「戦前回帰」を考える(七)――なぜ昭和の「超国家主義」の起源を民間・民衆のもとに探るのか 2018/11/18 by 相馬千春 One comment 相馬千春 (六)より続く。 十、(補論)昭和の「超国家主義」の起源を探るための論点整理 連載の(5)と(6)では、島薗進の所説を検討したのですが、ここでは、島薗が「昭和の超国家 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(六)――島薗進<明治体制の「顕教」・「密教」>論を検討をする 2018/03/16 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (五)より続く。 九、「天皇の神として信奉」が明治国家体制の「顕教」なのか 1.前回の要点を確認する 前回、島薗進の「国家神道」論、「教育勅語」論を検討しましたが、私 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(五)――「教育勅語」は「国家神道」を目指したものだったのか 2018/02/18 by 相馬千春 One comment 相馬千春 (四)より続く。 八、島薗進「国家神道」論・「教育勅語」論への疑問――内村鑑三『不敬』事件を手掛かりとして―― 1. 島薗の考えにたいする疑問点 前回の最後に、『愛国 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(四)ーー中島岳志/島薗進、『愛国と信仰の構造』を手掛かりに 2018/01/12 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (三)より続く。 前回は、丸山眞男などのーー比較的旧世代のーー「超国家主義」論を手掛かりに、超国家主義について考えましたが、今回は島薗進と中島岳志のーー比較的最近のーー議論を手 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(三)――昭和の「超国家主義」とは何だったのか? 2017/09/05 by 相馬千春 One comment ――丸山眞男、橋川文三、久野収と鶴見俊輔の「超国家主義」論を踏まえて―― 相馬千春 (二)より続く。 五、「超国家主義」をどう理解するか? 本稿は<「戦前回帰」を考える>という Continue reading →
「戦前回帰」を考える(二)――「教育勅語」から「霊魂主義」的国体論へ 2017/07/16 by 相馬千春 One comment ――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を手掛かりに―― 相馬千春 (一)より続く。 三、「教育勅語」から「霊魂主義」的国体論へ 「教育勅語」の策定に関わった井上毅や元田永孚は〈儒 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(一)――「教育勅語」の何が問題か? 2017/05/30 by 相馬千春 No comments ――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を手掛かりに―― 相馬千春 一、「教育勅語」をどのように批判するか? 最近「教育勅語」が話題となったのは、園児に「教育勅語」が暗唱させる幼稚園の存在が明ら Continue reading →
「ミサイルが飛んでくる?!」――安全保障の危機の本質はどこにある? 2017/04/19 by 鳴海 游 No comments 鳴海 游 1.ミサイルが飛んでくる?! 空母カール・ビンソン(USS Carl Vinson)を中心とする米艦隊が朝鮮半島周辺に向 Continue reading →
拡がる「ムスリム入国禁止令」への反撥、覇権国の座から滑り落ちるアメリカ 2017/02/04 by 鳴海游 No comments 鳴海游 西さんの<「主権国家論」をとる限りトランプの「7か国旅券者入国一時停止」は批判できない>(青字部分をクリックするとその記事に飛びます-以下同様)を読ませていただきました。私は西さんとは、感覚の違うと Continue reading →
「認知の視点」から考える、「I」と「私」の違い――金谷武洋「日本語論」から導かれるもの 2017/01/15 by 相馬千春 No comments 相馬千春 一、 「日本的に考えたり感じたりする」〈私〉とは? 昨年、浦上玉堂の山水画を前にして、<「私」というものが画の中に溶け込んでしまう>経験をした(1)とき、<私はやはり東洋あるいは日 Continue reading →