東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識 ――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二) 2016/10/31 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 4.路面電車の延伸計画の挫折 このような公共性に対する市民意識に基づき、ハイデ北への路面電車の延伸計画がハレ市において議論された。統一直後のハレ市において、ハイデ北だけではなく、 Continue reading →
東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識 ――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一) 2016/10/30 by 田村伊知朗 No comments 田村伊知朗 はじめに 1989年にベルリンの壁が崩壊し、分裂した二つの国家すなわちドイツ連邦共和国(以下、西独と略)とドイツ民主共和国(以下、東独と略)が統合された。公共交通網の再構築がそ Continue reading →
「福沢諭吉神話」解体の道のり・補遺2――『東日流外三郡誌』に関する記載の訂正 2016/10/27 by 安川寿之輔 No comments 安川寿之輔 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(以下、『戦争論・天皇論』)「終章」に次ぐ「補論」後半の366頁12行目から371頁の記述は、水澤壽郎からの「天は人の上に人を造らず・・・」の出典が『東日流外三郡 Continue reading →
サントームとは何か 『他者の所有』補遺(8) 2016/09/22 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (7)より続く 「ジジェクのラカン像」を書き、「ラカンの鬱論」を書いた。今回、そのふたつのテーマが、「ラカンのサントーム論」で結び付く。 再度、内海健を引用しつつ、精神病型の鬱の Continue reading →
Paul Valéryとの出会い一Catherine Pozzi研究一 2016/09/08 by 永倉千夏子 No comments 永倉千夏子 1987年に日記、ついで1988年に評伝と詩作品集、自伝的小話Agnes (新版)が刊行された(1)のをきっかけに、一時期Paul Valéryの愛人であったCatherine Pozziなる Continue reading →
「現実」と「観念」の諸相―吉本隆明の宗教論から― 2016/07/14 by 伊藤述史 No comments 伊藤述史 Ⅰ 「現実」と「観念」の矛盾 人間はさまざまな手段と形態を取って、その思い、想念、あるいは「観念」を表出しながら生を営む生き物である。それらは哲学、思想、イデオロギーといったある種 Continue reading →
ラカンの鬱論 『他者の所有』補遺(7) 2016/06/30 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (6)より続く 「アガンベン論(1) – (5)」で、鬱を論じている。所有論の帰結として、喪失の病である鬱に言及し、またアガンベンの論を、「所有しないということ」を主張しているものだ Continue reading →
「ラカンを通じてヘーゲルを読み、ヘーゲルを通じてラカンを読む」『他者の所有』補遺(6) 2016/06/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (5)より続く ヘーゲル『法哲学』を読んで、ヘーゲルの所有論を探っている。するとその論理は、「論理学」の、肯定判断、否定判断、無限判断で言い表され、その最後の無限判断が最も所有の論理を言い当てて Continue reading →
「身体の使用」アガンベンを読む(5) -『他者の所有』補遺(5)- 2016/05/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (4)より続く アガンベン『身体の使用 -脱構成的可能態の理論のために-』を読む。原文は2014年に出て、邦訳が、2016年に入ってから出ている(正直に言えば、翻訳が出て、読んでみたら、私の問題 Continue reading →
「福沢諭吉神話」解体の道のり・補遺1 ――「東大病」症候群(?)との闘い 2016/05/13 by 安川寿之輔 No comments 安川寿之輔 「丸山眞男の支持者」や東京大学関係者が、安川の福沢研究の成果をもっぱら黙殺・無視する傾向があるが、これは、現在の日本の学界の汚点の一つと考えている。そこで、原則として、下記の私の諸著書で言及している件を中心 Continue reading →