身体を巡る省察5 病理が教えること 2019/04/16 by Ω No comments 高橋一行 メルロ=ポンティの初期の大作『行動の構造』(1942年)と『知覚の現象学』(1945年)にシュナイダーという男の症例が出て来る。それもひとつのエピソードとして取り挙げられ Continue reading →
身体を巡る省察4 自閉症の「硬さ」について 2019/03/20 by Ω No comments 高橋一行 ここで自閉症という言葉を、アスペルガー症候群を含み、広い意味で使う。それは正確には自閉症スペクトラムと言うべきものを指している。一般的には知的障害を伴うことが多いのだが、 Continue reading →
身体を巡る省察3 言葉と身体 2019/03/09 by Ω No comments 高橋一行 フロイトの取り挙げる神経症においては、精神の何かしらの困難が身体に現れる。例をふたつ挙げる。『ヒステリー研究』(1895)において、良く知られている症例、ルーシーとエリザ Continue reading →
身体を巡る省察2 身体の戦略 2019/02/09 by Ω No comments 高橋一行 身体について考えようと思い、参考にすべき資料を探すと、実に夥しく存在することが分かる。20世紀は言語の哲学の時代だったから、その反動として、20世紀後半には身体に関心が集 Continue reading →
リベラリズムが嫌われる 2019/01/25 by Ω No comments 高橋一行 リベラリズムが世界中で嫌われているように思う(注1)。アメリカと日本の現状を見て行く。 最も分かりやすい話はトランプ大統領の出現である。このこと Continue reading →
身体を巡る省察(1) 心の暴走を抑える身体 2019/01/01 by Ω No comments 高橋一行 今までカントやヘーゲルに即して論じて来た問題を、今度は精神の病の現状に即して、数回論じたい。分量は短いが、「病の精神哲学」の本論となる。 第1回目は、与那覇潤『知性は死なない - 平成の鬱を超 Continue reading →
病の精神哲学 補論1 魂はどこにあるのか 2018/12/16 by 高橋一行 No comments 高橋一行 魂(Seele)はどこにあるのか。すでに本稿第2回において、カントが心(Gemüt)の病に対して、異常なまでに固執していることを指摘したが(注1)、そもそもその魂はどこにあり、どのようにして存在 Continue reading →
病の精神哲学11 精神の出現の偶然性とその絶滅の必然性について 2018/09/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 10より続く 思弁的実在論または新実在論が提起した問題は、カントの物自体をどう解釈するかという問題である。それに対して、まずヘーゲルの解釈があり、そしてさらに近年の研究では、カント Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →
病の精神哲学9 現代哲学は人間の絶滅を思考し得るか 2018/06/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 8より続く まだしばらくは思弁的実在論、または新実在論にこだわる。前回までに、Q. メイヤスー、G. ハンマー、R. ブラシエ、I. H. グラント、M. ガブリエル、M. フェラーリス、S. Continue reading →