病の精神哲学6 実在論から目的論へ 2018/03/17 by 高橋一行 No comments 高橋一行 5より続く ジジェクはドゥルーズを論じた本の中で、私が前回取り挙げたボグダーノフの主張にドゥルーズのそれが近いのではないかと言 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(六)――島薗進<明治体制の「顕教」・「密教」>論を検討をする 2018/03/16 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (五)より続く。 九、「天皇の神として信奉」が明治国家体制の「顕教」なのか 1.前回の要点を確認する 前回、島薗進の「国家神道」論、「教育勅語」論を検討しましたが、私 Continue reading →
病の精神哲学5 人間が生まれる前に自然は存在したのか 2018/03/10 by 高橋一行 No comments 高橋一行 4より続く 17世紀のデカルト以降、主観と客観の関係が問われ、そこから意識が分析される。それは認識論的転回と言って良いものである。それ Continue reading →
「戦前回帰」を考える(五)――「教育勅語」は「国家神道」を目指したものだったのか 2018/02/18 by 相馬千春 One comment 相馬千春 (四)より続く。 八、島薗進「国家神道」論・「教育勅語」論への疑問――内村鑑三『不敬』事件を手掛かりとして―― 1. 島薗の考えにたいする疑問点 前回の最後に、『愛国 Continue reading →
病の精神哲学4 カントとヘーゲル 2018/02/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 3より続く 本稿を3回分書いて来たが、ここで短いまとめを提出する。次回以降、さらにテーマを広げて行く予定だ。 柄谷行人は、カントの物 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(四)ーー中島岳志/島薗進、『愛国と信仰の構造』を手掛かりに 2018/01/12 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (三)より続く。 前回は、丸山眞男などのーー比較的旧世代のーー「超国家主義」論を手掛かりに、超国家主義について考えましたが、今回は島薗進と中島岳志のーー比較的最近のーー議論を手 Continue reading →
病の精神哲学3 カントの構想力論 2018/01/01 by 高橋一行 No comments 高橋一行 2より続く カントはいくつかの著作で構想力に言及している(注1)。私はここで、『純粋理性批判』(以下、第一批判)、『人間学』と『判断力批 Continue reading →
病の精神哲学2 カントの「心の病」論 2017/12/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 1より続く カントは48歳(1772年)から晩年まで途切れることなく、「人間学」の講義をしている。そして74歳(1798年)になってから、その講義をまとめた『実用的見地から見た人間学』(以下『人 Continue reading →
病の精神哲学1 ヘーゲルの構想力論 2017/11/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 すでに前著『所有しないということ』の最終章において、私自身の精神哲学と自然哲学を書きたいと言い、それは「偶然の自然哲学」と「病の精神哲学」という題になるだろうということを示しておいた。いよいよ Continue reading →
「戦前回帰」を考える(三)――昭和の「超国家主義」とは何だったのか? 2017/09/05 by 相馬千春 One comment ――丸山眞男、橋川文三、久野収と鶴見俊輔の「超国家主義」論を踏まえて―― 相馬千春 (二)より続く。 五、「超国家主義」をどう理解するか? 本稿は<「戦前回帰」を考える>という Continue reading →