〈日本の知識層におけるリアリズム喪失〉という問題 2021/07/06 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(六) 相馬千春 1.「兵学的リアリズムでパワー・ポリティクスの波を乗り切る」――幕末の武士たち 前回は日本的な<わたし>というものがどのようなもの Continue reading →
花見/初夏―森忠明『ハイティーン詩集』(連載19) 2021/06/30 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 花見 一週間もごぶさたしたビルの建築風景のように 彼の心は易く癒いえている 強い風のあとから天気雨で 閉め忘れの木戸はおとなしく濡れてい Continue reading →
主体の論理(6) 否定性から出現する主体(1) 2021/06/28 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの『真ん中の部屋 ヘーゲルから脳科学まで』の第2章は、フランスにおけるヘーゲル受容がテーマである。それは、ハイデガーによって開かれ、J. イポリット、A. Continue reading →
遊園―森忠明『ハイティーン詩集』(連載18) 2021/05/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 遊園 うまい物を食べて帰ろう 珍芸の犬たちも辛くなったらしいし 切符をもぐおねえさんの口紅も褪せかかった あと十年もしてお Continue reading →
主体の論理(5) ハイデガーの政治的主体論 2021/05/01 by Ω No comments 高橋一行 1933年、43歳のM. ハイデガーはフライブルク大学総長に選出されるとすぐにナチスに入党した。これは歴史的な事実である。この問題をどう考えるか。つまり20世紀最大の哲学 Continue reading →
週末―森忠明『ハイティーン詩集』(連載17) 2021/04/30 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 週末 若いのだ ということ 不覚といえばそれだけで おれもやはり土曜は半どんで多少多く愛するだろう 旅にでれば哀しい過去の Continue reading →
日本的な〈わたし〉の問題 2021/04/28 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(五) 相馬千春 (四より続く) 1. 近代日本における「主体的契機」の転換 明治以降の日本は西欧文明の導入に努めてきたわけですが、そ Continue reading →
此所―森忠明『ハイティーン詩集』(連載16) 2021/03/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 此所 此所へ何をしに来たか 鳩尾あたりの皮膚を眺めていると おれにはおれの意義が また わからなくなる あと Continue reading →
主体の論理(4) 厄介なる主体 2021/03/01 by Ω No comments 高橋一行 前回、バトラーの性的主体理論を扱った。そこで最後にジジェクの『厄介な』におけるバトラー批判に触れている(注1 Continue reading →