病の精神哲学4 カントとヘーゲル 2018/02/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 3より続く 本稿を3回分書いて来たが、ここで短いまとめを提出する。次回以降、さらにテーマを広げて行く予定だ。 柄谷行人は、カントの物 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(四)ーー中島岳志/島薗進、『愛国と信仰の構造』を手掛かりに 2018/01/12 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (三)より続く。 前回は、丸山眞男などのーー比較的旧世代のーー「超国家主義」論を手掛かりに、超国家主義について考えましたが、今回は島薗進と中島岳志のーー比較的最近のーー議論を手 Continue reading →
病の精神哲学3 カントの構想力論 2018/01/01 by 高橋一行 No comments 高橋一行 2より続く カントはいくつかの著作で構想力に言及している(注1)。私はここで、『純粋理性批判』(以下、第一批判)、『人間学』と『判断力批 Continue reading →
病の精神哲学2 カントの「心の病」論 2017/12/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 1より続く カントは48歳(1772年)から晩年まで途切れることなく、「人間学」の講義をしている。そして74歳(1798年)になってから、その講義をまとめた『実用的見地から見た人間学』(以下『人 Continue reading →
病の精神哲学1 ヘーゲルの構想力論 2017/11/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 すでに前著『所有しないということ』の最終章において、私自身の精神哲学と自然哲学を書きたいと言い、それは「偶然の自然哲学」と「病の精神哲学」という題になるだろうということを示しておいた。いよいよ Continue reading →
「戦前回帰」を考える(三)――昭和の「超国家主義」とは何だったのか? 2017/09/05 by 相馬千春 One comment ――丸山眞男、橋川文三、久野収と鶴見俊輔の「超国家主義」論を踏まえて―― 相馬千春 (二)より続く。 五、「超国家主義」をどう理解するか? 本稿は<「戦前回帰」を考える>という Continue reading →
戦後国権論として憲法を読む(第10回)本説 第五章 無理筋の「国民主権論」を語る 2017/08/18 by 西兼司 One comment ―――第10条における「主権者国民の不存在」による第三章全体の混乱―――(4) 第9回より続く。 西兼司 第3節の補 アメリカ、フランス、ドイツ憲法における「主権」、「国民」、「 Continue reading →
戦後国権論として憲法を読む(第9回)本説 第五章 無理筋の「国民主権論」を語る 2017/07/27 by 西兼司 No comments ―――第10条における「主権者国民の不存在」による第三章全体の混乱―――(3) 第8回より続く。 西兼司 第3節 国民主権に必要な具体的課題・「天皇主権規定」と多衆国民の課題 & Continue reading →
戦後国権論として憲法を読む(第8回)本説 第五章 無理筋の「国民主権論」を語る 2017/07/19 by 西兼司 One comment ―――第10条における「主権者国民の不存在」による第三章全体の混乱―――(2) 第7回より続く。 西兼司 第2節 第10条の意義とその批判の不在 (一)「日本国民た Continue reading →
「戦前回帰」を考える(二)――「教育勅語」から「霊魂主義」的国体論へ 2017/07/16 by 相馬千春 One comment ――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を手掛かりに―― 相馬千春 (一)より続く。 三、「教育勅語」から「霊魂主義」的国体論へ 「教育勅語」の策定に関わった井上毅や元田永孚は〈儒 Continue reading →