S. ジジェクを巡る思想家たち 第4回 J. ランシエール 2025/09/10 by Ω No comments 高橋一行 ランシエール(1940 —)は多才で、その議論の領域は広範囲に及ぶ。その全容を捉えることはできないが、本稿では、ランシエールの思想をアルチュセール、ジジェク、 Continue reading →
S. ジジェクを巡る思想家たち 第3回 E. ラクラウ 2025/09/04 by Ω No comments 高橋一行 ジジェクの著作『厄介なる主体』(1999)の第3章では、バリバール、ランシエール、バディウ、ラクラウの4人が取り挙げられる(注1)。すなわち、バリバールは、アルチュセール Continue reading →
S. ジジェクを巡る思想家たち 第2回 アルチュセール 2025/08/29 by Ω No comments 高橋一行 アルチュセールは1960年代、実存主義を唱えるサルトルの主体性理論を批判し、構造主義によるマルクス解釈を打ち出して、華々しくフランスの思想界に登場した。またこのあと本シリ Continue reading →
S. ジジェクを巡る思想家たち 第1回 見通し 2025/08/16 by Ω No comments 高橋一行 S. ジジェクはまず、J. ラカンの解釈者として知られている。これは確かにジジェクの第一の功績として挙げるべきものである。またそのラカン解釈の上で、ジジェクはヘーゲルを独 Continue reading →
老いの解釈学 第17回 脳は老いるのか 2025/06/08 by Ω No comments 高橋一行 脳は老いるのかという問いを立てる。この問いに対しては、脳が身体の一部であると考えるなら、脳も身体の他の部位とともに老いるということになる。わざわざ問いにするまでもない。 Continue reading →
老いの解釈学 第16回 生物学の教える老い 政治学から考える老い 2025/05/25 by Ω No comments 高橋一行 生物学の教えるところでは、本来人間の寿命は、55歳くらいである。生物学者の小林武彦はそう言う(小林2021、2023)。その根拠はいくつかある。まず人間と同じ大型霊長類の Continue reading →
老いの解釈学 第15回 小説の中の認知症(2) 2025/05/05 by Ω No comments 高橋一行 小島信夫の『残光』を読む。この作品は2006年、小島が91歳で亡くなる半年前に出版されている。文中に、主人公は90歳であることが記されている。以下に書くように、そのときの Continue reading →
老いの解釈学 第14回 性 2025/04/29 by Ω No comments 高橋一行 本シリーズ前々回で取り挙げたS. ボーヴォワールの『老い』において、老人の性を論じるために、谷崎潤一郎のふたつの小説、『鍵』と『瘋癲老人日記』が取り挙げられる。今回は、こ Continue reading →
老いの解釈学 第13回 精神分析理論は老いの解釈に役立つのか 2025/04/11 by Ω No comments 高橋一行 精神分析理論は老いの解釈に役立つのかという問いを立てる。 その際に、臨床家でない私が、とりわけ哲学的関心から精神分析を論じることの是非がまず課題 Continue reading →
老いの解釈学 第12回 ボーヴォワールはサルトルよりも優秀だ 2025/04/01 by Ω No comments 高橋一行 ボーヴォワールの『老い』が面白い。『第二の性』もそうだったが、誰も主題となり得るとは考えなかったテーマをとり挙げ、それについての膨大な資料を集め、あらゆる角度から考察をす Continue reading →