「戦前回帰」を考える(八)――明治維新期の「世直し一揆」 2018/12/10 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (七)より続く。 十一、日本近代成立期の「民衆運動」 この連載の(六)で、<民衆が政治上に於て一つの勢力として動くという傾向が1905年の日比谷焼き打ち事件により始ま Continue reading →
「戦前回帰」を考える(七)――なぜ昭和の「超国家主義」の起源を民間・民衆のもとに探るのか 2018/11/18 by 相馬千春 One comment 相馬千春 (六)より続く。 十、(補論)昭和の「超国家主義」の起源を探るための論点整理 連載の(5)と(6)では、島薗進の所説を検討したのですが、ここでは、島薗が「昭和の超国家 Continue reading →
カトリーヌ・ポッジ――ポール・ヴァレリーの非対称な鏡像 2018/10/15 by 永倉千夏子 No comments 永倉千夏子 <位置づけ> 思想と生涯とは、本来切りはなして考えるべきものかもしれない。たとえば、およそ個人史というものを否定したヴァレリーなら、そう考えるか、むしろ後者を削 Continue reading →
病の精神哲学11 精神の出現の偶然性とその絶滅の必然性について 2018/09/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 10より続く 思弁的実在論または新実在論が提起した問題は、カントの物自体をどう解釈するかという問題である。それに対して、まずヘーゲルの解釈があり、そしてさらに近年の研究では、カント Continue reading →
「交通縮減の思想――路面電車ルネサンスとしての宇都宮市電に関する政治思想」 2018/08/21 by 田村伊知朗 No comments (1)、(2)、(3) 田村伊知朗 0、世界総体ではなく、都市構造という表象 1980~90年代において交通政策が、都市全体の公共性という存在形式において考察され始めた。ここで問題にしている Continue reading →
戦後の他者 2018/08/15 by 石川 求 No comments 石川 求 「戦後」という言葉がなぜ日本では、そしてこの国だけにおいては、こんなにも人口に膾炙するのか。日本を除く東アジアでは、「戦後」って、どのヽヽ戦争の後のことなのですか、というような反応こそが一般であ Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →
病の精神哲学9 現代哲学は人間の絶滅を思考し得るか 2018/06/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 8より続く まだしばらくは思弁的実在論、または新実在論にこだわる。前回までに、Q. メイヤスー、G. ハンマー、R. ブラシエ、I. H. グラント、M. ガブリエル、M. フェラーリス、S. Continue reading →
病の精神哲学8 新実在論はどこまで評価できるか 2018/05/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 7より続く 思弁的実在論、または新実在論について、Q. メイヤスーとM. ガブリエルを取り挙げて書いて来た。メイヤスーについては、一通り彼の問題意識を整理したと思うのだが、ガブリエルについてはその説明はまっ Continue reading →
病の精神哲学 7 - カントの目的論 – 2018/04/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 6より続く 再度、目的論と実在論の関係について書く。まず目的論とは、自然や歴史の諸事象は目的によって規定されているという見方を指す。そ Continue reading →