私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(5) 2014/05/23 by 蒲地きよ子 No comments 蒲地きよ子 (4)より続く こうして、作家プルーストと、作品中の≪私≫との間の、像の重なり工合と、ずれ工合とを一応不充分ながら見てきたと思うので、わたくしははじめの疑問に戻って、どうして作家がその話者に名を与えなかった Continue reading →
3.11ブルーの鯉のぼり(Photos) 2014/05/23 by 若生のり子(NORIKO WAKO) No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 3・11被災地の写真です。 宮城県東松島市大曲浜地区 それまでは、住宅地で真新しい家屋がびっしりと立ち並んでいたところでした。 津波によって原野と化し、 無残に破壊されたガランドウ Continue reading →
部落文化・再生文化 連載④(最終回)(第四章 部落の伝統芸能/門付芸の主体と論理) 2014/05/23 by 川元祥一 No comments 循環型社会の基軸/地域社会の再生 川元祥一 作家/評論家 連載③より続く 第四章 部落の伝統芸能/門付芸の主体と論理 農民が稲の豊作を願って行う儀礼に「 田遊[たあそび]」がある。地方によって呼び方が違い、 Continue reading →
介護の仕事現場~訪問入浴編~ 2014/05/14 by 雪(ペンネーム) No comments 雪(ペンネーム) 短大を出てから4年間、がむしゃらに介護の現場で働いてきた。介護の学校を出たわけではなく、介護現場がどういうものかという知識をほとんど持たず、現場に飛び込んでいった。就職時に言えたことは、「体力とやる気 Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載④ ―近代日本人の「考え方」を考える(続き)― 2014/05/13 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載③より続く 五 近代日本人の「考え方」を考える ――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を踏まえて――(続き) 6.近代日本における〈朱子学的思惟〉以外の諸要素 小倉は「日本の近代化」を「社会を「再儒教化」する Continue reading →
他者の夢 2014/05/13 by 高橋 一行 No comments 高橋一行 2013年の年末、NHKのドラマ「あまちゃん」の再放送を見る。そこでは、いくつもの、他者の夢が語られていた。 主人公の天野アキは、三陸の高校生で、海女になりたいと思っている。親友の、足立ユイは、東京に行って、ア Continue reading →
石巻市立大川小学校の鯉のぼり(Photos) 2014/05/05 by 若生のり子(NORIKO WAKO) No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 108人の全校児童のうち、死者・行方不明74人、津波から生還した児童はわずか4人。 残り30人は不在や下校で無事。10人の教師も犠牲となった。 校舎の時計は午後3時37 Continue reading →
私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(4) 2014/05/04 by 蒲地きよ子 No comments 蒲地きよ子 (3)より続く 「ただし、≪私≫とだけは決して言わないことですね。」とジッドに忠告したプルーストは、従来の小説に用いられた一人称の、≪複眼的≫でない、一般的に使用される意味の≪私≫を言っている Continue reading →
除染作業現場(福島県相馬郡飯舘村二枚橋町) 2014/05/03 by 若生のり子 No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 以下の写真を見てお分かりのように、除染とは名ばかりで、何の解決にもならない移染(小出裕章氏)にしか過ぎないことが分かる。 実際、除染現場作業を目の当たりにすると、これは気休めでしか Continue reading →