日本の大学生のみじめな歴史認識と未熟な男女平等意識

─26年間のアンケート調査を通して

 

安川寿之輔

はじめに─深刻な学生像
 名古屋大学旧教養部時代の私の1989年以来の社会思想史の講義(「日本の社会と歴史」)受講者(ほぼ毎年100~150名)を対象とする14年間の名古屋大学(以下、名大と略称)新入生のアンケート調査結果の学生像は、深刻である。1992年から毎年「朝日」「毎日」「中日」「読売」新聞などの地元紙がこのアンケート結果をとりあげ、2002年までに掲載された名大生にかかわる40余の記事の見出しは、もっぱら「歴史への無知」「敗戦日知らぬ3割」「「つくる会」教科書4割が肯定」「保守・伝統への回帰」「右傾化」「保守化ありあり」「神秘が大好き」「土俵の女人禁制4割が擁護派」「男女平等意識今年も希薄」などという批判的なもので、「名大生「女は家庭」ノー」のように例外的にほめられた見出しの記事は、わずか3件のみであった。

 以上は、2002年(高校教員向けの雑誌)『高校のひろば』誌第46号(冬号)の依頼で14年間の名大生のアンケート調査結果をまとめた論稿の冒頭部分である。「戦争責任意識希薄な歴史認識」「希薄な主権者意識」「未熟な(一番身近な民主主義感覚としての)男女平等意識」などと集約される日本の学生像の現状は深刻そのものであり、以後も、私は機会あるごとに基本的に同じ設問を利用して、アンケート調査を続けてきた。
 例えば、2003年は名古屋大学(98年3月に名大を定年退職後、非常勤で「基礎ゼミ」を担当)、日本福祉大学、椙山女学園大学(以下、「椙山」と略称)、2004年は名大、椙山に岩手大、新潟大で実施。(2度目の)70歳定年制で、2005年以後は(非常勤の) 椙山女学園大学のみの勤務となり、担当講義(「女性史」)の受講生も多くないので(平均30名)、2005年~2009年のデータは、軽く触れるにとどめる。
 ところが、2010年から(かつて77年から86年まで9年間在職した)埼玉大学の全学講義で比較的にまとまった学生(100名前後)を対象にアンケートを継続できることになったので、埼大と椙山のデータで、日本の学生像に接近することが可能になった。以下は、以上のデータに基づいて、1989年から2014年にいたる26年間の日本の学生像の推移をまとめたものである。

 なお、埼玉大学(以下、「埼大」と略称)の調査対象となった学生の説明をしておくと、全学開放科目<「戦争の記憶」「平和の思想」と出会う>の受講生のことであり、2010年は51名、11年は95名、12年は86名、13年は97名、14年は130名である。12年の受講生86名の場合の内訳を見ておくと、所属学部は教育58、教養12、経済7、工学5、理学2(不明2)で、所属学年は、一年66、二年5、三年6、四年7(不明2)である。

Ⅰ 戦争責任意識希薄な歴史認識─アジアとの深溝
 1989年以来毎年、<太平洋戦争をふくむ日本の「15年戦争」=アジア太平洋戦争>の「敗戦の日」と「開戦の日」を尋ねてきた。「敗戦の日」の正解は、8割以上が1991年以来7割台、98年から65%前後に低下した(埼大は78.4%→77.9%→66.3%→70.1%→83.2%。2003年以来の椙山の正解比率は70%→64→57→50%と大幅に減少し、2007年以降は20~30%台に低迷)。
 ところが、「開戦の日」の正解(1931年9月18日─「満州事変」の日)は、一貫してわずか1%台で、2000年以来は13年間一貫して、日本の全大学(名大、椙山、福祉大、岩手大、新潟大)において毎年ゼロであり、埼大も二年間同様であったが、2012年に異例の3.5%、3人、昨年も4.1%の4人の正解があったが、今年は0.8%の1人となった(椙山はゼロ)。
 中国の青年は同じ日を「9・18事件=柳条湖事件」の日として大半の学生が知っているのに、日本の青年は(繰り返してはならない日として、敗戦の日よりも重要と思われる)侵略戦争「開戦の日」を答えられない(教科書に「満州事変」の9月18日は記載されている。問題は、満州事変、日中全面戦争、太平洋戦争を一連の「15年戦争」と捉える教科書の記述が半数以下)。これでは日中の学生交流は進んでも、両国青年の対話の成立はとても期待できない。
 「三国同盟」の国名という、あえて言えば「受験のガラクタ知識」は一貫して9割前後(埼大も90.2→85.3%→89.5%→91.8%→87.8%─椙山46.5%→37.5%→46.2)正解できる学生が、<あの戦争で一番長く日本と戦った国>(つまり、日本による侵略の一番の被害国)の国名(隣国の中国)になると、近年は4割そこそこ(埼大は49.0→32.6%→38.4%→62.9%→38.5%─椙山ゼロ→18.8%→21.4%)の正解である(誤答で一番多いのは「アメリカ」)。<あの戦争で命を奪われたアジアの民衆の概数は(5百万、1千万、2千万)>の三択の正解(2千万)も半数足らずの正解という認識(埼大は49.0→52.6%→46.5%→48.5%→41.7%─椙山53.3%→43.8%→35.7%)である(あえて書くが、東日本大震災の死亡・行方不明者1万9千人余と、アジア諸国民の被殺戮者2千万では桁が違う)。つまり、多大な迷惑をかけた侵略戦争が一体どこの国を相手のいかなる戦争であったのかという、「国際化」の時代の必須の知識が身についていない。これでは日本の青年のアジア諸国の青年との友好・交流や和解は、はなから期待できないであろう

 中国や韓国の留学生が日本に来ての最初のショックは、日本の学生が侵略戦争についての歴史認識がないこと。椙山の今年の中国人留学生は、留学前に中国の教員から、そのことを予め教えられていた、とのこと。

個々の歴史知識にも、重大な欠落がある。9割近い学生が旧枢軸国の国名は知りながら、<そのドイツとイタリアでは、戦後、(侵略戦争を反省して)国旗と国歌を改めているという大変重要な事実を高校までの学校で教えられたことがありますか?>の設問に、1999年以来「ある」と答えた比率はわずか3.1%、10.1%、7.8%(埼大も5.3→6.3%→7.1%→9.3%→8.7%─椙山13%→13%→4%)。これでは、日本で「日の丸・君が代」が何故社会問題になるのか、またこの事実を、戦後の日本社会が戦争責任問題を放置している象徴的な事実として理解することもたいへん困難である(91年末の東京地裁に、その日本の戦争責任を提訴した韓国の元日本軍性奴隷=「従軍慰安婦」キム・ハクスンさんは、記者会見で「私は<日の丸>を見ると、いまでも頭が腐ったように痛くなる。この<日の丸>が私の人生をメチャクチャにしたのだ!」と語った)。いわんや私が名大在職当時、「日の丸」掲揚の阻止・拒否行動を一貫して続け(そのために、定年退職時にはバカな学長から安川には「名誉教授」を認めるなという特別の指示をうける「名誉」にあずかった)、たえず新聞記事に書きたてられていた意味など、学生にわかってもらえるはずがない。
 世界に誇りうる「戦争放棄の憲法第9条」をもつ日本の青年であることを考えると、その彼らに第一次世界大戦以来の貴重な世界的な「良心的兵役拒否」の思想と運動(たとえば太平洋戦争期に、世界の民主主義を擁護する戦争というタテマエをもちえた連合軍の側に所属しながら、徴兵・参戦を拒否して、イギリスで5.9万、アメリカで1.6万の国民が「良心的兵役拒否」で獄中生活を選んでいた─日本は10人未満)を伝え、教えることは、「9条の国」日本に相応しい大事な教育内容である。しかし、「学校で教えられたことがある」学生は、2000年からわずか2.8%→6.3%→9.6%に過ぎない(埼大も10.8→11.6%→11.1%→14.4%→7.1%→7.6%)。
 「何人も、その良心に反して、武器をもってする戦争の役務を強制されてはならない。」と、憲法で「良心的兵役拒否」を保障されているドイツでは、「良心的兵役拒否」を選ぶ青年が現在すでに過半数の6割をこし(これは、人類が戦争を廃棄・克服するジョンとヨーコの「イマジン」の世界が夢想や妄想でない可能性を示唆する貴重な事実である)、代替業務で日本の老人ホームの介護に来ているドイツ青年もいる。(連合国に対比すると、侵略戦争を遂行する側であった日本では、良心的兵役拒否は超稀有な事例にとどまったが)その日本でも、生徒たちの知っている(12年4月に亡くなった)俳優・三国連太郎(佐藤政雄)が「良心的兵役拒否」に類する行為(国外脱出に失敗し、中国戦線に送られて以後も自らの銃に弾を込めなかった)を敢行しようとした人物であり、「良心的兵役・軍務拒否」を教える教材には事欠かない(良心的軍務拒否の「灯台社事件」が主題の稲垣真実『兵役を拒否した日本人』岩波新書も)。
 加えて日本では、侵略戦争の遂行にはたした靖国神社の犯罪的役割(福沢諭吉が靖国神社構想の先駆的な提唱者)もほとんど教えられていない。だから「閣僚の公式参拝」は、「「私人」の資格なら構わない」「戦没者を悼むのだから当然」という誤った回答比率が一九九五年以来四割台であったものが2000年に6割台となり、社会の保守化と小泉首相の(違憲判決が確定した)強行参拝に次ぐ安倍首相のそれの「成果」もあり、2002年にはついに71%となった(2003年以降の椙山は、現在も70%前後の数字を維持。埼大は65.8→76.8→69.8%→ 60.0 %→53.2%)。

㊟ 今年は設問に「近隣諸国への配慮」を追加して新設したための低下。椙山17.9%埼大31.7%。

 以上のように、浅薄で(後述する重大な)「戦争責任意識」の希薄な日本の学生の戦争認識(責任は日本の社会と学校)のことを考えると、<戦争放棄の憲法第9条については「変えるべきではない」>を選ぶ埼大の学生が86.5→70.5→62.8%→76.3%→69.5%(椙山では40→69→50%)と多数を占めてはいるが、安倍内閣の戦争への暴走政策もあって、日本の戦争をめぐる前途への不安はぬぐえない。
 年度によって特定のテーマを設定して、2001年は「つくる会」の教科書問題を尋ねた。「問題の教科書はあまりにも自国中心主義に偏向」という妥当な見解が51%であった反面、「つくる会」に近い誤った見解の名大生も約4割もあった。
 他の設問でも確認できる事実であるが、「平成不況」を転機とする日本社会の深刻な保守化を敏感に反映して、学生たちは「教育基本法」の改悪を待つまでもなく保守・伝統擁護に回帰し、「つくる会」教科書問題に象徴される近年の(北朝鮮バッシングに象徴される)排外主義的ナショナリズムの風潮の影響を確実に受けている。日本の青年の伝統回帰の象徴は、女性官房長官と大阪府女性知事にかかわる「大相撲の「女人禁制」問題」である。1992年の森山真弓官房長官の総理大臣抔授与忌避事件の際の設問への名大生の回答で、女人禁制の「伝統は守るべし」が「・・・徐々に改善」「即時改善」をしのいで半数近い47%のトップという結果に驚いて、私は数年間、同じ設問を続けた。
 しかし、遅ればせながらの男女共同参画社会への「女性革命」の進展に対応して、「伝統は守るべし」は翌1993年から42%→36%→35%→26%→23%へと予想通りに後退したので、97年でアンケートにおけるこの設問の継続をうち切ったのが失敗であった。「平成不況」が身近になった注目すべき1998年から、後述の男女平等意識の一斉の後退となり、たまたま2000年に大阪場所の女性知事抔「女人禁制」問題が再発したので、同じ設問を復活させたら、またもや「伝統は守るべし」がトップの41%となり、名大生は8年前の名大新入生に「先祖帰り」をしたのである(2001年39%、02年38%、椙山14年21%、埼大33%)。
 現在の日本は、三人目の堂本女性千葉県知事の男女共同参画条例案が県議会で抵抗されたように、「男女共同参画に対して日本中で強いバックラッシュ(反動)が起きている」(2002年10月22日「朝日新聞」)たいへんな時代である。椙山の講義では、伝統好みの学生たちのために、国連問題にもなっている現代のイスラム文化圏の少女の「性器切除の風習」が、同じ「伝統文化」の名で擁護・存続している事実を講義し続けているが、女子学生の場合でも、女人禁制の「伝統は守るべし」は、27%→14→23→19→29→39→20→17→21→13→21%と、20%前後の女性差別の伝統擁護派の学生の存在は続いている。
 1998年以降の日本社会の保守化の持続を反映して、名大生と限らず、「伝統は守れ」という後ろ向きの学生層の存続を、近年の埼大の数字は再確認させてくれた。大相撲の「女人禁制」の伝統について、「即時改善」が24.3→24.2→26.2%→14.4%→16.2%、「徐々に改善」が46.0→53.7→53.6%→77.3%→50.8%と、埼大生の70.3→77.9→79.8%→69.0%と、多くが改善派であるが、「伝統は守れ」も29.7→22.1→20.2%→8.2%→33.1%という数字である。

Ⅱ 希薄な主権者意識─「戦争を知らない子どもたち」にも戦争責任がある!
 過酷な受験競争教育体制と過剰な管理主義教育体制によって、日本の青年は、政治や社会問題への関心、とりわけ主権者意識を奪い去られている。私の見解では、「日本経済新聞」でさえ<「個族」の時代>(98年正月元旦)の到来を呼びかけているのに、「皆一緒病」「過剰集団同調の全体主義的校則による(「標準服」という名による)制服着用(強制)に対して、反発するどころか、日本の学生が「制服はあってよい」「制服が自然」と一貫して7、8割も回答するのは(埼大では82→88→85→89→82.4%%、椙山は87→94→89%)、この過剰集団同調教育体制のマイナスの成果そのものと考えている。それでいて、同じアンケートで日本の大半の学生が、日本の学校を「管理主義的」と認識している(埼大では81→62→67→81%→83%─椙山92→81→89%)のは、奇妙な図式(日本の学校が管理主義的であるから、制服の強制が存続!)である。
 つまり日本の学生は、制服の強要が世界では珍しい異例の出来事(デンマークから日本に留学して、講堂で全校生に紹介された高校生は「講堂全体が真っ黒な海」のようだったと語った)であり、(「みんな違って、みんないい」の金子みすずの精神に反した)全体主義的な日本の管理主義教育体制の象徴である(ゲンに、大学には制服がない!)ことがよく分らないのである。
かつて日本の公立中学では男子生徒に丸刈りが強制されていた。それが人権侵害として廃止された。丸刈りはダメだが制服の強制は許されるという理由を、あなたは説明できますか。(あえて書きますが)ぼくは、どういう服装をするかということは、その人の好みや気分や思想を表現する行為であると考えています(「ファッションは思想を表わす」㊟)。だから、制服の強制は、「すべて国民は、個人として尊重される。」の憲法第13条と「一切の表現の自由は、これを保障する。」の憲法第21条の精神に反していると考えます。

㊟ 若かりし頃、ある有名人(被差別部落出身の参院副議長)が「人間の自由・解放を求めている者が、自分で自分の首を絞める必要はないから、ネクタイはしない」と語っている雑誌のインタビュー記事を見て感動してから、ぼくも半世紀以上それを模倣しています。ノーネクタイというファッションは、やはり一つの思想ですネ。

 1994年以来の<有権者の選挙権は(①多くの国のように18歳からにすべき、②現行の20歳からでよい、③関心がない)>という設問に対して、①を選ぶ新入生は4割そこそこ(椙山では17%→18→23→15→15→15→7→9→18→7→19→21%)、近年は3割そこそこ(埼大は28.9→25.3→33.3%→13.4%→44.6%)となっている。国会議員(下院)の選挙権が18歳以上の国が世界で約140カ国におよび、「主要8カ国」で20歳以上の選挙権の国は日本だけである。つまりこれは、18、9歳にもなった日本の青年が、世界では異例の「ガキ扱い」されていること!である、と講義でかなり挑発的に話しても、学生に特別の反応はない。
だから、この学生たちに「戦争を知らない子どもたち」=戦後生まれの若者たちにも「戦争責任」があるという簡単な事実を伝えることは、日本では絶望的な至難の業となる。太平洋戦争50周年の91年末の朝日新聞の「電話調査」によると、太平洋戦争にかかわる国民の「被害意識」の最高が60歳以上、ついで50代となり、逆に「加害意識」最低が60歳以上、ついで50代である。つまり、直接間接の戦争体験世代の戦争認識が、(侵略戦争を遂行した側の)日本では「大変な目にあった」という被害意識に偏向している上に、調査は、その歪んだ体験も次世代に語り継がれていない事実を明らかにした。加えて、さらに「戦争を知らない」若者世代の場合は、(入試とかかわる)近現代史軽視の歴史教育という大きな問題がある。
 新入生の過半数が侵略の相手国や(安倍首相の参拝が国際問題化しているのに!)戦争と軍国主義推進施設としての靖国神社の犯罪的役割を知らず(埼大5.6%のみ)、18歳選挙権にも関心がない。約9割が侵略戦争の開戦日や旧同盟国の戦後の国旗・国歌改正の事実を知らず、「9条の国」に相応しい貴重な「良心的兵役拒否」の知識もない。「ないない尽くし」の彼らが「戦争責任」というと、自分たちとはおよそ無関係な「過去の問題」「過去の出来事」と受けとめるのは当然であろう。
 しかし、ドイツに倣って、戦争責任・戦後補償を日本がどれだけ誠実に償っても、日本軍によって殺戮されたアジア諸国2千万人の命は生き返らないし、日本軍性奴隷(「従軍慰安婦」)体験者は、一人5千万円の賠償金を支払われても自分の青春や本来の人生をとり戻すことが出来ない。つまり、戦争責任は償わなければならないが(十全な意味においては、償うことはできないのであり)、戦争責任のポイントは、未来(に向けての)責任であり、過去の誠実な謝罪・反省と補償の上に、日本の社会が二度と再び戦争への道を歩まないという事実によって、初めて償うことの出来る未来責任のことである。
 そうすると、戦争への道を許さないという日本の戦争責任(=未来責任)は、選挙権を得てこれから主権者日本国民となる若者世代こそが、直接担うことになる。しかし、それが日本では絶望的に困難な道であることを、昭和天皇が死の病床にあった1998年秋に、アジアの民衆は「天皇裕仁が一言も(その明白な戦争責任を)謝罪しないのは、(主権者)日本国民の恥」であり責任である、と告発していた事実を講義することで、なんとか伝えようと努力を重ねているが(安川『大学教育の革新と実践』新評論、参照)、成果にはとても自信がもてない。つまり、若者世代の見本となる日本国民自身の戦争責任意識が、日本の近代化の道のりと深くかかわって、絶望的なほどに希薄であり、加えて、未来責任の主体である青年・学生が(自国の未来展望とかかわる)選挙権自体におよそ関心がなく、学校教育によって主権者意識を奪い尽くされているのである。

 「蛇足」であるが、ぼくがこのアンケート結果をふまえて、日本の学生の歴史認識や男女平等意識が「みじめ」で「未熟」であると、いくら失礼なことを書いても、学生はあまり気にせず、怒る気配もない。なぜなら、自分と同世代の友人や知人・仲間の多くが同様に考え、同様に意識しているから、自分を「オカシイ!」「変!」であるとは思えない。その点では、軍国主義や天皇制国家主義の時代の日本の青年が、(軍国主義青年の)自分を「変」と思えなかったのと同様である。つまり人間は、いつの時代でも、その時代とその社会の支配的な価値観の圧倒的な影響や支配のもとで生きているのである。
社会の変革期を稀な例外として、学校教育という仕事は、社会体制の(保守的な)現状を維持・保守・温存するためのものという保守的な機能を本質とする(だから天皇制軍国主義の戦前日本では、師範学校と軍関係学校は、権力支配の「車の両輪」として、優遇・重視された)。埼大教育学部の学生は、とりわけこのことをしっかり認識・自覚してほしい。
 にもかかわらず、教育の客体(学習主体)が自由な意志をもった生徒や若者であるために、いつの時代でも、「教えとは希望を人に語ること/学ぶとは誠を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン)となる可能性を例外的にもっている。だから、(「日の丸・君が代」強制の教育体制のもとでも)「教員はやめられない!」のである。

Ⅲ 一番身近な民主主義感覚としての男女平等意識─その未成熟
 女性の労働権の確立と(「男は仕事、女は家庭」の)性別役割分業の解体が進み、働く母親の増大や(家庭科女子必修制に代わる)家庭科男女共修という身近な体験に促されて、家事労働を「男女折半して共同で担う」を選ぶ学生が、1993年の36%から2001年に61%になり(同年の共働き夫妻の家事分担の実態は、妻が夫の6.4倍負担)、「男は仕事、女は家庭」に「積極的に反対」の学生が同時期に49%から67%に増大したように、男女共同参画社会に向けての一定の前向きの(それさえ近年は後退気味)意識転換が生じていることは事実である
 しかし、「男らしさ、女らしさ母性本能」が長年の性別役割分業の家父長制的社会、それも男性(その代表格が「フランス革命の父」J.ルソーや日本の「民主主義の先駆者・福沢諭吉)によってつくられた「神話」であり、ミスコンテストが典型的な性差別事象であるという(性差別についての初歩的ではあるが、じつは本質的な)認識は、女性革命の進展に対応して一時期増えていたが、「平成不況」の深まりを転機に一斉に後退し、結果的に「元の木阿弥(もくあみ)となっている。たとえば、「女らしさ、男らしさの神話」を認識できる名大生が、少ないながらも1989年の13%から97年の25%に着実に増加していたのが、98年に突如14%に急減し、その傾向(椙山は、13%→4→13→4→12→2→20→11→18→7→25→18%。埼大は15.8→17.9→10.5→12.4→14.6%)は、現在も続いている(「母性本能」の神話性の認識は、さらに絶望的に困難)。
 「男女分離名簿」は10年もすればすべて「男女混合名簿」に変わるとつねづね話してきた「男女混合名簿の導入は、名大の地元の東海地方では遅れているが(それでも名古屋市の小学校は全小学校が混合名簿化)、全国的には混合名簿の体験者は急速に増大している(埼大の76.3→83.2→73.7→74.2→73.8%はそれを裏付け)。しかし、「男女分離名簿が性差別を助長する」という新聞記事水準の基本的な認識が教員自身になお希薄であり、共同参画社会のかけ声に促されて自己批判抜きの(例えば、長野県の教育長主導の)トップダウン方式で導入されているため、「ジェンダー・フリー教育は名簿の形式だけのものであり(それでも意義はある!)、肝心の教育の中身は、ジェンダー・フリーにはほど遠い現状である。
 その事実を反映して、学生の「男女混合名簿の意義の認識は、お粗末そのものである。旧来の男女分離名簿について、「不必要に男・女らしさを意識させ、性差別を助長」と新聞記事の水準並みに答えられる学生は、埼大でわずか19→20→23→35→18%に止まり、一番多いのが「なにが問題か分らない」で(その責任は自己批判ぬきに混合名簿を導入した教員と学校)、埼大で31→36→36→27→36%(椙山で46→34→7→44→39%)であり、他が誤りの「教育上必要な区別」「問題視することに反対」であった。
 日本の学校教育がジェンダー視点を欠いた性差別的な内容であることに学生に気づいてもらうために、フランス人権宣言の「自由・平等」の人間に「女性が含まれていないことを教えられてことがありますか?」と、「近代民主主義」の理解にとって重要な知識を、26年間問い続けてきた。名大生の「ある」が15%から最高の26%(九六年)にまで増えたが、大幅な改善は進まず、椙山では低迷が続いている印象である(椙山13%→7→17→4→26→15→20→26→16→13→13%。埼大は36.1→24.2→34.9→22.7→17.8→32.6%)。
 男女共同参画社会の進展に対応して、現在では(日本の学生たちは知らないが、性差別撤廃条約違反として)公共団体が性差別のミスコンを主催することは困難となり(もっぱら日本の「イモ大学」の大学祭で花盛り)、(「母性本能」をもつはずの母親による)「児童虐待」のニュースも珍しくない時代となっている。しかし日本の学生は、ミスコンを性差別と認識することと、「母性本能」が家父長制社会のつくりあげた典型的な神話である、との認識がとりわけ困難である(自らの「腹を痛めて」出産する母親の方が「種をまいただけの」父親よりも、より「わが子」への愛着が強いのは当然)。しかし、埼大生がアンケートに「父性本能もある」と記入したように、一昨年の東日本大震災で「津波てんでんこ」を忘れて、「わが子」を救出しようとして死んだ父親がいるのも当然である。問題は「父性」も「母性」も「本能」ではないということ(児童虐待をするのは父母!育児時間が父よりはるかに長い母親による児童虐待が多くなるのは当然)。
 ミスコンについては、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』のミスコンは女性差別でない(「美は才能である」)という誤った漫画を紹介して、逐一その誤謬を解説し、母性本能については、「子ども虐待 相談三割増 昨年度、児童相談所六九〇〇件 加害、母親六割」(1999年11月2日「朝日新聞」)の見出しの記事を紹介して、「男が家庭を女に守らせるために『母性本能』という言葉をつくりだし、そういう意識を植え付けてきたのではないか」という在日の劇作家つか・こうへい発言を紹介するなどの努力を続けているが、保守化した社会の学生への強力なマイナスの教育力に対抗するのは難しい。
ミスコンを「女性差別と思う」比率が名大生で10%をこえた年は3度だけ(最高16%)であり、ほぼ一貫して7、8%の認識である(椙山では、3%→11→0→4→5→7→9→0→0→0→4%。埼大は13.5→1.1→4.7→4.1→4.7%)。<「母性本能」はあると思わない>と答えられる学生も10%をこえたのは3度だけで、最高といっても11%台という惨めな結果である(詳しくは、安川『女性差別はなぜ存続するのか』明石書店、参照)。椙山の「母性本能」の神話性認識の比率の推移は7%→7→10→4→2→20→9→3→7→19→18%であり、(男子学生の加わる)埼大の5→4→5→2→4%という数字も、さらに惨めである。
 つまり、女性革命(男女共同参画)の進展にともなう社会変動(働く母親の増大、家庭科男女共修の導入など)に促されて、男女平等的な意識の転換が一定進行したが、問題の1998年を転機とする「平成不況」による社会の深刻な保守化に対応して、日本の青年の男女平等意識(とりわけ「男らしさ、女らしさ」や「母性本能」などの本質認識)は劇的に後退して、以来「失われた二十数年」、日本の青年はいまだにその未熟な泥沼から脱出できない現状にとどまっている。ぼく自身もかつて、青年はいつも親世代より進歩的・革新的な存在と誤解していたが、この長年のアンケート調査の体験を通して、青年はじつは尖端的な存在で、社会が保守化した場合は、青年の方が親世代よりむしろ保守(パープリン)化することを、ようやく理解できるようになってきた。
 いずれにしても、女男平等意識にこだわる青年にとっては、日本という国はおよそ「先進国」ではなく、男女平等度ランキング、世界136か国中第105位(13年)という「超後進国」であり、そういう未熟な民主主義の国で生活しているために、自分の平等意識にはかなり問題があると自覚するように(とりわけ女子大の講義では)勧めている。
なぜ1998年に劇的な変化が生じたのか。少し注意して新聞紙面を繰ると、かなりの期間、毎年「自殺十何年連続3万人超」の記事が続いたが、98年は、じつはその「自殺3万人超」が始まる年である。つまり98年は、「平成不況」が民衆の身近な体験・出来事となり、リストラや失業が身近に迫り、自殺が日常化する年である。そして翌99年に「国旗・国歌法」が成立し、「改正労働者派遣法」(非正規労働)が施行された。今日、誰の目にも明らかとなった現代日本の「格差社会」への道が決定的に開かれ、社会も深刻な保守化・右傾化をとげるスタートの年となった。
「貧すれば鈍する!」という諺のとおり、人は生活が貧しくなると確実に保守化して「自分は日本人」とか「自分は男」であるという意識にしがみつき、「排外主義的ナショナリズム」(「在特会」の「朝鮮人を殺せ」などと連呼する「ヘイトスピーチ」問題)や「男らしさ、女らしさ」の神話に固執する傾向が出てくるようである(安川は、2012年7月の国民生活基礎調査の「生活苦しい」世帯61.5%という数字と、同年末の衆議院議員選挙結果は見事につながっている、と分析している)。
 法制定当時には政府自身が「強制はしない」と表明していた「日の丸・君が代」の学校教育による強制は、確実に進行している。アンケートにみる高校卒業式の光景を近年の数字で見ておくと、埼大では「日の丸」は、「ステージ中央」に飾られるが84.2→78.9→75.9→75.3%→79.4%(椙山では60.9→55→53→56→64%)、「壇上の三脚」が10.5→16.8→20.5→15.5→14.3%(椙山では37.0→40→20→19→29%)、「なし」が5→3→2→6→6%(椙山25→4%)。「君が代」は、「ピアノ伴奏」によってが、埼大では55.6→67.4→73.2→28.9→38.8%(椙山では91.3→79→73→69→68%)、昨年「ブラスバンド演奏」の36.1%が急増の印象(今年19.4%)。「曲だけテープ」が25.0→15.8→15.9→19.6→22.5%(椙山では6.5→11→13→0%)、「歌詞つきテープ」が11.1→13.7→11.0→14.7%で斉唱されている(椙山では7→0→4%)。なお、椙山ではブラスバンド演奏が19→11%、校歌のみ6%、「君が代」なしが6%。教育現場に疎いので、分析しかねているが、埼大の昨年「歌詞つきテープ伴奏」と「曲だけのテープ」の合計28.9%→37.2%、三分の一足らずが、「君が代」演奏についての抵抗の姿勢なのか、と考えてみた。なお、集計中の印象として、「ブラスバンド演奏」の学校の場合は「生徒の大半が唱和」が少し多くなっているように思えた。
 生徒の「大半が唱和」しているが、埼大では53.8→75.8→67.1→68.0→66.7%(椙山では58.7→60.5→66.7→31→71%)、「約半数」が埼大では25.6→20.0→24.4→17.5→15.9%(椙山では28.3→28.9→20.0→56→4%)、「大半が唱和せず」が埼大で20.5→4.2→8.5→5.2→15.1%(椙山では13.0→5.3→6.6→6→21%)という光景であり、目下、この光景は、東京都や大阪に象徴される行政の圧力による急速な変貌の途上にある。
 「教え子を戦場に送らない」をスローガンとした戦後民主主義教育によって、小学校五年の敗戦から中学・高校・大学の卒業まで一度も「君が代」を歌うことを求められたことのない世代の私には、信じられない光景である。軍国主義教育と戦後民主主義教育の両方を体験した私自身は、天皇統治を賛美する憲法違反のふざけた「君が代」は、拷問にかけられても二度と歌わないと決意する青年として、戦後、自己を形成してきた世代である。大相撲やプロ野球中継などで、テレビやラジオから「君が代」が流れてくると、今でも必ず消音する「悲しい」抵抗の世代である。もちろん大相撲・プロ野球観戦の場での「君が代」斉唱にも立つはずがない。

おわりに─戦後民主主義教育の抜本的な見直しを
 最後に私の個人的な関心による設問で目をひく数字を紹介しよう。福沢諭吉が先導した明治以来のあらわなアジア蔑視思想(安川『福沢諭吉のアジア認識』高文研、参照─中国語訳に続いて、韓国語訳も刊行)の存続の事実に、学生に気づいてもらうために、「紅白歌合戦は在日抜きには成り立たない」と「朝日新聞」が2001年に報道した機会に、山口百恵、美空ひばり以下13名の在日韓国・朝鮮人系のスターの名前を列挙して、この中で彼らが「在日」であることを知っている者は何人いるかを尋ねてきた。学生の大半がその名前を知っている有名スターの13名であるのに、「在日」と認識できた人数の平均はわずか0.7名(埼大では0.95→1.39→1.7→2.3→2.0人で、68%→59→68→44→44%の学生がゼロ人)に過ぎなかった(「在日」の名大生は13名全員を認識。埼大では一昨年2名、昨年4名、今年3名が全員を「在日」と認識)。「韓流ブーム」の一定の広がりもあって、「在日」が必ずしもマイナス・イメージでなくなる方向に日本の社会も次第に動きつつあるのか、と思っていたら、昨今の「朝鮮人を殺せ」「朝鮮人首吊れ」と呼号する「ヘイトスピーチ」事象は、その真反対の激流である(今年、新設した設問で、その「ヘイトスピーチ」に共感する埼大生が19.5%という数字は、私にとっては衝撃である)。
 ついでに、福沢諭吉が「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と主張した思想家であるという、戦後民主主義を代表する丸山眞男(東大教授)がつくりあげた福沢諭吉神話=「丸山諭吉」神話は、かつて名大新入生のじつに92%もが信奉していた。それから十数年後の2010年の社会科教員の組織である歴史教育者協議会の全国大会の基調講演を安川寿之輔が担当するという、意外な出来事があり、「福沢諭吉神話」もようやく揺らぎ始めている。一昨年以来新設の調査で、福沢諭吉が人間平等論(天賦人権論)を主張した思想家と思わない学生が、埼大で一昨年33.3%、昨年34.0%(椙山で13.3→10.7%)もいたのに驚いた。

 同様の驚きの体験で、2014年9月、インターネット報道メディアのインディペンデント・ウエブ・ジャーナル(IWJ)社の岩上安身(社主)の福沢諭吉についてのインタビューを受け、生まれて初めて9時間半におよぶロング・インタビュー取材を体験した。同社は9月16日から、その内容をまるごと3夜にわけて放映し、さらに視聴者の要望に応えて、同じものをDVD3枚にして発売した。この場合、安川や(後述の)杉田聡の福沢論を熱心に読み込んで、的確な問いかけをした岩上安身の端的な問題意識は、いま日本社会を深刻に汚染している「ヘイトスピーチの元祖が福沢諭吉ではないのか?」という思いであった。
 こうした虚構の福沢諭吉神話の揺らぎ、崩壊の機運を促進するために安川は、今年秋から数年間、日清戦争以来の日本の戦争責任・植民地支配責任決済の象徴として、福沢の1万円札からの引退を促す「三者合同講演会」の全国ツアーを開始する。安川以外のメンバーは、学生の大半が知っている1億3千万冊のベストセラー・マンガ『美味しんぼ』原作者の雁屋哲と、(「買い物難民」の造語者)杉田聡・帯広畜産大教授(哲学)である。三人が、戦争責任意識が超希薄な戦後日本社会の現実的な変革にどこまで寄与できるかは、見ものである。

 「従軍慰安婦」をめぐる「アジア女性基金」が旧日本軍性奴隷自身の意志と金大中韓国大統領などの対応によって破綻したように、戦後日本の社会は、侵略戦争と植民地支配の戦争責任問題を基本的に放置してきた社会である。その体質が歴史教育にも反映され、戦後日本の平和教育は、侵略と加害の視点が弱く、全体として「戦争で大変な目にあった」という被害の視点に偏向してきた。だから、その辛かった「15年戦争」がやっと終わって民衆がホッとした8月15日は(開戦日を知らない)学生にもしっかり伝えられ、過半数の学生(埼大は78.4→77.9→66.3→70.1→83.2%─椙山は26.7→31.3→39.3%)が「敗戦日」を記憶しているのに、肝心の侵略戦争の「開戦日」は、2000年以来、誰も答えられないという奇妙な事実は、既述した。
 戦後日本の民主主義教育は、敗戦の日までの尊厳神聖な天皇絶対崇拝の教育にかわって、(「朝鮮人は無気力無定見」「チャンチャン・・・皆殺しにするは造作もなきこと」などと)アジアへの蔑視・偏見と侵略戦争推進を強力に先導した福沢諭吉を「偉大な民主主義の先駆者」として謳歌する教育に変わっただけである(安川『福沢諭吉と丸山眞男』高文研、参照)。同様に、「戦後民主主義」は、身分・性・障害の三重の差別の胴元である象徴天皇制という形容矛盾の「天皇制民主主義」(ジョン・ダワー)を許容し、なによりも主権者意識の未確立を意味する戦争責任問題を放置した、そういうあまりにも大きな限界をもつ(性別役割分業も性差別と認識できなかった二分の一)民主主義であるという認識が、いま切実に求められている。
 「教育基本法」がすでに改悪され、安倍内閣のもとで、憲法改正・戦争国家への爆走が策動されている危機的な今だからこそ、以上のようなきびしい視点からの、戦後民主主義と「民主主義と平和」教育の抜本的な見直しが必要であると考えて、あえて私は、現代日本の学生像の否定的な側面(?)の摘出に努めた。1993年のわだつみ会編『学徒出陣』(岩波書店)の分担原稿を、同じアンケートの分析結果を踏まえて私は、「いま日本の社会は戦後ではなく、まちがいなく戦前をむかえている。」と結んだ。

その前年に、「第二次大戦で学友の三分の一をなくした」大崎平八郎は、『戦中派からの遺言』(新評論)を刊行して、「われわれ戦中派世代の不幸は」、時代の状況を分析する「知的能力をもっていなかった」ことと書き、現在の日本の学生についても、大学の学生組織が再び戦前同様に消滅か機能マヒ状態になっているのに、学生たちが「こうした状況を当たり前のことと思い、別に不思議に思わなくなっている最近の状況は、われわれ・・の時代とよく似てきている」と書き残した。

 
(やすかわじゅのすけ 近代日本思想史研究家)
 

備考:本稿は、安川寿之輔さんが、2014年4月に埼玉大学・椙山女学園大学の学生向けに執筆したものを、一部縮小して、安川さんが発行しているミニコミ誌『さようなら!福沢諭吉』創刊準備2号に掲載したものであり、「公共空間X」に掲載するにあたっては、安川さんの了解を得た。なお、安川さんが発行する無償提供のミニコミ誌『さようなら!福沢諭吉』を希望される方は、「公共空間X」の「窓口」によりお問い合わせください。

 
(pubspace-x1933,2015.05.05)