身体の所有(7) メタバース、または共有する身体 2022/12/14 by Ω No comments 高橋一行 メタバースは情報化社会が進展することで生まれた。それは私たちが現実世界とは別の世界を持つことができるということを意味する。 ひとつはゲーム業界が Continue reading →
身体の所有(6) 食人について 2022/11/21 by Ω No comments 高橋一行 檜垣立哉と雑賀恵子を参照しながら、食について書いてきた。彼らはそこから食人に言及する。今回はその食人について書きたい。 食人はなぜいけないのか。 Continue reading →
身体の所有(5) 毒を喰らう、または消化と排泄 2022/10/27 by Ω No comments 高橋一行 旅行記と言えば、どこでおいしいものを食べたとか、珍しいものを飲んだといった話になる。私はそういう話は好きで、自分でも書いたことがある(注1)。しかし今回は趣向を変えて排泄 Continue reading →
身体の所有(4) 笙野頼子または性のない身体 2022/10/11 by Ω No comments 高橋一行 「水晶内制度」(2003)は、私が笙野頼子の小説の中で最初に読んだものであり、これは幸運だったと言うべきである(注1)。傑作である。笙野は夥しい数の作品を書いているが、そ Continue reading →
身体の所有(3) コロナ禍の身体 2022/08/15 by Ω No comments 高橋一行 現時点でコロナ第七波がピークを迎えたものの、感染者数が下がる気配はなく、まだまだコロナ終息を宣言するには程遠い。しかしお盆を迎えて、帰省ラッシュも始まり、3年ぶりに人の動 Continue reading →
身体の所有(2) 野口整体または気について 2022/05/26 by Ω No comments 高橋一行 シリーズ第2回目も、私の体験から話を始める。 高校生の頃、学校から帰るとほぼ毎日地元の公立図書館で過ごしていたのだが、その時に、野口晴哉の書いた Continue reading →
身体の所有(1) 武道について 2022/05/03 by Ω No comments 高橋一行 「身体の所有」という題で新しい連載を始めたい。題を見ると、また所有の話かとか、身体まで所有するつもりかとか、所有に拘るなんて相変わらず時代遅れだということになるのだが(こ Continue reading →
主体の論理(15) 脱所有の論理 2022/02/19 by Ω No comments 高橋一行 大澤真幸の新しい本『経済の起源』を読む。贈与がテーマである。 大澤は前著で脱資本主義を論じている(注1)。それに対して今回は、経済の起源が問われ Continue reading →
主体の論理(14) ヘーゲル論理学のトポロジー 2022/02/08 by Ω No comments 高橋一行 本シリーズ第11回で扱ったS. ジジェクの『性と頓挫する絶対』(以下、『性と頓挫』)にトポロジー理論が出て来る。そこではメビウスの帯、クロスキャップ、クラインの壺が論じら Continue reading →
主体の論理(13) 脱資本主義に向けて 2022/01/27 by Ω No comments 高橋一行 キューブラー=ロスの死の受容に至る5段階論は、S. ジジェクがしばしば参照するものである。これは次のようなものである。人は死に直面すると、つまり助からないとされる病の最終 Continue reading →