戦後国権論として憲法を読む(第7回) 本説 第五章 無理筋の「国民主権論」を語る 2017/07/10 by 西兼司 One comment ―――第10条における「主権者国民の不存在」による第三章全体の混乱―――(1) 第6回より続く。 西兼司 第1節 憲法原理たる「国民主権」の憲法における不在 第2節 第10条の意 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(一)――「教育勅語」の何が問題か? 2017/05/30 by 相馬千春 No comments ――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を手掛かりに―― 相馬千春 一、「教育勅語」をどのように批判するか? 最近「教育勅語」が話題となったのは、園児に「教育勅語」が暗唱させる幼稚園の存在が明ら Continue reading →
「ミサイルが飛んでくる?!」――安全保障の危機の本質はどこにある? 2017/04/19 by 鳴海 游 No comments 鳴海 游 1.ミサイルが飛んでくる?! 空母カール・ビンソン(USS Carl Vinson)を中心とする米艦隊が朝鮮半島周辺に向 Continue reading →
拡がる「ムスリム入国禁止令」への反撥、覇権国の座から滑り落ちるアメリカ 2017/02/04 by 鳴海游 No comments 鳴海游 西さんの<「主権国家論」をとる限りトランプの「7か国旅券者入国一時停止」は批判できない>(青字部分をクリックするとその記事に飛びます-以下同様)を読ませていただきました。私は西さんとは、感覚の違うと Continue reading →
「認知の視点」から考える、「I」と「私」の違い――金谷武洋「日本語論」から導かれるもの 2017/01/15 by 相馬千春 No comments 相馬千春 一、 「日本的に考えたり感じたりする」〈私〉とは? 昨年、浦上玉堂の山水画を前にして、<「私」というものが画の中に溶け込んでしまう>経験をした(1)とき、<私はやはり東洋あるいは日 Continue reading →
浦上玉堂――「私」が溶解していくその世界 2016/12/27 by 相馬千春 No comments 相馬千春 浦上玉堂を久しぶりに想い出したのは、森忠明さんの新著『空谷跫音録――ともきたる』を拝見したときです。 「夫(か)の虚空(キョクウ)に逃(のが)るる者は……人の足音、跫然(キョウゼ Continue reading →
東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識 ――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二) 2016/10/31 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 4.路面電車の延伸計画の挫折 このような公共性に対する市民意識に基づき、ハイデ北への路面電車の延伸計画がハレ市において議論された。統一直後のハレ市において、ハイデ北だけではなく、 Continue reading →
東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識 ――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一) 2016/10/30 by 田村伊知朗 No comments 田村伊知朗 はじめに 1989年にベルリンの壁が崩壊し、分裂した二つの国家すなわちドイツ連邦共和国(以下、西独と略)とドイツ民主共和国(以下、東独と略)が統合された。公共交通網の再構築がそ Continue reading →
「福沢諭吉神話」解体の道のり・補遺2――『東日流外三郡誌』に関する記載の訂正 2016/10/27 by 安川寿之輔 No comments 安川寿之輔 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(以下、『戦争論・天皇論』)「終章」に次ぐ「補論」後半の366頁12行目から371頁の記述は、水澤壽郎からの「天は人の上に人を造らず・・・」の出典が『東日流外三郡 Continue reading →
サントームとは何か 『他者の所有』補遺(8) 2016/09/22 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (7)より続く 「ジジェクのラカン像」を書き、「ラカンの鬱論」を書いた。今回、そのふたつのテーマが、「ラカンのサントーム論」で結び付く。 再度、内海健を引用しつつ、精神病型の鬱の Continue reading →