病の精神哲学11 精神の出現の偶然性とその絶滅の必然性について 2018/09/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 10より続く 思弁的実在論または新実在論が提起した問題は、カントの物自体をどう解釈するかという問題である。それに対して、まずヘーゲルの解釈があり、そしてさらに近年の研究では、カント Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →
病の精神哲学9 現代哲学は人間の絶滅を思考し得るか 2018/06/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 8より続く まだしばらくは思弁的実在論、または新実在論にこだわる。前回までに、Q. メイヤスー、G. ハンマー、R. ブラシエ、I. H. グラント、M. ガブリエル、M. フェラーリス、S. Continue reading →
病の精神哲学8 新実在論はどこまで評価できるか 2018/05/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 7より続く 思弁的実在論、または新実在論について、Q. メイヤスーとM. ガブリエルを取り挙げて書いて来た。メイヤスーについては、一通り彼の問題意識を整理したと思うのだが、ガブリエルについてはその説明はまっ Continue reading →
病の精神哲学 7 - カントの目的論 – 2018/04/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 6より続く 再度、目的論と実在論の関係について書く。まず目的論とは、自然や歴史の諸事象は目的によって規定されているという見方を指す。そ Continue reading →
立川ワールドをめしあがれ -森忠明『タチカワ誰故草』を読む- 2018/03/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 森忠明にとって、エッセイは作者と等身大の人物を主人公にする童話であり、童話は作者と思しき少年を主人公にするエッセイである。どちらも立川 Continue reading →
病の精神哲学6 実在論から目的論へ 2018/03/17 by 高橋一行 No comments 高橋一行 5より続く ジジェクはドゥルーズを論じた本の中で、私が前回取り挙げたボグダーノフの主張にドゥルーズのそれが近いのではないかと言 Continue reading →
病の精神哲学5 人間が生まれる前に自然は存在したのか 2018/03/10 by 高橋一行 No comments 高橋一行 4より続く 17世紀のデカルト以降、主観と客観の関係が問われ、そこから意識が分析される。それは認識論的転回と言って良いものである。それ Continue reading →
病の精神哲学4 カントとヘーゲル 2018/02/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 3より続く 本稿を3回分書いて来たが、ここで短いまとめを提出する。次回以降、さらにテーマを広げて行く予定だ。 柄谷行人は、カントの物 Continue reading →
病の精神哲学3 カントの構想力論 2018/01/01 by 高橋一行 No comments 高橋一行 2より続く カントはいくつかの著作で構想力に言及している(注1)。私はここで、『純粋理性批判』(以下、第一批判)、『人間学』と『判断力批 Continue reading →