病の精神哲学8 新実在論はどこまで評価できるか 2018/05/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 7より続く 思弁的実在論、または新実在論について、Q. メイヤスーとM. ガブリエルを取り挙げて書いて来た。メイヤスーについては、一通り彼の問題意識を整理したと思うのだが、ガブリエルについてはその説明はまっ Continue reading →
病の精神哲学 7 - カントの目的論 – 2018/04/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 6より続く 再度、目的論と実在論の関係について書く。まず目的論とは、自然や歴史の諸事象は目的によって規定されているという見方を指す。そ Continue reading →
立川ワールドをめしあがれ -森忠明『タチカワ誰故草』を読む- 2018/03/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 森忠明にとって、エッセイは作者と等身大の人物を主人公にする童話であり、童話は作者と思しき少年を主人公にするエッセイである。どちらも立川 Continue reading →
病の精神哲学6 実在論から目的論へ 2018/03/17 by 高橋一行 No comments 高橋一行 5より続く ジジェクはドゥルーズを論じた本の中で、私が前回取り挙げたボグダーノフの主張にドゥルーズのそれが近いのではないかと言 Continue reading →
病の精神哲学5 人間が生まれる前に自然は存在したのか 2018/03/10 by 高橋一行 No comments 高橋一行 4より続く 17世紀のデカルト以降、主観と客観の関係が問われ、そこから意識が分析される。それは認識論的転回と言って良いものである。それ Continue reading →
病の精神哲学4 カントとヘーゲル 2018/02/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 3より続く 本稿を3回分書いて来たが、ここで短いまとめを提出する。次回以降、さらにテーマを広げて行く予定だ。 柄谷行人は、カントの物 Continue reading →
病の精神哲学3 カントの構想力論 2018/01/01 by 高橋一行 No comments 高橋一行 2より続く カントはいくつかの著作で構想力に言及している(注1)。私はここで、『純粋理性批判』(以下、第一批判)、『人間学』と『判断力批 Continue reading →
病の精神哲学2 カントの「心の病」論 2017/12/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 1より続く カントは48歳(1772年)から晩年まで途切れることなく、「人間学」の講義をしている。そして74歳(1798年)になってから、その講義をまとめた『実用的見地から見た人間学』(以下『人 Continue reading →
病の精神哲学1 ヘーゲルの構想力論 2017/11/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 すでに前著『所有しないということ』の最終章において、私自身の精神哲学と自然哲学を書きたいと言い、それは「偶然の自然哲学」と「病の精神哲学」という題になるだろうということを示しておいた。いよいよ Continue reading →
二大政党制は可能か 2017/10/28 by 高橋一行 No comments 高橋一行 都議選のあった今夏、私はイギリスにいた。日本からの情報は意図的に遮断し、イギリスから世界の情勢を見ることに専念した。長い人生の、たった半年くらい、そういうことをしても良いと思った。 帰国して、 Continue reading →