「交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想」 2018/08/21 by 田村伊知朗 No comments (1)、(2)、(3) 田村伊知朗 0、世界総体ではなく、都市構造という表象 1980~90年代において交通政策が、都市全体の公共性という存在形式において考察され始めた。ここで問題にしている Continue reading →
戦後の他者 2018/08/15 by 石川 求 No comments 石川 求 「戦後」という言葉がなぜ日本では、そしてこの国だけにおいては、こんなにも人口に膾炙するのか。日本を除く東アジアでは、「戦後」って、どのヽヽ戦争の後のことなのですか、というような反応こそが一般であ Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →
病の精神哲学9 現代哲学は人間の絶滅を思考し得るか 2018/06/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 8より続く まだしばらくは思弁的実在論、または新実在論にこだわる。前回までに、Q. メイヤスー、G. ハンマー、R. ブラシエ、I. H. グラント、M. ガブリエル、M. フェラーリス、S. Continue reading →
病の精神哲学8 新実在論はどこまで評価できるか 2018/05/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 7より続く 思弁的実在論、または新実在論について、Q. メイヤスーとM. ガブリエルを取り挙げて書いて来た。メイヤスーについては、一通り彼の問題意識を整理したと思うのだが、ガブリエルについてはその説明はまっ Continue reading →
病の精神哲学 7 - カントの目的論 – 2018/04/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 6より続く 再度、目的論と実在論の関係について書く。まず目的論とは、自然や歴史の諸事象は目的によって規定されているという見方を指す。そ Continue reading →
病の精神哲学6 実在論から目的論へ 2018/03/17 by 高橋一行 No comments 高橋一行 5より続く ジジェクはドゥルーズを論じた本の中で、私が前回取り挙げたボグダーノフの主張にドゥルーズのそれが近いのではないかと言 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(六)――島薗進<明治体制の「顕教」・「密教」>論を検討をする 2018/03/16 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (五)より続く。 九、「天皇の神として信奉」が明治国家体制の「顕教」なのか 1.前回の要点を確認する 前回、島薗進の「国家神道」論、「教育勅語」論を検討しましたが、私 Continue reading →
病の精神哲学5 人間が生まれる前に自然は存在したのか 2018/03/10 by 高橋一行 No comments 高橋一行 4より続く 17世紀のデカルト以降、主観と客観の関係が問われ、そこから意識が分析される。それは認識論的転回と言って良いものである。それ Continue reading →
「戦前回帰」を考える(五)――「教育勅語」は「国家神道」を目指したものだったのか 2018/02/18 by 相馬千春 One comment 相馬千春 (四)より続く。 八、島薗進「国家神道」論・「教育勅語」論への疑問――内村鑑三『不敬』事件を手掛かりとして―― 1. 島薗の考えにたいする疑問点 前回の最後に、『愛国 Continue reading →