主体の論理(5) ハイデガーの政治的主体論

高橋一行

 
   1933年、43歳のM. ハイデガーはフライブルク大学総長に選出されるとすぐにナチスに入党した。これは歴史的な事実である。この問題をどう考えるか。つまり20世紀最大の哲学者とも言われる人物が、なぜこのような大きな政治的判断の間違いを犯したのかということは多くの人が論じて来たことである。本稿はこの問題について、S. ジジェクがどう考えているのかということを扱う。
   ジジェクの著書『大義を忘れるな』(以下、『大義』)第3章は、まさにこの問題についてのジジェクの考えを要領良くまとめている。本稿の見通しを先に与えておくと、まずハイデガーのこの問題を整理したのち、前回扱った『厄介なる主体』(以下、『厄介な』)の論点を再度整理し、ふたつの著書におけるハイデガー論を繋げたい。また先に書いておけば、ジジェクはこのほかにLess Than Nothingでもハイデガー論を書いている。これは先のふたつの著書と少し様相が異なるので、これについては、後日扱いたい。
   まずハイデガーがナチスに関わったことは、一時の気の迷いということではなさそうである。少なくとものちにハイデガーはこのことに関して、それは過ちであったと認めたことはない。しかも2014年に刊行された「黒ノート」と呼ばれる覚え書き集を見ると、ハイデガーが終生反ユダヤ的な言説を残していたことが分かる(注1)。ここまでは事実である。そしてそれに対して、いろいろな反応がある。
   まずナチスに加わったという政治的判断と哲学の業績とが密接に結び付いているとしたら、政治的にどうしようもない判断をする人物の哲学など評価に値しないということになる。そしてハイデガーから学ぶことは何もないという結論になる。そう考える人は結構多いだろう。
   それに対して、何とかハイデガーを擁護しようとすると、まずは彼がナチスに加担したのは、大学の役職上、表面的な妥協をしたに過ぎないとか、この一時的に過ちに対して本当は心の中で反省をしていたのだとか、当時の状況を考えれば、やむを得ない判断だったのだとかということになる。ハイデガーは愚かな政治的判断をしたが、しかしそれにもかかわらず、哲学的には偉大であるということになる(注2)。本稿でこのあとに詳述するが、膨大な研究がこの立場で書かれている。そしてそれらはそれなりに説得的である。私自身も、そう考えるしかないという気がしていたのである。
   しかしそれに対してジジェクは、ハイデガーはナチスに関与したからこそ偉大なのであり、ナチス関与がハイデガーの偉大さを構成していると言う(『大義』 p.185)。つまりハイデガーにおいて政治的判断と哲学的業績は、やはり密接に結び付いているのである。
   論理的に考えて、ハイデガーにおいて、政治的判断と哲学的業績は密接に結び付いているのだとして、その哲学的業績の方を拒否するか、逆に哲学的業績を受け入れるためには、それが政治的判断とそれほど密接に結び付いている訳ではないとするか、どちらかしかないように思われるが、しかしもうひとつ残された考え方として、ハイデガーはナチスに加担したからこそ、偉大だったというものはあり得る。もちろんこれはナチスが偉大だったという話ではない。そう考える人もいるだろうが、ここではそういう立場については考慮しない。ここで言っているのは、あの極悪非道のナチスの行為と、哲学史上の偉大なハイデガーの仕事を結び付けるという立場なのである。
   ジジェクはさらに続ける。ハイデガーは後年、政治に関与しなかったが、それはナチスに加担したことを反省したからではない。ナチスはハイデガーにとって終生正しい問題に取り組もうとした唯一の政治運動である。ナチズムの失敗は、政治的なもののそれ自体の失敗であるとハイデガーは考える。それは失恋したあと、生涯二度と恋愛をせず、メランコリックにその初恋に固着し続ける男に似ている(同 p.186)。
   ではその初恋の内実は何か。これが結論になるのだが、ハイデガーはリベラル民主主義を批判する。リベラルな政治参加や民主主義の政治体制を拒否する。ハイデガーは後年、決してリベラルな流儀で政治の提言をしないし、現代のテクノロジーの本質に民主主義はふさわしくないと考えている。ハイデガーはその点で、ナチスに自らの政治的信念と共通するものを見出して、それに加担することを決意したのである。
   この点においてハイデガーは正しい方向へ歩みを進めたとジジェクは考える。しかしジジェクの考えはもちろん、リベラル民主主義を拒否して、ラディカルな左翼による政治変革をすることだ。ただこれはハイデガーがまったく考えようとしなかったことなのである。つまりハイデガーは正しい選択をしたが、しかしそれは同時に大きな間違いであったのである。哲学的には正しい仕事をしたが、政治的に間違っていたというのではなく、哲学的にも政治的にも正しいことをし、しかしそれは同時に間違っていたのである。そしてそれこそがハイデガーの偉大さの証明なのだとジジェクは言うのである。
   このことを説明するのが本稿の目的である。
   そもそもナチズムは十分にラディカルではなかったとジジェクは言う。ナチズムは現代の資本主義社会の空間を支える基本構造をかく乱するつもりなどなかったのである。そうであればこそ、ただ単に、外部に捏造した敵であるユダヤ人を殲滅することに集中したのである。ヒットラーは真の変化を引き起こす勇気を持っていなかったのである(同 p.233)。
   その無能なナチスの運動に参加したハイデガーもまた無能と言うべきで、自身の中に見出した理論的な行き詰まりを解決できずに、暴力的に噴出したのが、ナチスへの関与なのである(同 p.235)。
   繰り返すが、ジジェクは革命が必要だと考えている。ハイデガーは革命的な行為を可能にする構造を組み立てていながら、間違ってしまったのである。ハイデガーは最も大きな過ちを犯すと同時に、真理に最も近付いていたとジジェクは言う。そのハイデガーを反復することが私たちの課題である(同 p.214f.)。革命は反復を必要とする。新しいものは反復によってしか出て来ない。
 
   さて、この『大義』の主張と、前回扱った『厄介な』のそれとを繋いで行きたい。以下、引用しつつ、考察して行く。まず「歪んだ方法ではあったが」と前置きして、ハイデガーがナチスへの関与したことは正しい方向への第一歩であったとここでもジジェクは書く。ハイデガーの目には、ナチスの革命は政治や歴史の本物の出来事だと思えたのである(『厄介な』 p.39)。
   するとこの二著でジジェクは同じことを主張しているのだが、扱い方が少し異なる。まず『厄介な』でも、ハイデガーが革命派マルクス主義者とその思想が近いということは指摘されている。両者は資本主義のシステムの真理は、その過剰から現れると考える。両者は、ファシズムを資本主義からの逸脱と考えるのではなく、資本主義が発達して来たその必然的な結果であると見ている(同 p.25)。
   問題は、政治的にハイデガーは、少なくとも最初は正しい認識を示したのに、なぜ間違ってしまったのかということである。「ナチス関与について、哲学的レベルでの原因は何だったのかという問題を検証する」(同 p.22f.)ことが必要である。またここではこんな風にも言われる。「哲学のレベルとナチスに対して「存在的」レベルで熱烈に政治関与したこととの間にある共犯関係をつかむこと」(同 p.28)。つまり哲学的にハイデガーは正しいが、政治的に間違っていたという単純なものではなく、哲学の業績と政治の判断は密接に絡み、政治的に間違った判断は、そもそもその哲学に起因する。しかもさらに厄介なのは、同じ行為が、正しい選択であり、かつ間違った結果になるということである。その機構を明らかにしたいとジジェクは考える。
   先に書いておくと、ジジェク自身が若い頃にハイデゲリアンだったということが『厄介な』では披歴される。そのためにスロヴェニアのマルクス主義者から散々非難されたという話が書かれている(同 p.26)。自分の研究の出発点であるハイデガーの功罪を書いておきたいとジジェクは思う。しかもその場合、その功と罪は実は同じものなのである。
   『厄介な』でそのことは、ハイデガーのカントに対する評価を巡って説明される。
   まずジジェクは、ハイデガーの1928年の『カントと形而上学』を使う。構想力の話をしたあと、カントは実践理性を論じる際に、超越論的自由を物自体と見なすという過ちをした。これは前回書いた通りである。カントは物自体に直接アクセスできるとしたのである。「ハイデガーの大きな功績は、カントのこうした行き詰まりをはっきりと認識していたことである」(同 p.47)。つまり「ハイデガーはカントの実践哲学を低く評価する」(同 p.79)。しかしカントの言うように、物自体の世界へアクセスしてしまったら、その主体は消滅してしまうというのがジジェクの考えで、ハイデガーもそのことに気付いていたとジジェクは考えている。
   それは人間の自由という深淵があるために引き出された帰着点を公然と認め、それを受け入れることだとジジェクは言う。ラカンの言葉を使って言い直せば、それは、現実界の中で無意識に行動を起こしたということであり、ハイデガーが象徴界への果てへ行こうとしなかったことを証明すると言う(同p.39)。カントのように、物自体の世界が現象の向こうにあると考えて、それを実践しようとするのではなく、象徴界の割れ目に現実界を見出そうということである。
   その後、ハイデガーは、1930年の『人間的自由の本質について』でさらにカントを論じる(注3)。ここでハイデガーはカントを評価しようとする。カントの実践理性によって、伝統的な形而上学の存在論の束縛を超えた自由概念にカントは達したというのである(同 p.82)。ところがその際に、今度はカントの方はその自由の深淵を見ていたのに、ハイデガーは、特に転回後の彼は、それを見ることができない(注4)。ハイデガーはそこから退却してしまったと言う。「カントの道徳律とは空虚であり、ひとつの純然たる形式であり、怪物的なものという状態に根本から影響を及ぼす」(同 p.84)。さらにカントの怪物的なものはヘーゲルの「世界の闇」だとまで言われる。ここでカントはヘーゲルに極めて近いのである(注5)。ハイデガーはそれらを見ていない。
   カントの革命的な倫理の捉え方には破壊力のある可能性が潜んでいるのだが、ハイデガーはそれを否定した(同 p.83)。カントが超越論的構想力について問題を組み立てる際に、そこに深淵が潜んでいたのだが、ハイデガーはそこから退却した(同 p.82)。このようにジジェクは言う。
   つまりカントは道徳的行為を実践し、物自体の世界に到達し得ると考える点は批判されるが、しかしその自由概念において、カントは闇を見ており、それは評価される。ハイデガーはそれを見ていないということになる。ハイデガーはこのカントの見ていた狂気を見ていないということになる。
   さらに今度は『判断力批判』の崇高論で、構想力の暴力性を論じ、怪物的なものを挙げる。ハイデガーはカント解釈において、この崇高概念を除外する(同 p.86)。ハイデガーは崇高なるものを避けたのである(同 p.84)。
   コギトに内在する狂気をハイデガーは解き明かすことができない。ハイデガーは狂気を見ない。フロイトの無意識も理解しない。それはハイデガーの理論の外側にある。つまりフロイトが指摘した無意識や死の衝動は存在論以前の次元にある。ハイデガーは具体的な存在から、さらにその根底にある存在論の領域へと進んで行くが、しかしそれ以上には進まない(同 p.105ff.)(注6)。
   以上を整理すると、カントの道徳と自由概念をジジェクは強く批判し、それを同じように批判するハイデガーをジジェクは高く評価する。しかしカントは同時に、すでに『実践理性批判』においても、また『判断力批判』になると明白に闇を見ており、それはハイデガーには見えなかったのである。
   ハイデガーはコギトの持つ狂気を理解しない。それはハイデガーがカント構想力論の意義を掴み損ねたからである。構想力には、「破壊をもたらす力を秘め、総合に抗う特徴」があり、それは「自由に備わる深淵」を見詰めさせるものなのに、ハイデガーはそれを見逃す(同 p.12)。こういうまとめがなされる。
 
   政治的にはリベラルデモクラシーを批判し、革命を志向する。その点でナチズムとハイデガーは、最初は正しかった。しかし結局両者ともに、資本主義を変革することなく、その内で権力を維持し、ブルジョアの自己満足としての行為しかしていない。ユダヤ人殲滅もそのひとつだ。
   ここではさらにそのことが形而上学から抜け出せないということに繋がる。それを突き抜けること(同 p.23f.)。「構想力はまさに存在論的な存在の体系にある裂け目を表すので、存在論的にきちんと位置付けることができない」。だからハイデガーは超越論的構想力に潜む深淵から手を引いた(同 p.44f.)。また、現実界は存在論的に構成されている現実に先立つものであって、存在論的な現実の捉え方では理解できない(同 p.93)。このようにジジェクは言う。
 
   先に書いたように、ハイデガーが誤った政治的判断をしたからと言って、その哲学的業績を認めないという立場についてはここで取り挙げない。そうすると、ジジェクの考え以外にあり得るのは、ハイデガーの政治的な判断の誤りをできるだけ少なく見積もって、その哲学的業績を目一杯評価するということだけである。世にある膨大な先行研究を、あまりに雑だと言われることを覚悟してまとめればそうなる。それらを少しく見て行こう。
   まず竹田青嗣を参照する。彼はその入門書の最終章をこの問題の解明に充てている。そこで取り挙げられた著作を順に追う。
   V. ファリアスの『ハイデガーとナチズム』が出たのが1987年で、このハイデガーの政治的形成過程を詳細に追った大部の著作が、ハイデガーが紛れもなくナチスの熱烈な闘士であったこと、しかもそれが一時期に限っての話ではなく、若い時からの思想的必然性に基づくことを証明し、以後この事実に言及せずにハイデガーを語ることができなくなったのである。この著作に触発されて、世界各国で論争が生じている。
   またJ-F. リオタールが『ハイデガーと「ユダヤ人」』を出したのは1988年で、フロイトを援用しつつ、ナチスはユダヤ人殲滅の痕跡を抹消しようとして来ており、西洋はそのことに触れたがらないと言う。しかしファリアスの著作が出たときに、以下に取り挙げるデリダもラクー-ラバルトも、すでにそのことを知っていたのである。ハイデガー問題は、そこから身を守らずには近付くことができない無意識的な触発である。
   J. デリダは1987年の講演をもとに『精神について』を世に出す。この講演のすぐあとにファリアスの著作が出版されることになる。つまりデリダはファリアスの書が世間に論争を引き起こす以前に、この問題に取り組んでいる。
   精神とは何かという問いをハイデガーは発しなかったとデリダは言う。しかしその精神にデリダはこだわる。ハイデガーの読者は、ハイデガーの言うところの存在の思惟の問題系に精神は属さないと考えて来たのである。しかし精神こそハイデガーのキーワードである。
   まずハイデガーは精神の名のもとにナチスに加担したのである。そこは確認されねばならない。しかし同時にハイデガーは現実のナチズムから精神の本質を救い出そうとしたのだとデリダは考える。ハイデガーが現実にナチスに加担した以上、ハイデガーを全面救出することはできない。デリダはこのように、精神にこだわらないのに、それが重要であるという、この両義性とナチスとハイデガーの関わりの両義性を問う(注7)。
   P. ラクー-ラバルトの本『政治という虚構』の初版は1987年で、しかし同年出版されたばかりのファリアスの書について、補遺を設けて長々と論じている。ハイデガーの思想形成の資料は細かく調べているが、しかしハイデガー哲学そのものについてはファリアスは理解していないと言う。ハイデガーの政治責任を矮小化してはならないが、しかしハイデガー哲学のテキストを厳密に読むことが重要であるとしている。
   その上でラクーーラバルトが重視するのは戦後のハイデガーの詩や芸術論である。これらを高く評価し、しかもそれらは政治的なものからの隠遁ではなく、それらこそが政治的なものであると持って行くのである。
   先に挙げた竹田は、それらの思想家をまとめて、彼らはハイデガー的な思考方法に巻き込まれているという。ハイデガーに対抗すべく、しかしハイデガー的思考でそれに向かってといる。それでハイデガーと戦えるのかと言うのである。
   その中にあって、しかし竹田はE. レヴィナスだけは評価する。彼は自らの実存的な方法論を確立して、ハイデガーに臨んでいるからである。そしてハイデガー的な存在論の上に、他者との倫理を置く。
   しかしなおレヴィナスは後期ハイデガーと同じ構図に囚われている。つまりハイデガーは存在に根拠を置くが、レヴィナスはそれを倫理に置き換えているだけである。そのようにレヴィナスを批判して、竹田は次のような考えを披歴する。すなわち1927年に世に出た『存在と時間』のハイデガーは、存在と時間の問題を人間の実存感覚の内に持っていたのだが、しかし後期ハイデガーは本質的なものから頽落し、悪しきイデア論的な概念にこだわっているのではないかというのである(竹田 p.18ff.)。つまり前期ハイデガーは評価するが、後期ハイデガーは評価しない。こういうハイデガー論もあり得る。しかし後期ハイデガーは本当に評価できないのか、前期哲学との一貫性はないのか。あるいは、ハイデガーは若い頃から反ユダヤ的だったということを示す証拠は、先の研究が示しているのではないか。この点で私は竹田と別れることになる。
   というのも私の関心事は、ハイデガー哲学そのものだけでなく、以下のことにあるからである。つまり、とりわけデリダを念頭に置き、ラカンやこのあとに出て来るC. マラブーも含めて、フランス哲学にハイデガーは多大な影響を与えており、特に彼らの間では後期ハイデガーは高く評価されている。すると彼らはその哲学とナチス問題をどう考えているのかということが一番の関心事だからである(注8)。
   
   次にT. ロックモアを参照する。彼は、『ハイデガー哲学とナチズム』という分厚い研究を1992年に出した3年後に、今度は『ハイデガーとフランス哲学』という本を出す。そのロックモアによれば、ハイデガーはフランス哲学の祖なのである。とりわけデリダをロックモアは取り挙げ、デリダはハイデガーの弟子であると言う。
   さてフランスにハイデガーがどのように受け入れられたかということは興味深い問題で、特にハイデガーがヘーゲルとともにフランスで受け入れられる事情は、本稿の最後に触れるマラブーの論文と併せて検討したいのだが、それはこの次以降の課題とすることにして、ここではデリダとラクー-ラバルトを中心としたフランスの哲学者がハイデガーのナチス問題をどう見ていたのかということに絞って論じる。
   それは先に私がごく短くまとめたものに他ならないのだが、もう少し詳細に言えば、デリダとラクー-ラバルトは、前期ハイデガーの形而上学的なヒューマニズムこそがナチスへとの関わりの背後にあるもので、ハイデガーは後期になって、形而上学を超越するようになって、ナチズムに対する関心は克服されるのであると考える(ロックモア2005 p.300ff.)。
   このあたりのハイデガー理解は、ちょうど先の竹田の理解と正反対になっているということに注意すべきである。しかし前期を評価するか、後期を評価するかという点で正反対でも、両者は、実はどちらもハイデガーを自分の関心に引き付けて読み込み、その自分の関心事に近いところは、ナチズムから免れているとする点で共通する。
   もちろん、すでにハイデガーのナチズムへの関心は生涯続いていたものであり、その哲学と政治的立場は密接に関連するということを膨大な資料を基に考察してきたロックモアは、そういうフランス哲学を批判する。ロックモアは、デリダたちはハイデガーのナチス問題を過小評価しているのではないかと言っている。私もそう思う。
   しかし逆に今度は、ロックモアがハイデガー哲学を過小評価しているのではないかとも思う。ロックモア自身は、その著作の末尾で、ハイデガーをハイデガー自身に抗う形で読解することによって、初期ハイデガーの中に、人間存在についての示唆に満ちた考察があると考えている。ハイデガーはその初期の思想においてすでにナチスと結び付いていたということは押さえた上で、しかしハイデガーに見るべきものはあったと書く(同 p.352)。それは先の竹田の説に似ている。ただ問題は、ハイデガーの影響下にあるフランス哲学が、ロックモアの主張とは異なって、後期ハイデガーを高く評価しているという事実なのである。そしてそれは、ハイデガーが終生ナチス的であったという事実を見落としているのではないかという指摘こそが、ロックモアの主張するところである。
   さてそこまで説明して、ジジェクに戻る。膨大な量の「ハイデガーとナチス論」があることを書いて来たが、しかし基本的な論点はジジェクの先の説明で尽きており、それらに対してジジェクは意表を突く対案を出して来る。そこは評価して良い。
   つまりハイデガーとナチズムの結び付きを過小評価せず、かつハイデガーの哲学的業績を正当に評価するという相反するベクトルを同時に認めるには、ジジェクの解決案しかないと私は思うのである。
 
   デリダからF. ジェイムソンに至るまで、ポストモダンはハイデガーと関係があるという文章から、『厄介な』第1章は始まる(同 p.20)。このことは、ポストモダンの一翼を担うとされるジジェク本人にも当てはまる。ハイデガーはまさにポストモダンの創始者である。
   またロックモアは、リトアニア生まれのレヴィナスも、長くフランスで思索を続けたという点で、フランスの思想家に数えている。私はジジェクもフランスで学位を取ったという点で、フランスに関わりのある思想家だと考える。すると彼らフランスの哲学者は多くがハイデガーの弟子なのである。弟子が師匠をどう評価するかというのが、本稿の解明すべきことである(注9)。
 
   最初に書いたように、Less Than Nothingのハイデガー論は、ここで取り挙げた2冊のハイデガー論と少し様相が異なる。ヘーゲルの否定性をハイデガーは見ていないということに対して、ハイデガーの側から再批判はあるだろう。実際にはハイデガーは、ヘーゲルの否定性を論じているのである。ヘーゲルこそ、否定について論証していないとハイデガーは言っている。またマラブーは、J. イポリット、A. コイレ、A. コジェーブがハイデガーのヘーゲル論をフランス哲学に繋げていることを論じている(マラブー)。それはこのあとの課題である。
 

1 「黒ノート」については、例えばトラヴニーの言うところを見よ(トラヴニー)。2014年以降、ハイデガーを論ずるものは、このノートの存在に触れない訳には行かない。
 
2 ハイデガー全集Martin Heidegger GesamtausgabeはVittorio Klostermann社により、1975年から全102巻を予定して刊行が開始されている。2019年12月の時点の情報で、96冊が刊行されている。「偉大である」ことのひとつの例証として挙げておく。
 
3 同名のシェリング論(Bd.42)があるが、これはカント論である。
 
4 『存在と時間』の出版が1927年。その後、1930年くらいから「転回」が始まる。ここでハイデガーはその主張を変える。本稿では多くの論者に従って、それ以前を前期、それ以降を後期とする。厳密には中期を設けるべきという意見もあり、私はそれに賛成するが、しかし今回、本稿の趣旨を伝えるためには、そこまで区分を厳密に考える必要はない。また「転回」の中身にも踏み込まない。
 
5 「世界の闇」については前回書いた。またカントがヘーゲルと同じように、闇を見ていたことについて、ジジェクはここでカントの『実践理性批判』と『判断力批判』の前半の崇高概念を引き合いに出して論じるが、私は同じことを『人間学』と『判断力批判』の後半の議論を使って示している。
 
6 ハイデガーの用語について説明する。存在的(ontisch)とは存在者の規定であり、具体的な事物について、その属性は何かという議論であり、存在論的(ontologisch)とは「〜が存在する」というときの「存在する」とはそもそもどういうことかを議論するもので、つまり存在者の存在の規定である。存在者一般を超越して、その存在意味を問うものということになる。具体的な存在の規定を超えて、存在論的な議論をハイデガーはするのだが、しかしなおその向こうには達していないとジジェクは批判する。
 
7 この点はジジェクも指摘している。つまりデリダは、ハイデガーにとって精神が徴候的核心になっているということを指摘しようとした(『大義』 p.220)。しかしその精神では闇を見ることはできない。これは言い換えれば、ハイデガーの宇宙にはトラウマという概念がないということにもなる(同 p.225)。
 
8 さらに日本での研究がある。正直に書いておけば、私は以下の本をせっせと集めて、しかし読みこなせず、本文の中に入れることができなかった。どれも先の1987年のファリアス以降の研究を押さえて出て来たものである。
中田光雄(2002)は、ハイデガーとナチズムという問題を、その大部の著作において正面から考察した実証研究である。ハイデガーとナチズムに関するあらゆる論争が網羅されている。
小野紀明(2010)は、ハイデガーをファシズムを経験した20世紀を体現する思想家であり、時代の子として捉えて、その思想を政治思想史の中に位置付ける。哲学の普遍性でなく、政治思想が、特定の時代の文脈の中で生まれたものであると捉えるのである。
小林正嗣(2011)は、ハイデガー哲学の基本概念に民族を見出し、それがナチズムの提唱する民族とは決定的に異なるものであることを示す。
轟孝夫(2020) 存在の問いがそもそも内在的に政治性を持っている。そこを問うべきである。そのことはさすがにこの一連の、つまり先の1980年代後半からのハイデガー研究で確認されたことであるが、しかしそののちに出て来た資料も活用してあらためて問うべきであるとしている。
 
9 念のために書いておけば、ジジェク、デリダ、レヴィナスと皆ユダヤ系である。
 
参考文献
デリダ, J., 『精神について – ハイデッガーと問い -』港道隆訳、平凡社、2010
ファリアス, V.,『ハイデガーとナチズム』山本尤訳、名古屋大学出版会、1990
ハイデガー, M., 『ハイデッガー全集3 カントと形而上学』門脇卓爾他訳、創文社、2003
——    『ハイデッガー全集31 人間的自由の本質について』齋藤義一他訳、創文社、1987
小林正嗣『マルティン・ハイデガーの哲学と政治 – 民族における存在の現れ -』風行社、2011
ラクー-ラバルト, P., 『政治という虚構 – ハイデガー 芸術そして政治 -』浅利誠他訳、藤原書店、1992
リオタール, J-F., 『ハイデガーと「ユダヤ人」』本間邦雄訳、藤原書店、1992
マラブー, C.,『真ん中の部屋 – ヘーゲルから脳科学まで -』西山雄二他訳、月曜社、2021
中田光雄『政治と哲学 – <ハイデガーとナチズム>論争史の一決算 -』(上)(下)、岩波書店、2002
小野紀明『ハイデガーの政治哲学』岩波書店、2010
ロックモア, T., 『ハイデガー哲学とナチズム』奥谷浩一他訳、北海道大学図書刊行会、1999
——    『ハイデガーとフランス哲学』北川東子他訳、法政大学出版局、2005
竹田青嗣『ハイデガー入門』講談社、2017
轟孝夫『ハイデガーの超政治 – ナチズムとの対決 / 存在・技術・国家への問い -』明石書店、2020
トラヴニー, P., 「ハイデガーと「世界ユダヤ人組織」 – 「黒ノート」をめぐって -」『ハイデガー読本』秋富克哉他編、法政大学出版局、2014
ジジェク, S., 『厄介なる主体 – 政治的存在論の空虚な中心 – 1』鈴木俊弘他訳、青土社、2005
——    『大義を忘れるな – 革命・テロ・反資本主義 -』中山徹他訳、青土社、2010
——     Less Than Nothing – Hegel and The Shadow of dialectical Materialism –, Verso, 2012
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
 
(pubspace-x8143,2021.05.01)