失う日―森忠明『ハイティーン詩集』(連載24) 2021/11/30 by Ω No comments 小詩集『おれは森忠明だ』(1967) 寺山修司編 森忠明 失う日 八月の西陽にしびの中で 便所の手水ちょうずがぷっつり切れたのが 失意の手はじめだった 俺はもともと ポケットを Continue reading →
(続)「武士のエートス」とその喪失を考える 2021/11/25 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(八) 相馬千春 (七より続く) この連載のサブタイトルは「リベラル・左派の何が問題か?」なので、「武士のエートス」とその喪失というテ Continue reading →
夏―森忠明『ハイティーン詩集』(連載23) 2021/10/31 by Ω No comments 小詩集『おれは森忠明だ』(1967) 寺山修司編 森忠明 夏 立川基地拡張反対を叫ぶビラと外人ヌードショウの引札を一枚ずつ握った優しい父親が帰ってきて Continue reading →
主体の論理(10) 女の主体 ― C. マラブーと円地文子に触発されて ― 2021/10/04 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの新著『抹消された快楽 クリトリスと思考』はもうその題名を見ただけで、私の手に負えるものではないと Continue reading →
四月―森忠明『ハイティーン詩集』(連載22) 2021/09/30 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 四月 何から何までおどろくほど 心機一転だ 鉄道も走るよ 何もかもだ 長身の男よおまえは どうする * 寒い四月 私立大学のスクールバス Continue reading →
主体の論理(9)身体は主体か、客体か 2021/09/21 by Ω No comments 高橋一行 谷崎潤一郎の「刺青」という短編をM. フーコーが論じている。小説の粗筋は以下の通りである。時は江戸、まだ「世間がのんびりして居た時分」、清吉という名の腕利きの刺青師(ほり Continue reading →
「武士のエートス」とその喪失について考える 2021/09/20 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(七) 相馬千春 1. 「兵学的リアリズム」を支えるものとしての「武士のエートス」 前回、幕末・維新期の武士たちの「兵学的リアリズム」について触れましたが、「兵学 Continue reading →
終息―森忠明『ハイティーン詩集』(連載21) 2021/08/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 終息 優しい院長! 乳と血の芳香と共に忘れない貴殿のやさしみ 「家庭の医学」の指摘どおり死は登りつめ 隣のベッドのケイコさ Continue reading →
主体の論理(8) エーテルから生まれる主体 2021/08/20 by Ω No comments 高橋一行 1. エーテルは純粋存在である エーテルはヘーゲル論理学における純粋存在であるという主張がある(加藤尚武1988)。これは単に比喩として成り立つという話ではなく、ヘーゲル Continue reading →
恋着―森忠明『ハイティーン詩集』(連載20) 2021/07/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 恋着 愛を告げることも難しいけれど その愛を受けることも難しいものです と リエコさんは言ったが Continue reading →