老いの解釈学 第15回 小説の中の認知症(2) 2025/05/05 by Ω No comments 高橋一行 小島信夫の『残光』を読む。この作品は2006年、小島が91歳で亡くなる半年前に出版されている。文中に、主人公は90歳であることが記されている。以下に書くように、そのときの Continue reading →
滝寺不動と毘沙門堂 2025/05/03 by Ω No comments ――第19回くびきのフィールド見学会(頸城野郷土資料室主催)報告―― 石塚正英(見学会案内人) 民俗調査を目的として初めて私が滝寺不動と毘沙門堂(上越市大字滝寺)に出 Continue reading →
老いの解釈学 第14回 性 2025/04/29 by Ω No comments 高橋一行 本シリーズ前々回で取り挙げたS. ボーヴォワールの『老い』において、老人の性を論じるために、谷崎潤一郎のふたつの小説、『鍵』と『瘋癲老人日記』が取り挙げられる。今回は、こ Continue reading →
生活世界の科学技術論―ゲーテの自然観を援用して 2025/04/19 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故を機に、私は当時勤務していた東京電機大学理工学部で、「ローテクを楽しむ21世紀」とか「きのうのハイテ Continue reading →
老いの解釈学 第13回 精神分析理論は老いの解釈に役立つのか 2025/04/11 by Ω No comments 高橋一行 精神分析理論は老いの解釈に役立つのかという問いを立てる。 その際に、臨床家でない私が、とりわけ哲学的関心から精神分析を論じることの是非がまず課題 Continue reading →
人はなぜ学問するか―数学者エヴァリスト・ガロアを事例に 2025/04/05 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 今から10年程以前になるが、『科学するこころを開くScience Window』(2015年冬号)という雑誌で特集記事「なぜ数学を学ぶの?」を Continue reading →
老いの解釈学 第12回 ボーヴォワールはサルトルよりも優秀だ 2025/04/01 by Ω No comments 高橋一行 ボーヴォワールの『老い』が面白い。『第二の性』もそうだったが、誰も主題となり得るとは考えなかったテーマをとり挙げ、それについての膨大な資料を集め、あらゆる角度から考察をす Continue reading →
非ポリス的自由人アリスティッポスと非ソクラテス的思索者F. ベーコン 2025/03/22 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 紀元3世紀に、古代ギリシアの哲学者とその諸潮流に関する概説書『ギリシア哲学者列伝』を著したディオゲネス・ラエルティオスは、同書の冒頭でこう記し Continue reading →
老いの解釈学 第11回 武士道とは長生きすることと見つけたり 2025/03/19 by Ω No comments 高橋一行 私は居合の稽古をしている。戦国時代に発祥した居合道は、江戸時代にその作法や術技が洗練されて、現代に伝わっているものである。 さて何度も書いている Continue reading →
量子力学は科学でなく技術である―パイディアの欠如 2025/03/10 by Ω No comments 石塚正英 はじめに―問題の所在 すでに好奇心の芽生えている人は別として、ある現象や出来事、物事にふと関心を抱いた人は、「なぜ」と質問されても、「ほんの気紛れさ」と Continue reading →