高橋一行
ボーヴォワールの『老い』が面白い。『第二の性』もそうだったが、誰も主題となり得るとは考えなかったテーマをとり挙げ、それについての膨大な資料を集め、あらゆる角度から考察をする。その徹底性にボーヴォワールの面目がある。
この本の翻訳は、上下二分冊、それぞれ二段組の小さな字で、合計650ページを超える膨大な大作である。これを上野千鶴子の解説書を参考にしながら、読み解いていく(上野)。正直に言うと、ところどころで読むのにいささか苦痛を覚える箇所もあり、しかし興味深いところもある。時間を掛けて、熟読する。
この本はフランスで1970年に出版された本であり、恐らく執筆されたのは、その数年前のことである。当然、今とは事情が大きく異なるように思う。この間の医学の進歩が著しいということもある。とりわけ当時のフランスの養老院と今の日本の介護施設ではあまりに状況が異なり過ぎている。
まずは生物学的な老いが語られ、次いで、未開社会や歴史上の話になる。そしてその後に、「第4章 現代社会における老い」が来る。先に書いたように、ここで扱われている「現代社会」が1965年くらいのことであるとすると、今(2025年)から見て、60年くらい前ということになる。
冒頭に、「今日、老人たちの境涯は言語道断なものである」とある。厳しい老人の境遇が語られる。例えば、成人は老人に対して、「あやつろうと」し、「彼を無力化し」、「ばか者扱いをしながら話しかけ」、「傷つけるような言葉をもらし」、「嘘をついたり」、「暴力に訴え」て、最後は養老院に「遺棄する」とボーヴォワールは書く。
さらに当時の老人の暮らしが如何に厳しいものであるか、具体的に描かれる。こと細かな数字も語られる。とりわけ、救済院と養老院の生活は劣悪を極める。
福祉がある程度充実しているスウェーデン、ノルウェー、デンマークを除いて、他の資本主義国家では、老人は窮乏の縁にある。ボーヴォワールは、このように述べる。
私はこの文章を書いている2カ月前までフランスにいて、そこでは多くの老人が穏やかに暮らしているように思えたので、この60年の間にずいぶんと改善されたことをあらためて思う。
また、女性の境遇は男性と少し異なっている。当時女性は家庭にいることが多かったから、そこから救済院に追いやられると、心理的ショックが大きいとされている。この辺りのことについて、状況は『第二の性』が出版された1949年と(これも正確に言えば、この本はその数年前に書かれたとすると、今から80年前ということになり、その頃の状況と)変わらない(注1)。フランスでは早くから女性の権利が認められ、男女が同じ境遇にいるかのように、私たち日本人は思っているかもしれないが、例えば女性の参政権が認められたのは1944年であり、実施されたのは翌年である。ボーヴォワールがふたつの本を書いたときは、まだこんな状況だったのである。つまり女性の境遇が改善されたのは、そののちのことなのである。
さて、ここで私が気になっているのは、サルトルの老いについて、ボーヴォワールがどう思っていたかということである。というのも、上野千鶴子は、先の『老い』の解説の中で、老いてどうしようもなくなったサルトルに触れていて、そのあたりの真相はどうなのかということを知りたいと思う(上野)。
まずは良く知られている、ふたりのエピソードから書く。
1929年、哲学のアグレガシオン(一級教員資格)試験にふたりは揃って合格する。このとき、サルトルが主席、ボーヴォワールが次席だと言われている(注2)。
渡部昇一はこのふたりの関係について、「男性パートナーを女性パートナーの方で仰ぎ見るような感じがある方が一般的にいって安定性があるようである」と言っている。恐ろしいまでに素朴な言辞で、これには辟易してしまうのだが、しかし事実はそうではない。サルトルは前年この試験に失敗し、二度目の挑戦であり、24歳で合格したのである。一方ボーヴォワールは21歳で合格し、それは史上最年少だったのである。少なくとも、サルトルの方が優秀だったということを、ここから導くことはできない。私が書きたいのは、このふたりの関係において、年上のサルトルの方が終生威張っているのだが、しかしボーヴォワールの方が常に賢く振舞っていたのではないかということだ。
ふたりが知り合うと、ボーヴォワールはサルトルから、互いの性的自由を認めつつ、伴侶となることを提案される。彼女はこの申し出を受け入れた。彼女は、制度としての婚姻を拒否し、女性の自立と自由を求めていたからであるとされている。ふたりのこの関係は、しばしばサルトルの「私たちの間の愛は必然的なもの。でも偶然の愛を知ってもいい」という言葉により表されている。このときからサルトルが亡くなる1980年まで、ふたりはそれぞれに多くの「偶然の愛」の経験しながらも、「必然的な愛」を貫いたということになる。
ふたりは常に議論をし、喧嘩をし、ときにそれぞれ別の異性の元に走って、少し距離が空くこともあった。少なくとも彼女が彼を「仰ぎ見るような感じ」であった訳ではないし、関係において常に「安定性が」あった訳ではない。
そういうことを確認して、以下、いよいよサルトルの老いとそれに対してのボーヴォワールの対応について見てみたい。
『老い』は先に書いたように、1970年の出版である。サルトルはその3年後、彼が68歳の頃から、記憶障害、尿失禁、尿道結石、糖尿、脳梗塞症状、歩行困難の症状が出て、眼底出血もあって、やがて失明状態になる。しかしそれは、『老い』の出版のあとのことで、従って、この本にサルトルの老いについての記述は出てこない。ここは『別れの儀式』から引用する。この本は『老い』を出版した1970年から、サルトルが死去する1980年までの10年間のサルトルとの交流を描いたものである。私にはこの作品は、『老い』の続編のように思える。『老い』では夥しい老いの例を集めたが、今度は、サルトルというひとりの男に絞って、その老いの姿を克明に描いている(注3)。
そこで興味深いのは、ひとつには、あまりに早く急速に進行したサルトルの老いについてであり、またもうひとつは、その老いを受け止めることができず、歎き、悲しみ、そして人前では虚勢を張るサルトルの姿が詳細に書かれているということである。少し引用してみる。
まず老いが始まって、サルトルは両足を切断されるという妄想に取り憑かれる。そしてそれに対して、「足なんてなくったって、平気さ」と言う。ボーヴォワールは、「明らかに彼は自分の肉体、年齢、死に関する漠とした不安に苦しんでいた」と書く。同年、今度は食事の時間における、サルトルの醜態を克明に描く。サルトルはスパゲッティーと格闘して、大きな塊を口の中に押し込もうとして、こぼしてしまう。口の周りが汚れてしまう。また肉を切るのをボーヴォワールが手伝おうとしても拒否する(『別れの儀式』 1973年の章)。
老いはどんどん進行する。『サルトル伝』の中で、コーエン=ソラルは次のように書く。1973年の秋からサルトルは「闇の歳月」に入っていく。それ以降、「作家サルトルはもはや存在しない」。先に書いた病気は、「煙草、アルコール、並びに多種類の薬品の取り過ぎ」も原因である。日常生活のすべてを身近な人の世話にならなければならないのに、「彼一流の自尊心によって、他人の手助けなしで済まそうとする」。しかし実際には、歴代の愛人たちが代わる代わるやって来て、彼の世話をする。そして口先だけは、いつも勇ましい(コーエン=ソラル 4-5)。
こういう状況の中で、その人生の最後に、次のようなことがある。1980年、サルトルが亡くなる一か月前に、対談が行われる。そこでサルトルは、自分の意識としては、老いを感じていないと強弁する。『いまこそ、希望を』と題された本から、二箇所ほど引用をする。
サルトルは言う。「年寄りは年寄りだということを、自分では決して感じない。老いを外から眺めている人において、老いが何を意味するか、これは他人を通して私にも分かるが、自分の老いは感じられない。だから私の老いとは、それ自体で私に何かを教えると言ったものではない」(同書 p.55)(注4)。
もうひとつは、自分はあと5年か10年で死ぬだろうと言い、希望がないように見える世界で静かに絶望しつつ、「だが私はまさしくこれに抵抗し・・・希望の中で死んでいくだろう。・・・希望が常に革命と反乱の主要な力のひとつであった・・・自分の未来観として、まだ希望を感じている・・・」(同 p.124)。
勇ましいのは良いことなのかもしれないが、ボーヴォワールに言わせれば、サルトルは人から反対されると、自分の考えに「固執する」のである。「サルトルは常に未来に向かって生きてきた」。しかし「老いて、肉体は脅威にさらされ、半盲となった彼にとって、未来は閉ざされていた」のである(『別れの儀式』1980年の章)。
また、この対談を収録した本の出版を巡って、サルトルとボーヴォワールは対立する。彼女に言わせれば、サルトルの強気の発言は、「向きになっている」ことから生じている。「彼は弱さゆえに頑固さを倍加しました。彼としては勿体を付けて一種偽りの力強さのようなものを見せつける必要がありました。そして弱く、打ちひしがれていたために、より強く語るしかなかったのです」(コーエン=ソラル 4-5) 。私から見ると、サルトルはあまりに痛々しい。そしてここで、ボーヴォワールはサルトルの老いを正確に認識している。
さてここでボーヴォワールは、これをサルトルの性格の問題だとしているが、しかしどうだろうか。以下に私が展開したいのは、この老いてなお勇ましいサルトルの発言は、サルトルが自らの実存主義に囚われ過ぎていたことから生じているのではないかということである。実存主義は、常に人を未来に駆り立てて、勇ましく突き進んでいくことを求める。その思想にサルトルは雁字搦めになっている。
そして一方のボーヴォワールの的確な発言は、サルトルの実存主義を吹き飛ばしてしまう。そんな風に私には思えるのである。
とは言え、再び『別れの儀式』に戻れば、ボーヴォワールは、そのすぐ後に訪れるサルトルの死を、愛情溢れる言い方で受け止める。これも良く知られた、感動的な一節で以って、この本は閉じられている。「彼の死は私たちを引き離す。・・・私たちふたりの生が、こんなにも長い間共鳴し合えたこと、それだけですでにすばらしいことなのだ」、と。
以下、実存主義と老いというテーマを追う。再びボーヴォワールの『老い』の読解に戻る。第5章から、いよいよ本格的な話が展開される。
実は、『老い』にも実存主義的な言説はある。夥しいほどあると言うべきだ。実際、ボーヴォワールは、この限りで、サルトルの忠実な弟子である。同志であり、伴侶である。
未来に向かって私を投企せよというのが、その教えである。過去から決別し、未来に向けて進歩する。しかし老人に残された時間は少なく、未来に向かって積極的に働き掛け、主体的に生きていくことができない。必然的に老いは惨めなものになる。
一方で、過去は固まったものだとされる。老人は過去に支配されている。その惰性態の重圧が彼に圧し掛かる。
とりわけ今日の激動の世界では、人は過去から自分を引き離して力強く前進しなければならないのに、老人の歩みは遅い。老人は必然的に後れを取る。
このために、科学者も芸術家も哲学者も、若い時には独創的な業績を残せるのに、老年期に入ると、それが困難になるのである。科学者、哲学者、作家たちの老年期はいかに惨めなものか、その具体例がボーヴォワールによって、列挙される。
化学において最も重要な発見は、25歳から30歳、物理学では30代前半、天文学では40代前半がピークで、老人による仕事は極めて少ない。数学においてはさらにその傾向が顕著であるとされる。哲学も独創的直観は青年期と中年期になされるのである。作家もまた高齢は文学的想像にとって好適ではないと言う。
しかし例外はいくらでもある。つまり高齢になって、なお生産的な活動をする科学者、哲学者、作家たちはいくらでもいる。例えば哲学者では、良く知られているように、80歳で『法律』を書いたプラトンと、66歳で『判断力批判』を書いたカントを挙げれば十分であろう。
ではどうして彼らは例外となり得たのか。それは若い時に、十分未来に向かって投企したからだという奇妙な理屈付けがボーヴォワールによって行われる。とりわけ人は、幼少年期に未来に向かって自己を形作る。その時期に十分自己を投企したものは、年を取っても十分な仕事ができるとされている。人生の出発点において、十分投企が根を下ろしていれば、老人になっても、それが生かされるというのである(『老い』、第6章)。
しかしそんな説明は要らないと私は思う。多くの人が若い時にできた生産的な仕事が、年を取ってできなくなるというのは事実であろう。しかし中には歳を取っても、なお生き生きと仕事をする人もある。私たちはそういう具体例をたくさん見ていけば良い。
そして実際にボーヴォワールの著作の優れたところは、そういう優れた具体例を夥しいほど集めているという点にある。つまり彼女は、膨大な事実を積み上げることで、実存主義という理論を超えている。ここがボーヴォワールの優れたところだ。
私は、サルトルに対しては、次のように言いたい。第一に、自分ができないことは他人に委ねるべきである。主体性などというものは捨ててしまって、他者に任せる。なぜサルトルはそういうことができないのだろうか。第二に、未来の事象は偶然的に生じるのだから、この偶然に身を任せたら良い。主体性ということを言うのであれば、せいぜいこの偶然を最大限活用せよということである。
老いを考えるときに、未来志向一本やりでは駄目だということが、ここで私が言いたいことである。これは未来志向だと、老いて、若いときとのエネルギーの落差があるから、そこで一気に落ち込むのだという単純なことではない。私が言いたいのは、過去の解釈をしないで、未来は創れないということだ。これは実存主義に対する私の根本的な批判である。
未来の事象は偶然生じる。そこに人が主体的に関われると考えるのは錯覚である。人ができるのはせいぜいその偶然を最大限活用することである。一方で、過去は固定されたものではなく、何か新しい事象が生じたときに、そこから過去が再編成され、その事象が後付けで必然化される。過去は変えられるのである。また変えるべく、再構成すべきなのである。私はS. ジジェクに倣って、このように書きたい(Žižek 最終章)。
最後に『老い』という本の中で指摘される、最も重要な観点について考えたい。
ボーヴォワールは、老いは文明の問題だと言う。また随所で、これを社会の問題だとも言い換えている。私の言葉で言えば、これは制度の問題である。
個々人の身体が老いること自体は自然の過程であり、そこに問題はない。老いが惨めなものだとすれば、それは社会の責任である。先に書いたように、ボーヴォワールは、家族から見捨てられる老人や、家族の中で不幸な生活をする老人について、詳細に描いている。
ここで、日々の生活をしていくための経済的基盤がなく、やりたいことが自由にできないということが問題だ。つまり経済的な補償が最も重要なのである。
さらにフランスは大家族制ではないので、老人が子どもの家族と共に暮らすということは考えられていない。また老人ホームが理想だと考えている訳ではない。独立した住まいを持って、その上で他の年齢層の人と暮らすのが望ましいとボーヴォワールは考えている。このことは上野が指摘している(上野 p.92ff.)(注5)。
私は老いには様々な段階があり、認知症になることもあり、また家族がいるかいないかということもあると思うので、様々なタイプの介護の施設が利用可能で、また在宅で老後を過ごすための制度も認められていなければならないと思う。私が書いてきたのはそういうことだ。こういう制度の問題が根本なのである。
そして補足的に、個人の問題について言えば、私たちは、こういう本をたまには読んで、老いを自覚して考察し、それに備えることが必要かと思う。何度も繰り返すが、本シリーズで、人はこういう風に老いるべきだということを私は言うつもりはない。大体そもそも60代半ばの私がこのようなテーマで文章を書いていること自体、年上の人たちには気に入られず、ときにおりを受けている。つまりお前からアドバイスなどをしてもらいたくないということだ。
しかし私自身は、こうして老いの考察をするのは楽しく、今後どのような老いが私を待っているかということを考えるのは興味深い。多分、70代、80代になって、その歳にならなければ分からないことが出てくるだろうと思う。それはまたそのときになって、考えたいと思うのである。
注
1 『第二の性』は、とりわけ性科学や精神分析の膨大な資料を駆使して、事実を積み上げている。その手法は『老い』と同じものである。
2 年譜を書いておく。Jean-Paul Sartre(1905年6月21日 – 1980年4月15日)、Simone de Beauvoi(1908年1月9日 – 1986年4月14日)。
3 実は『老い』を執筆していた1967年に、ボーヴォワールは、自らとサルトルをモデルにした小説を書いている。『モスクワの誤解』である。題名の通り、初老の夫婦がモスクワに出掛け、その際に夫婦の間に生じた危機を描いている。ただこの時期は、まだ老いが中心的なテーマとなるには、少々早い。ボーヴォワールだと思われる女性は、サルトルを思わせる男を愛し、また男からも愛されていると思っていたが、実際男の方はそうではなかったということを、これは作者のボーヴォワールが小説の中で書いている。
4 岡本裕一朗も、この箇所を引用している(岡本 p.161f.)。
5 上野千鶴子の解説の中で、もうひとつ興味深かったのは、性の問題である。ひとつには、ボーヴォワールが、高齢者の性について積極的かつ詳細に描いており、そのことを上野が称賛しつつ、取り挙げていることである。ふたつ目は、ボーヴォワール自身の性愛について上野が具体的に言及していることである。ボーヴォワールは、40代に二回激しい恋愛を経験している。サルトルもまた、夥しい程の女性との付き合いがある。男性がそういうことをすることに社会は寛容だが、女性に対しては、厳しい制裁を科す。しかしボーヴォワールは、自制することなく、突き進んでいったのである(上野 第3回)。
参考文献
ボーヴォワール、S., 『第二の性 女はこうしてつくられる(1)-(5)』生島遼一訳、新潮社、1959
――― 『別れの儀式』朝吹三吉他訳、人文書院、1983
――― 『老い(上)(下)』朝吹三吉訳、人文書院、2013
――― 『モスクワの誤解』井上たか子訳、人文書院、2018
コーエン=ソラル, A., 『サルトル伝 1905-1980』石崎晴己訳、藤原書店、2015
岡本裕一朗『「老い」の正解 世界の哲学者が悩んできた』ビジネス社、2023
サルトル, J-P., & レヴィ, B., 『いまこそ、希望を』海老坂武訳、光文社、2019
上野千鶴子『ボーヴォワール 老い』NHK出版、2021
渡部昇一『知的生活の方法』講談社、1976
Žižek, S., Hegel in a Wired Brain, Bloomsbury Academic, 2020
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x12934,2025.04.01)