菅内閣による日本学術会議会員任命拒否問題に関する声明

2020年10月08日

 

科学者倫理を考える会

代表 石塚正英

 

   10月1日、菅義偉首相が日本学術会議の会員候補の任命を拒否するという一件が公表されました。また、この問題で、内閣府が安倍政権時と菅政権発足直前の9月上旬の2度にわたり、内閣法制局に対し、日本学術会議法の解釈を問い合わせていたことも判明しました。
   さて、暴挙ともいえる今回の出来事、憲法(23条)違反的問題は、長年にわたって学術研究に注目してきた我々にすれば、日本における学問の自由をめぐる重層的な対立の一部であるように思われます。
2020年10月1日付で菅義偉首相に任命された日本学術会議の新しい会員(同会議が推薦した候補者105名)中、安全保障法関連法案などに反対する憲法学者、歴史学者ほか6人は除外されました。その理由は開示されていませんでした。加藤勝信官房長官は「首相が会員の⼈事等を通じて⼀定の監督権を行使するということは法律上可能」と述べました。
   この出来事を議論するについて、我々は、前以って、少なくとも以下の3つの対立構造を考慮する必要があると考えます。
➀政府(任命権+監督権?)vs学術会議(推薦母体)
日本学術会議は、日本学術会議法に規定されているように、政府から独立した組織(「法」3条)であり、学問を支える2大権力の一つです。この法は、対政府および対研究者一般に関わる諸刃の剣です。とくに、学術会議が「優れた研究又は業績がある科学者」(「法」17条)についての候補選定、現会員が次期会員を推薦するというコ・オプテーション方式にかかわる規定(「内規」6条)が問題です。
②学術会議(官許アカデミズム・公務員)vs基準外研究組織(アカデミズムの辺境・越境)
100人未満(「規程」1-3)で年報機関誌なし(「要件及び手続」2-4)の研究機関は、大規模な学協会をしたがえ国家公務員の資格をもった日本学術会議の連携基準外で、そもそも蚊帳の外です。
③専門研究者(学位、学閥、アカ・ポス)vs非常勤・在野研究者(自力の研究者)
専門機関に常勤職を得ていない、いわば未組織研究者(「要件及び手続」注)は、これもまた蚊帳の外です。日本学術会議の情報など届かない、エンゲル係数の高い研究環境に置かれた研究者にとって、学問の自由とは、いったい何を意味するでしょうか。
   さて、今回の暴挙に対する我々の直接的な対応は、菅内閣に任命拒否を撤回させることです。その方向に全力を傾注することが肝要です。ここにおいて我々が日本学術会議にまつわる上記3点に言及するのは、任命拒否の撤回行動を鈍らせるためではありません。そうではなく、日本学術会議をとりまく対立軸を一対一というように短絡的に評価してはならないからなのです。また、別の表現をするならば、「学問の自由」を多様な要素要因から捉えよう、ということなのです。科研費分配など研究上の利権・利便をめぐって、文科省(教授会自治の弱体化たる2015年学校教育法改正etc)と学術会議(官許権威の象徴)の意向に逆らえない、といった諦めや忖度が学界や研究機関に根付いてしまっては、元も子もありません。その点をきちんと議論しておきたいのです。我々は、菅内閣による今回の暴挙を、学問の自由にかかわる様々な諸問題を相対的に考える契機に出来れば、と思っています。その上で、今回は、上記の3対立構造のうち、なによりも➀の対立を、②③の問題解決に向かって吟味することが優先されます。
   よってここに、菅内閣に対し、任命拒否は学問の自由を踏みにじる重大行為として抗議し、憲法と日本学術会議法に基づいて、遅延なく 6名の任命を行うよう、強く求めるものであります。なお、我々はこの声明を、菅内閣に向けてのみでなく、すべての科学者、科学に関心を有する人々に向けて発します。

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参考資料➀:日本学術会議法(抄)
第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
3 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。
第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
  一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
  二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。
第一七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
   
参考資料②:日本学術会議関係文書(http://www.scj.go.jp/index.html)
日本学術会議憲章
日本学術会議法
日本学術会議会則
日本学術会議協力学術研究団体規程
日本学術会議協力学術研究団体の指定に係る必要な要件及び手続
日本学術会議の運営に関する内規
日本学術会議会員候補者及び連携会員候補者の推薦依頼書
   
参考資料③:科学者倫理を考える会の紹介
2014年上半期、科学者倫理に抵触する事件が起こりました。万能細胞の新種「STAP細胞発見」であります。この事件は、技術者倫理・科学者倫理の側面からみると、①万能細胞自体がもつ倫理的問題と、②研究者・技術者がクリアしなければならない倫理問題と、ダブルの問題を含んでいます。そのうち①は、STAP細胞の存在が証明されれば解決するという性質のものではありません。ダブルのうち②は、なるほど技術者・研究者個人の倫理にとどまらず、当該大学のコンプライアンス、分子生物学界全体の研究者倫理として、あるいは理化学研究所の企業倫理として徹底追及されねばならないでしょう。けれども、②は①と比べれば解決の容易な部類に属します。②は技術者倫理・企業倫理のレベルにあります。これに対して①は、近代文明論的・科学技術文明的倫理のレベルにあります。深刻なのは、①の倫理問題なのです。万能細胞とその研究開発それ自体は倫理的に問題なし、とする立場を再三再四疑ってかからなければならないのです。
『老子』に「足るを知る者は富む」とあります。分相応のところで満足することのできることが心の豊かさの指標になる、という意味です。ここにいう「分相応」を、多様な生き物の一つである人間に相応しい、としてみましょう。そうしてみると、現代人は、その格言とは裏腹に、20世紀後半から今日に至るまで、破竹の勢いで進展してきた科学イノベーションの過程で、永遠ともいえる欲望実現と身体的不老をもとめ、その衝動に突き動かされて自然を収奪してきました。醜悪な人間中心主義の顕れであります。あるいはまた、現代人は、眼前の快適な生活を追い求めて生み出した数々の廃棄物を、後代の人々に残しています。〈子どもの世代を苦しめてまで長生きしたい〉傾向の黙認です。万能細胞とその技術は、個としての人間の病弊・障害を克服するのに必要なものではあります。しかし、同時にそれは、類としての人間の身体的不老を追求する技術としては、倫理的に許容されるものではありません。科学者の担う技術者倫理は、生命倫理と環境倫理、それに情報倫理、あるいは人間学的倫理(観)に下支えされているものであるのです。
科学者倫理を考える会は、そのような近代文明論的・科学技術文明的倫理の問題意識をベースとした倫理の研究・提言・普及を目的としています。(2020年10月08日)
   
【声明公開後の補足】
 公開後、ただちに以下の内容の意見を受けました。(☆1)今回は政権批判の内容だけに縛るべきだ。(☆2)学術会議に対する問題指摘は、その意図がどうであれ、政府やそれを擁護する勢力が批判をかわす材料として利用する。そうした意見を受けることは、当然ながら予測していました。しかし、本声明の②③はいつでも検討の場に置かれなくてはなりません。日本学術会議第一回総会で発された声明「日本学術会議の発足にあたつて科学者としての決意表明(声明)」(1949年1月22日付)に記されている「科学者の総意の下に」にある「総意」を文字通りに受け止めるからです。100名未満の研究機関所属者や未組織研究者もまた「科学者」であり、日本学術会議の連携基準外に置かれるのは学術会議の設置理念に反すると思うからです。例えば会員の選出方法で見れば、現行の推薦制から発足時の公選制に戻すのが理想に近いのは、言うまでもないことでしょう。
 また、学術会議に対する問題指摘には、二面があります。一面は今回の菅内閣との関係です。これは法律違反の嫌疑を持たれている内閣と同罪でない限り、指摘に価しません。もう一面は創立70年になる学術会議内部(組織運営など)に関する指摘です。これは会員選出方法などいくつか考えられます。けれども、それは政府やそれを擁護する勢力が批判をかわす材料にしようがしまいが、きちんと改善するべき問題であって、むしろ等閑に付す方が間違っています。(2020年10月12日)
   
(いしづかまさひで:科学者倫理を考える会)
   
(pubspace-x7977,2020.10.15)