主体の論理(10) 女の主体 ― C. マラブーと円地文子に触発されて ― 2021/10/04 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの新著『抹消された快楽 クリトリスと思考』はもうその題名を見ただけで、私の手に負えるものではないと Continue reading →
主体の論理(9)身体は主体か、客体か 2021/09/21 by Ω No comments 高橋一行 谷崎潤一郎の「刺青」という短編をM. フーコーが論じている。小説の粗筋は以下の通りである。時は江戸、まだ「世間がのんびりして居た時分」、清吉という名の腕利きの刺青師(ほり Continue reading →
主体の論理(8) エーテルから生まれる主体 2021/08/20 by Ω No comments 高橋一行 1. エーテルは純粋存在である エーテルはヘーゲル論理学における純粋存在であるという主張がある(加藤尚武1988)。これは単に比喩として成り立つという話ではなく、ヘーゲル Continue reading →
主体の論理(7) 否定性から出現する主体(2) 2021/07/17 by Ω No comments 高橋一行 木元裕亮は、ネットに膨大な量のジジェク論を展開している(注1)。木元の論稿は、ジジェクの多岐に亘る論点を追っているが、その中で注目すべきは、ジジェクとハイデガーの関係 Continue reading →
主体の論理(6) 否定性から出現する主体(1) 2021/06/28 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの『真ん中の部屋 ヘーゲルから脳科学まで』の第2章は、フランスにおけるヘーゲル受容がテーマである。それは、ハイデガーによって開かれ、J. イポリット、A. Continue reading →
主体の論理(4) 厄介なる主体 2021/03/01 by Ω No comments 高橋一行 前回、バトラーの性的主体理論を扱った。そこで最後にジジェクの『厄介な』におけるバトラー批判に触れている(注1 Continue reading →
主体の論理(3) 性的主体の論理 2021/02/05 by Ω No comments 高橋一行 本稿は、J. バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読解し、性的主体の確立について論じる。 &n Continue reading →
池田龍雄さんのこと 2020/12/21 by Ω No comments 高橋一行 池田龍雄さんが亡くなった。先月の末日である。 5年前の夏、入院されていた清瀬の病院に、若生のり子さんと一緒にお見舞いに伺ったことがある。私たちが病室に入ると、 Continue reading →
主体の論理 (2) 当事者研究とは何か 2020/12/01 by Ω No comments 高橋一行 「主体の論理」というテーマで話を続けたい。今回は補論に入れるべき事柄かもしれないと思う。 当事者研究とは、2001年に北海道の浦河べて Continue reading →
主体の論理 (1) フロイトの事後性について 2020/11/07 by Ω No comments 高橋一行 この古色蒼然たる題名は、しかしM. フーコーやJ. ラカンやJ. バトラーの理論が私たちの共通認識になったと思われる現在において、あらためて意義を持って来るのではないかとい Continue reading →