兼司 No comments 西兼司 (上)より続く (三)、「夫婦同姓制度合憲」判決の問題点 もう一つの「夫婦同姓制度合憲」判決は、民法第750条の合憲性を憲法第13条、第14条第1項、第24条第1項及び Continue reading →
二つの最高裁判決を読んで、家族を考える(上) 2015/12/26 by 西兼司 One comment 西兼司 たまたま、12月16日午後2時前後テレビを見ていたら、5分間程度の「ニュース」では収まらず「最高裁での2つの訴えについての判決」に関する予告、速報的事実、判決理由、解説が暫くの時間続けられた。翌日 Continue reading →
現代ギリシャ文学ノート(2) ――この山道を行きし人あり(日本における現代ギリシャ文学受容史)―― 2015/12/18 by 茂木政敏 No comments 茂木政敏 先日、さる仏文科出の女性から「現代ギリシャ文学って日本で未開の領域で…なんというか…ミシェル・レリス言うところのBriséesですね」と言われて、これは言い得て妙なことを言う、とほとほと感心して Continue reading →
公共交通と地方衰退(四)――新幹線建設と在来線の廃止――急行列車「はまなす」の廃止問題に関して 2015/10/29 by 田村伊知朗 No comments 田村伊知朗 『毎日新聞』によれば、JR北海道の急行列車「はまなす」が、2016年3月において廃止さる。「来年3月の北海道新幹線(新函 Continue reading →
現代ギリシャ文学ノート(1) ――セフェリスから「七十年代世代」へ(ギリシャ軍政下の詩人たち)―― 2015/10/24 by 茂木政敏 No comments 茂木政敏 第二次世界大戦と内戦という暗黒の1940年代が終わり、(一応の)安定を取り戻した50年代ギリシャ外交にとって、重要な懸案にキプロス問題があった。ギリシャ系住民とトルコ系住民が混在す Continue reading →
ヘーゲル自然哲学の面白さ (1) 2015/08/22 by 高橋一行 No comments 高橋一行 ヘーゲルの自然哲学を、『自然哲学』と「論理学」に即して、読解して行く。 ヘーゲル『自然哲学』において、自然が時間的に発展するという考え方は、明確に拒否されている(注1)。しかし、ヘーゲルは、「自然は様々な段階 Continue reading →
「所有という制度」アガンベンを読む(3) -『他者の所有』補遺(3) 2015/08/22 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (2)より続く もうしばらく、アガンベンのテキストに即して論じる必要がある。とりわけ、彼のヘーゲル観を見て行きたいと思うのだが、しかしそれは、(4)に回して、今回は、(1)と(2)の内容をもう一 Continue reading →