涙かくしのサングラス 2018/04/21 by 森忠明 No comments 森忠明 都立田園調布高校の数学教師・西潟にしがた泰やすしが拙宅にやってきて、「2学期、文学志望の生徒に講演してください」と言った。ノーギャラのようである。互いに十六歳の春、都立五日市高校で出会ってよりの付 Continue reading →
病の精神哲学 7 - カントの目的論 – 2018/04/13 by 高橋一行 No comments 高橋一行 6より続く 再度、目的論と実在論の関係について書く。まず目的論とは、自然や歴史の諸事象は目的によって規定されているという見方を指す。そ Continue reading →
マーラーの音楽 2018/04/06 by 積山 諭 No comments 積山 諭 突破(Durchbruch)とは、テオドール・W・アドルノがマーラーの作品を解くキーワードである。『マーラー 音楽観想学』(法政大学出版 龍村あや子訳)で、龍村氏は次の Continue reading →
「木木の囁き」 生き物語ー自然は尋常ではない!38話 2018/03/30 by W No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 白黒を反転しました 既視の世界とは異質な表れ ただならぬ気の立ち上り 不可視の存在 ナント 感性を揺さぶられることか!!! & Continue reading →
立川ワールドをめしあがれ -森忠明『タチカワ誰故草』を読む- 2018/03/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 森忠明にとって、エッセイは作者と等身大の人物を主人公にする童話であり、童話は作者と思しき少年を主人公にするエッセイである。どちらも立川 Continue reading →
病の精神哲学6 実在論から目的論へ 2018/03/17 by 高橋一行 No comments 高橋一行 5より続く ジジェクはドゥルーズを論じた本の中で、私が前回取り挙げたボグダーノフの主張にドゥルーズのそれが近いのではないかと言 Continue reading →
「戦前回帰」を考える(六)――島薗進<明治体制の「顕教」・「密教」>論を検討をする 2018/03/16 by 相馬千春 No comments 相馬千春 (五)より続く。 九、「天皇の神として信奉」が明治国家体制の「顕教」なのか 1.前回の要点を確認する 前回、島薗進の「国家神道」論、「教育勅語」論を検討しましたが、私 Continue reading →
病の精神哲学5 人間が生まれる前に自然は存在したのか 2018/03/10 by 高橋一行 No comments 高橋一行 4より続く 17世紀のデカルト以降、主観と客観の関係が問われ、そこから意識が分析される。それは認識論的転回と言って良いものである。それ Continue reading →
「薄情息子」と母は言う 2018/02/27 by 森忠明 No comments 森忠明 細江英公氏の〈銀座の乞食の母子〉という写真を見て思いだすのは、五十年前、私が立川二小一年生のとき、通学途中に目にした母子?乞食の姿である。 今の曙橋交差点、NAITO鞄店寄りに黙座していた。母であろう人は三十 Continue reading →