病の精神哲学 補論1 魂はどこにあるのか 2018/12/16 by 高橋一行 No comments 高橋一行 魂(Seele)はどこにあるのか。すでに本稿第2回において、カントが心(Gemüt)の病に対して、異常なまでに固執していることを指摘したが(注1)、そもそもその魂はどこにあり、どのようにして存在 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(八)――明治維新期の「世直し一揆」 2018/12/10 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (七)より続く。 十一、日本近代成立期の「民衆運動」 この連載の(六)で、<民衆が政治上に於て一つの勢力として動くという傾向が1905年の日比谷焼き打ち事件により始ま Continue reading →
生き物語- 自然は尋常ではない! 晩秋の陽だまり【秀明菊(シュウメイギク)と石蕗(ツワブキ)】46話 2018/12/02 by W No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 枯葉舞う木枯らし吹く晩秋 寒む風にそよぎながら咲き誇る 陽だまりの 白い花 黄色い花 秀明菊 &n Continue reading →
大人の慢心・子どもの白心 2018/11/25 by 森忠明 No comments 森忠明 子どもは世界をひっくるめて断言できるほどの時空を閲していないし世界を知性化する必要も興味も大人ほどにはない。その子どもの謙抑さ、素身さを無制約者的なプラスと見、文学作法の基点と考えるとすると、 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(七)――なぜ昭和の「超国家主義」の起源を民間・民衆のもとに探るのか 2018/11/18 by 相馬千春 One comment 相馬千春 (六)より続く。 十、(補論)昭和の「超国家主義」の起源を探るための論点整理 連載の(5)と(6)では、島薗進の所説を検討したのですが、ここでは、島薗が「昭和の超国家 Continue reading →
リーメンシュナイダーからドイツ・ルネサンスを考える(上) 2018/11/12 by 藤井建男 No comments 藤井建男 素晴らしい景色の中の偉大な歴史 ティルマン・リーメンシュナイダー(1460~1531)はドイツ・ルネサンス期の彫刻家である。 ドイツ中南部、フランケン地方を南北に走るロマンチック街道は、ドイツ Continue reading →
生き物語- 自然は尋常ではない!45話「胡桃(くるみ)の木」 2018/11/03 by W No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 深夜のワンコの散歩でいつもは通らない道を たまたま気分を変えて行ってみましたところ 都会では珍しい鬱蒼と茂った樹がポツンと大きな影を落としていました 下には黒い実が枯葉 Continue reading →
洗練と土俗 2018/10/29 by 積山 諭 No comments 積山 諭 先日、スペインのソプラノ歌手、モンセラ・カバリエが亡くなられました。私は特にファンだったわけではありませんが、手持ちのCDを聴き、その声の見事さに、あらためて鍛えられ、 Continue reading →
「安住の地はどこに、、、2」田島和子(KAZUKO TAJIMA) 展ー8 2018/10/21 by T No comments 田島和子(KAZUKO TAJIMA) 紛争地帯 34,5 X 26 Cm 新聞 アクリル 水彩 キャンバス Refugee Continue reading →
カトリーヌ・ポッジ――ポール・ヴァレリーの非対称な鏡像 2018/10/15 by 永倉千夏子 No comments 永倉千夏子 <位置づけ> 思想と生涯とは、本来切りはなして考えるべきものかもしれない。たとえば、およそ個人史というものを否定したヴァレリーなら、そう考えるか、むしろ後者を削 Continue reading →