身体論補遺(1) 輪廻またはメタモルフォーゼについて 2023/07/09 by Ω No comments 高橋一行 湯川秀樹が輪廻について語った話は良く知られている。数学者の森毅が京都大学の食堂で湯川に出会ったとき、湯川は森にこう語ったそうである。「なんや森君、君は輪廻を信じへんのか。 Continue reading →
身体の所有(10) 身体論の整理 2023/04/07 by Ω No comments 高橋一行 このシリーズの最終回である。身体について、理論の整理をしておく。 まずはヘーゲルの身体論において、他者の存在が重要な視点を与えるということを指摘 Continue reading →
身体の所有(9) メタバース、または共有する身体(3) 2023/03/13 by Ω No comments 高橋一行 バーチャル空間におけるアバターは身体を持っていて、そのために一個の人格となり、それはまた他者としての要件を備えている。これが本稿のテーマである。   Continue reading →
身体の所有(8) メタバース、または共有する身体(2) 2023/02/08 by Ω No comments 高橋一行 伊藤亜紗は、けん玉をバーチャルな空間でトレーニングするという話を紹介している(伊藤2022 p.2ff.)。ヘッドマウントディスプレイを装着してバーチャルな空間でけん玉を Continue reading →
身体の所有(7) メタバース、または共有する身体 2022/12/14 by Ω No comments 高橋一行 メタバースは情報化社会が進展することで生まれた。それは私たちが現実世界とは別の世界を持つことができるということを意味する。 ひとつはゲーム業界が Continue reading →
身体の所有(6) 食人について 2022/11/21 by Ω No comments 高橋一行 檜垣立哉と雑賀恵子を参照しながら、食について書いてきた。彼らはそこから食人に言及する。今回はその食人について書きたい。 食人はなぜいけないのか。 Continue reading →
身体の所有(5) 毒を喰らう、または消化と排泄 2022/10/27 by Ω No comments 高橋一行 旅行記と言えば、どこでおいしいものを食べたとか、珍しいものを飲んだといった話になる。私はそういう話は好きで、自分でも書いたことがある(注1)。しかし今回は趣向を変えて排泄 Continue reading →
身体の所有(4) 笙野頼子または性のない身体 2022/10/11 by Ω No comments 高橋一行 「水晶内制度」(2003)は、私が笙野頼子の小説の中で最初に読んだものであり、これは幸運だったと言うべきである(注1)。傑作である。笙野は夥しい数の作品を書いているが、そ Continue reading →
身体の所有(3) コロナ禍の身体 2022/08/15 by Ω No comments 高橋一行 現時点でコロナ第七波がピークを迎えたものの、感染者数が下がる気配はなく、まだまだコロナ終息を宣言するには程遠い。しかしお盆を迎えて、帰省ラッシュも始まり、3年ぶりに人の動 Continue reading →
身体の所有(2) 野口整体または気について 2022/05/26 by Ω No comments 高橋一行 シリーズ第2回目も、私の体験から話を始める。 高校生の頃、学校から帰るとほぼ毎日地元の公立図書館で過ごしていたのだが、その時に、野口晴哉の書いた Continue reading →