大類伸『西洋中世の文化』1953(初1925)を読む―読書ノートの時代(93) 2025/09/13 by Ω No comments 石塚正英 まえおき 大類伸『西洋中世の文化』冨山房、1953(初1925)年、からの【引用】と【注記】。文中の「/」は改行を示す。下線は引用者による。引用に際し、(中 Continue reading →
S. ジジェクを巡る思想家たち 第4回 J. ランシエール 2025/09/10 by Ω No comments 高橋一行 ランシエール(1940 —)は多才で、その議論の領域は広範囲に及ぶ。その全容を捉えることはできないが、本稿では、ランシエールの思想をアルチュセール、ジジェク、 Continue reading →
ガイア・ヴィンス『進化を超える進化』を読む―読書ノートの時代(92) 2025/09/06 by Ω No comments 石塚正英 まえおき ガイア・ヴィンス、野中香方子訳『進化を超える進化―サピエンスに人類を超越させた4つの秘密』(原題:TRANSCENDENCE: How Human Continue reading →
S. ジジェクを巡る思想家たち 第3回 E. ラクラウ 2025/09/04 by Ω No comments 高橋一行 ジジェクの著作『厄介なる主体』(1999)の第3章では、バリバール、ランシエール、バディウ、ラクラウの4人が取り挙げられる(注1)。すなわち、バリバールは、アルチュセール Continue reading →
ハイゼンベルク『部分と全体』を読む―読書ノートの時代(91) 2025/09/01 by Ω No comments 石塚正英 まえおき 私は、1970年から読書ノートを執り続けて今日に至っている。手書き時代も含め、そのノート群から主だったもの90点を選んで「読書ノートの時代」と題し Continue reading →
S. ジジェクを巡る思想家たち 第2回 アルチュセール 2025/08/29 by Ω No comments 高橋一行 アルチュセールは1960年代、実存主義を唱えるサルトルの主体性理論を批判し、構造主義によるマルクス解釈を打ち出して、華々しくフランスの思想界に登場した。またこのあと本シリ Continue reading →
物と心のあいだに―西田幾多郎のハイゼンベルク読書 2025/08/23 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 王陽明を対象に執筆した拙著前作「真の自己は身体を離れない―王陽明『伝習録』を拾い読む」では、自然と人間(文化)の相関、〔自然⇄人間〕思想における Continue reading →
S. ジジェクを巡る思想家たち 第1回 見通し 2025/08/16 by Ω No comments 高橋一行 S. ジジェクはまず、J. ラカンの解釈者として知られている。これは確かにジジェクの第一の功績として挙げるべきものである。またそのラカン解釈の上で、ジジェクはヘーゲルを独 Continue reading →
真の自己は身体を離れない―王陽明『伝習録』を拾い読む 2025/08/06 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 中国明代の儒学者王陽明(1472-1529、陽明は号で、本名は守仁)は単なる官僚士大夫ではなく、むしろ民衆世界を哲学する人だった。浙江省出身の彼 Continue reading →
釈尊思想の原初性―人間(原初)から如来(文明)へ 2025/07/23 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 直近の拙稿「道元と日蓮のリアリズム―仏舎利・坐禅・地涌の菩薩」において、私は以下のような結語を綴っておいた。①「法華経」はイメージの世界だとして Continue reading →