老いの解釈学 第16回 生物学の教える老い 政治学から考える老い 2025/05/25 by Ω No comments 高橋一行 生物学の教えるところでは、本来人間の寿命は、55歳くらいである。生物学者の小林武彦はそう言う(小林2021、2023)。その根拠はいくつかある。まず人間と同じ大型霊長類の Continue reading →
好奇心から萌え出づる知の全方位 2025/05/20 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 1990年代、私は東京電機大学で講義しつつ、大手予備校の河合塾で小論文の講座を担当していた。池袋校、千葉校、立川校、大宮校など年々各校舎をめぐ Continue reading →
科学と非科学と擬似科学―パスカルの確率論を事例に 2025/05/15 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 昨今、様々なタスクを難なく支援するテキスト生成ツール、という触れ込みで一気にデジタル市場に出回ったChatGPTについて、1940年代末の生ま Continue reading →
記憶力・理解力・編集力のトリプルワーク 2025/05/08 by Ω No comments 石塚正英 一 コミュニケーションにおける〔頭がいい〕 物理学者にして文筆家の寺田寅彦(1878-1935)は、エッセー「科学者とあたま」において、次のように語って Continue reading →
老いの解釈学 第15回 小説の中の認知症(2) 2025/05/05 by Ω No comments 高橋一行 小島信夫の『残光』を読む。この作品は2006年、小島が91歳で亡くなる半年前に出版されている。文中に、主人公は90歳であることが記されている。以下に書くように、そのときの Continue reading →
滝寺不動と毘沙門堂 2025/05/03 by Ω No comments ――第19回くびきのフィールド見学会(頸城野郷土資料室主催)報告―― 石塚正英(見学会案内人) 民俗調査を目的として初めて私が滝寺不動と毘沙門堂(上越市大字滝寺)に出 Continue reading →
老いの解釈学 第14回 性 2025/04/29 by Ω No comments 高橋一行 本シリーズ前々回で取り挙げたS. ボーヴォワールの『老い』において、老人の性を論じるために、谷崎潤一郎のふたつの小説、『鍵』と『瘋癲老人日記』が取り挙げられる。今回は、こ Continue reading →
生活世界の科学技術論―ゲーテの自然観を援用して 2025/04/19 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故を機に、私は当時勤務していた東京電機大学理工学部で、「ローテクを楽しむ21世紀」とか「きのうのハイテ Continue reading →
老いの解釈学 第13回 精神分析理論は老いの解釈に役立つのか 2025/04/11 by Ω No comments 高橋一行 精神分析理論は老いの解釈に役立つのかという問いを立てる。 その際に、臨床家でない私が、とりわけ哲学的関心から精神分析を論じることの是非がまず課題 Continue reading →
人はなぜ学問するか―数学者エヴァリスト・ガロアを事例に 2025/04/05 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 今から10年程以前になるが、『科学するこころを開くScience Window』(2015年冬号)という雑誌で特集記事「なぜ数学を学ぶの?」を Continue reading →