『森忠明 ハイティーン詩集』について

高橋一行

 
   私を含めて、「公共空間X」の読者にとって、森忠明はまず以って、「立川にモグッて三十年も立川と自分のことだけ書いて来た」(「2DKのかくれんぼ」) 男である。彼は自ら、「立川は私にとっての大学」であり、「猥雑なポテンシャル・エナジーに満ちていたタチカワは、描くに足る時空である」とも言う(「タチカワ・ノースサイド・ギャング」)。私たちはこれらのエッセイで、森忠明に馴染んでいる。
   また森は卓越した童話作家でもある。そこには早熟な森少年の目に映る立川の風景や、多感な少年の心の葛藤が描かれている。しかも彼は、この童話という分野は天才でなければ書けない代物だと言う(「天才としての童話」)。その強烈な自負心は、実際それらの童話を読めば、まさしくその通りだと思うほかなく、その作品群は、十分その矜持に見合うものである。
   森は、実は10代で詩を書いていた。1960年代後半のことである。その時代を知るものは、当然詩人森忠明に親しんでいたはずである。しかし当時、私に森の詩との出会いはなく、それは数十年遅れてやって来た。そして私に衝撃を与える。
   『森忠明 ハイティーン詩集』が2002年に出版されたときに付された記念文集の中で、府川雅明は、森忠明ランボー説を展開する。ヴェルレーヌが10代のランボーを見出し、その才能に驚き、おそらくは嫉妬したように、寺山修司は高校生の森忠明の詩に、純粋な輝きを感じたのである。物質の感覚とも言うべき、その具体性、即物性に「寺山は日本のランボーの吸血鬼を自覚した」と俳人府川は書く。森忠明デビューの経緯である。
   本人にはこのランボー説は迷惑な話かもしれないが、しかし府川の書くことは的確である。そしてそれを受けて私はさらに次のことを言いたいと思う。10代の詩人森忠明とその後のエッセイと童話を書く森忠明は接続していると。
   実は私にとって興味深いのは、20歳を過ぎてすぐに詩を書くのを止めて、砂漠に渡ったランボーなのである。ラディゲは20歳で死んだが、ランボーは後年、アフリカやアラビアで商人として活躍する。そのランボーについて私は強い関心を持っていた。アフリカの砂漠で偶然すれ違った男に対し、どうもこいつ只者ではないなと思っていたら、実は彼はランボーだったという、そういう感じだ。
   ここで私がこんなことを書くのは、以下の理由による。ランボーは一般的には20歳で詩を捨てたと言われているが、それは正確ではない。彼はアフリカやアラビアで、コーヒーや武器を扱う商人として、亡くなるまでの11年間、そこでの生活ぶりを事細かに母と妹に手紙で伝えている。その数160通が残されていて、『ランボー、砂漠を行く – アフリカ書簡の謎 -』(岩波書店)の著者鈴村和成によれば、それらは簡潔な文体で以って、まさしくランボーの詩の業績と同じく、新たな文学作品を形成しているのである。その写実的な筆致は、見事に砂漠の光輝く街を映し出し、そこにランボーの放浪癖や喧嘩っ早い短気な性格を浮かび上がらせる。鈴村は、ランボー本人は、10代で書いた詩編と、このアフリカやアラビアで書いた書簡との間に全く違いを見出さず、両者は接続していると断じる。鈴村を読んでから、私はランボーと言えば、むしろこの砂漠を颯爽と歩き回り、そこで感じたことを素早く手紙に書いて故郷に送る、そういうタイプの詩人であると思うようになっていた。つまり私にとってランボーは、砂漠の商人であり、その生活が詩そのものなのである。
   それは埃っぽい(と私が勝手に感じている)立川で、妻と娘に弄られながら、淡々とその生活をエッセイに書く森の姿である。あるいは自らの少年時代を見詰め直す童話作家の森である。これが私の、森忠明ランボー説に他ならない(尤も森は後年も詩を書いており、それはこの詩集の後半に収められている。これらについて先述の府川は、「世界中を放浪して果てランボーの墓場からの帰還」と書いている)。
 
   さて、砂漠の商人の文学を見出した鈴村の功績は確かに評価すべきだが、そして私の頭の中のランボーはまさしくそのイメージで成り立っているのだが、しかしそうは言っても、ランボーが歴史に名を残しているのは、やはり10代に書いた詩故(ゆえ)の話である。そして私たちもここで森忠明が最初に名を轟かす所以となった、若き日の詩を読みたいと思う。
 
   最後に私事で恐縮だが、私は今ジル・ドゥルーズを読んで、そのカント理解についてまとめたいと思っている。ドゥルーズは「カント哲学を要約してくれる4つの詩的表現について」(『批評と臨床』収録)において、ランボーが16歳の時に書いた書簡の中の「私とは他者である」と、「あらゆる感覚の錯乱によって未知なるものへ到達すること」という文言を取り挙げ、カント哲学が見事にここに表現されていると書く。それはまったく以って同感と言うべきほかはなく、カントの物自体について私がこの数年考えて来たことを、ランボーが簡潔に提示しているのである。それで私は、10代のときに読んで、度重なる引っ越しにも拘らず、奇跡的に書庫の奥から出て来た文庫本のランボー詩集を取り出して、読み始める。それはまさしく快楽であり、煌めく言葉が私の脳を刺激して、その詩を初めて読んだ頃の記憶が蘇る。その愉悦の、まさしくその時に、この「公共空間X」に森忠明の詩を掲載したいという話が持ち上がり、私がその詩について何か書くという話になったのである。そういう偶然があり、まさしく世界は偶然で満ち溢れているとあらためて思い、またその偶然に感謝したいと強く感じたのである。
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
 
(pubspace-x7540,2019.11.27)