身体の所有(1) 武道について

高橋一行

 
   「身体の所有」という題で新しい連載を始めたい。題を見ると、また所有の話かとか、身体まで所有するつもりかとか、所有に拘るなんて相変わらず時代遅れだということになるのだが(これは実際そう言われたことがある)、私としては、これは明確に他者論であるということ、そして他者というのは偶然に出会うものであり、私が如何にして私の身体に偶然出会ったのかという話をしたいと思う(注1)。
   つまり身体についての考察を以下に展開するのだが、まずは私自身のことを書こうと思う。身体について考える際に、最も示唆を与えてくれるのは自らの身体であり、また私の接する周りの人たちの身体だからだ。そのため、このシリーズの最初の数回は、私自身の体験談とそこから得られた帰結について書く。第一回目は武道、とりわけ空手について書きたい。
 
   子どもの頃から私はひ弱であった。中学、高校とクラブ活動はしていない。スポーツに親しむ余裕などまったくなかったということを示すために、以下のことは書いておきたいと思う。まず中学2年までは、学校から帰って来ると、犬と鶏の世話をするだけで、退屈な日々を過ごしていたという記憶しかない。また私は中学を卒業したら寿司屋に丁稚奉公に行くつもりだった。周囲の大人を見れば、中学を出て働くのは自然で、そのことについて深く考えることはなかったのである。ところがいろいろと周りが慌ただしくなって、夜逃げをして一家離散ということになり、将来のことをまじめに考えればやはり高校に行くべきと思って、中学3年生からは受験勉強をする。すると勉強が面白くなって、高校入学後も勉強を続け、そのうち文学に目覚めて、以後は文学青年である。
   かくして大学は文学部に入り、身体的に強くなりたいという強い欲求はあるのだが、しかし大学の体育会に入る訳にもいかない。そう思って過ごしているうちに、間もなく大学は中退してしまい、結婚をして、昼間は小説を書き、夕方から学習塾のアルバイトをするという生活になって、少しだけ時間の余裕ができ、たまたま知り合った人に誘ってもらって、玄和会という空手道場に入れてもらう。そこで正味2年半ほど頑張ったのが、私の最初の武道の体験である。20代の前半だ。
   この時の体験は本当に大きなものである。まず私は素材に恵まれないものだから、蹴りをすべく足を上げようとしても高く上がらない。軸足で身体を支えることもできない。数か月の間は、何でこんな苦労をしなければならないのかと思いつつも、しかし空手の達人になれたら格好良いだろうという思いは強く、何とか続ける。
   この頃は、週に2回道場に通っていた。また月に一度、日曜の午後を使って、いくつかの道場が集まって開かれる合同練習もある。年に一度の夏合宿にも参加した。あとの日は家で突きと蹴りの稽古をする。スクワットや腹筋、拳立てもして、何とか空手の基礎的な動きができるようになる。そしてこのまま続ければ初段を取って黒帯になるという目標が現実的なものになり始めたときに、大学に入り直したいという気持ちが出てきて、已むなく空手は止めてしまう。
   2回目の大学は物理学科を選んだ。20代半ばで、大学に入る前に長女が生まれ、在学中に次女が生まれ、卒業してすぐに長男が生まれるという有様だったから、妻が稼ぐだけでは生活できず、昼は子どもを背負って大学に行き、夕方からは学習塾の仕事をし、夜は高校生の通信添削の仕事をしていた。空手などをする暇は到底ない。また大学を卒業したあとは、昼は予備校で教え、夕方から深夜まで、自ら経営する学習塾の仕事をしていた。運動はまったくせず、酒量は増える。30歳を過ぎて大学院に入り、仕事はさらに忙しく、子育てにも追われ、身体は醜く太るばかりである。
   しかし幸いにも36歳で大学の助手に採用されて、塾も予備校も辞めて、気持ちの上で余裕ができ、その後たまたま沖縄空手の師匠に出会い、弟子入りをしたのである。
   30代後半から始めた空手は、しかし最初の10年間はかなりいい加減である。道場は週に2回あったが、大学の仕事は結構忙しく、週に1回行かれれば良い方だったと思う。まもなく2年間、アメリカとドイツに出掛ける機会があり、その時はまったく空手をすることがなかったから、その空白を挿んでの10年は、空手の稽古をしていると人に言えるほどのものではなかった。
   本気で空手に取り組み始めたのは、と言っても私のできる限りでの話なのだが、40代も終わりに近付いた頃である。弟(おとうと)弟子たちが、定期的に沖縄に出掛けて特訓を受けるようになる。若き日の師匠が稽古をした道場である。私も誘われて出掛けたのだが、2日間の練習で、最初の日は脱水症状を起こして倒れてしまうし、翌日は全身筋肉痛で身体が動かないという、凄惨な体験をした。しかし沖縄には空手の達人が何人もいらして、一緒に稽古をさせてもらえるだけでもありがたいと、これは強く思う。それ以降、私は年に3回程度は沖縄に行くようになった。金曜の夜の最終便で那覇に行き、月曜の朝の最初の便で東京に戻り、羽田からそのまま職場に直行するというスケジュールである。また沖縄から帰京すると、しばらくはその刺激が残っていて、週に1、2回の道場での稽古のほかに、家の近くの公立の体育館に出掛けて、ひとり稽古に黙々と励む。また近所を流れる川の土手を走り込む。そういう経験を、これは10年余り続けてきたのである。
   その後師匠は定年を迎えて東京での仕事を辞め、故郷に帰ってしまう。弟弟子たちも、大学院を終えて地方に就職する者、転勤する者、仕事が忙しいと道場に来なくなる者が続出して、残った数人で細々と稽古を続けていたところ、コロナ禍が襲い、沖縄に出掛けることもできなくなり、稽古の回数が激減して、今日(2022年5月)を迎えている。身体を動かすことが減った分、いろいろと思うところがあり、この駄文を綴っている。
   そういう経験を書いておくと、以下のことが説明し易くなる。以下、ふたつのことが今回のテーマである。つまり結論を先に書いておくと、ひとつは主体化ということが、またもうひとつは他者との共振が問題となる。
 
   まず修行の初期のことは特に書いておきたいと思う。その際に、身体はまずは創り上げねばならない対象である。先に書いたように、私の場合、最初は足が高く上がらない。それで走り込みをしたり、柔軟体操をして、ようやく少し足が上の方まで上がるようになる。そのあとは何万回も蹴りを繰り返して、次第に素早さと力強さが身に付く。そうやって身体が自分のものとなる。
   しかもそうやって創り上げた身体は、私そのものなのである。実際に技を使うときは、私の意志が意識的に身体を使いこなすのではない。稽古の段階においては、極めて意識的に、空手の技を身に着けるべく、身体を創り出そう、身に着けていこうとするのだけれども、ある程度技が身に付くと、今度はそれを意識しないでも使いこなせるようになるための稽古が必要だ。その時に身体は私そのものになるのである。
   また身体は他者から見ると私そのものである。組み手をする際、私のぎこちない動きは、相手から見ると、それがまさしく私なのである。私に攻撃させておいて、それをかわし、反撃する。私の動きは完全に読まれている。私はその無様な動きをする身体そのものなのである。そして一方で、相手もまた私から見れば、こいつは間合いの詰め方がうまいとか、あの素早さは敵わないという具合に、相手の身体が相手の人格そのものに見えてしまう。また彼は私よりもあとから入門したのに、いつの間にか、鋭い蹴りができるようになっていて、どう見ても私よりもうまいというようなことでも良い。身体こそが私であり、またはその人である。つまり身体は主体である。
   さらに興味深いことは、これは沖縄で達人と一緒に型の演武をしているときに気付いたことなのだが、私の身体は他者の身体と共鳴する。つまり達人と一緒に稽古をしていると、いつの間にか私自身の動きが達人と調子を合わせて、滑らかになっている。いつから私はこんなにうまくなったのかと思う。達人の呼吸に合わせて、私の身体はしなやかに動く。
   組み手をしても、相手がうまいと、その相手に技を誘発してもらえる。つまり上手な人と組むと、こちらの動きがより滑らかに、かつ力強くなる。これはまずは、私の持っている潜在的な力を相手が引き出してくれるからなのだと思う。しかしそもそもこの相手とのやり取りそのものが、武道なのではないか。相手から力を引き出してもらえる私がいて、同時にこちらも相手の力を引き出しているのだが、そもそもその相互作用が武道を形作っている。そう思うようになる。そして特筆しておきたいのは、この感動こそが私を長く沖縄まで足を運ばせた原点なのである。
   そうして今、この2年余り達人と一緒に稽古をすることができなくなって、どうしようもないほどのもどかしさを感じている。空手は人と共に稽古をするものである。一次的、部分的にひとり稽古をすることはあるけれども、基本的には師匠がいて、先輩や後輩とともに稽古をすることで身に付くものなのである。このことを痛感している。ひとり稽古をしていて、これはただ単に身体機能を衰えさせないためにしているに過ぎないと思う。武道において、私は師匠や仲間とともにある。他者がいなければ私は存在し得ない。私の身体は他者に触発されて私のものとなると同時に、身体そのものが私自身となる。私は私の身体と一体化する。
 
   ひとつ、ここから帰結されることは、武道は生涯やるべきであるということである。つまりこういう貴重な経験は大人にならないと分からないものだし、年を経るごとに実感を深めていくものだからである。また私自身がこれからもさらに感じていくべきものだと考えている。つまり今の私の課題は、どうやって武道を今後も続けるかということなのである。
   周りの人を見ていて気付くのは、ひとつのパターンは、中学高校とスポーツ系のクラブ活動を一生懸命にやって、大学に入ったらやめてしまう人が多いということだ。大学の体育会はかなり厳しいから、大学に入ってまで、そのスポーツを続けるのは無理だと思うのだろう。また高校を出てすぐに働く場合でも、そのスポーツは高校までという人は多いだろう。それからもうひとつは、大学の4年間、体育会でひたすらそのスポーツに明け暮れ、しかし卒業とともにまったくそのスポーツをやることがなくなってしまうという人もいる。何だかもったいないという気がしている。しかし日本の社会は、仕事をしながらスポーツに親しむということはなかなか許してくれない。
   スポーツと武道の違いについては、以下に書く。ここではまずとにかく私の場合、成人するまでスポーツに親しむ経験がまったくなかったのだけれども、運良く武道を始めることができ、今日に至っている。それはありがたく、幸いであったと思っている。そして青少年の時代にスポーツに親しんだ人ならば、そのスポーツを社会に出ても続けたら良いのにと思うのである。また沖縄では、子どもの時から空手を始めて、生涯空手を続ける人が多いことに気付く。沖縄では、あちらこちらに空手道場があり、多くの人が職住接近の生活をして、空手の稽古が日常に溶け込んでいると思われる。それは羨ましく思うことがある。沖縄以外の場所でも、スポーツや武道を、サラリーマンや主婦が続けていくことができないかと思う。するとそのための環境造りもまたひとつの課題となる。小中高大とどうスポーツ教育をするかということはしばしば議論されるが、それだけでなく、その後にスポーツや武道が続けられる環境作りが私の考えているところである。
 
   そういう話を挿んで、しかし以下は武道の話に戻る。スポーツについて語る資格を私はまったく持っていない。スポーツと武道は、身体を使うという点で共通していて、従って身体について語るというのが本稿のテーマであれば、スポーツから得られるものはあるはずだと思う。しかしスポーツにおいては、身体能力の強化が第一義的に要求されて、しかしそれは加齢とともに落ちていくものだから、年を取ったらまったくやらなくなってしまうということになりがちである。そこで、どうやって生涯スポーツを続けるかということについては、しかし私以外の人が論じるべきことであろう。
   一方武道は、命を守るために長い時間を掛けて受け継がれてきたものだから、それは本来生涯やるべきものなのである。そのことだけをここで確認して、以下武道の話をしたい。
   ここで武道とは、身体を通じて歴史的に形成された文化であると捉えておく。それはかつて命懸けの勝負をしなければならない時代に、自らが生き長らえる術として、その基礎が創られ、そののちに、そういう争いがなくなったときに、理念的に文化としてまとめられ、現在ではそれがかなりの程度スポーツ化されて伝わっているものである。武道がしかし、現在においては単に理念的に過ぎないとしても、命懸けの戦いの中で自らの命を守るものだとしたら、それは命が続く限り続けるものだということになる。その点でスポーツとは根本的に異なるだろう。
   そもそも個人の成長過程の中で、いつから武道を始めるのかということは環境が決めるものである。つまり偶然である。私の場合は、それは成人を過ぎてからであった。しかし還暦を過ぎてなお私は空手を続けている。このことが重要だと思う。そうして体験的に武道とは何かということを考えてきた。以下にこれをさらに理論化してみたい。
 
   ふたりの武道家の言うところを参照したい。
   南郷継正は、防具付き空手として知られる日本武道空手玄和会の創始者で、スポーツではなく武道としての空手を提唱している。またヘーゲルを独自に研究して、日本弁証法論理学研究会を主宰している。
   氏の夥しい数の著作の中で、私がここで取り挙げるのは、『武道とは何か』という著作である。ここではまず、技を創ることと使うこととを区別し、その区別と連関を捉えよということがある。私の経験でも、運動神経の良い者は、入門してすぐに突きも蹴りもそれなりに様になるものだから、すぐに組手をしたがる。しかし初心者が組手をしたところで、それは持ち合わせた運動神経以上のものが出てくるのではなく、それでは空手を学ぶ意義がない。まずは日常的には行うことのない突き、蹴り、受けという技を身体に覚え込まさねばならず、その上で習得した技を使いこなすべく、稽古をするのである。武道は命懸けの勝負の中で、歴史的に形成されてきたものだから、その動きは意識的に修練を積み重ねないと習得できないし、またそうやって習得すれば、自然に持ち合わせた運動能力以上の力を発揮できるものなのである。つまりそういう稽古を経て、先人たちの積み上げた技を身に着け、日常的な動き以上の動きができる。この修行の過程を主体化の問題として論理的に説明したことが、南郷理論の一番の特色だと私は考えている。
   一般に武道の達人たちの言うところを聞くと、最初から武道を自然に身に着けているかのような言辞があり、初心者、とりわけ私のように身体能力に恵まれなかった者にはかえって有害だとさえ思えるものもある。武道において、苦労して意識的に技を身に付ける過程が重要なのである。これを主体化の過程として捉え、その意義を確認したい。
   もうひとり取り挙げるのは内田樹で、彼はE. レヴィナスの研究者として知られているが、合気道を学び、武道の著作もたくさん書いている。
   内田は、少年時代は病弱で身体能力に恵まれなかったと言うが、25歳で自宅近くにあった合気道の道場に入門するという機会に恵まれる。30歳からの10年間は、これも自宅の近くにある大学の院生として、また助手として研究をしながら、本人のしばしば語るところでは、毎日、昼間はレヴィナスの著作を訳し、夕方からは合気道の道場に通うという「判で押したような生活」を「律義に守って暮らし」ていて、それを自ら「至福の修行時代」と呼ぶ(『武道的思考』p.131)。その後は、神戸の大学に仕事を得て、大学で教えながら、自ら道場を持ち、弟子を育ててきた。退職後は、85坪の土地を買って道場を作り、道場の二階を自宅にして、武道に励む日々を送っている。
   内田は、武道とは「他者と共生する技術」、「他者と同化する技術」であると言う(同 p.146)。この表現は『修行論』にもある(『修行論』 p.34)。さらには稽古をすることによって、「自我の解体、他者の受け入れ、複素的身体の構築」がなされると言う(『武道的思考』 p.244)。具体的には、形稽古において、ひとりで動くときよりも、相手と打ち合っているときの方が、動きが早く、滑らかになる。「気の感応が高まり、体感が一致する」と、ふたりの人間が作り出す動きは、「単体で動いている場合にはありえないような精度を達成する」と言う(同 p.224)。
   これはそののちに書かれた本の中では、「現代において武道が優先的に開発しているのは、この「他者と同期する能力」ではないか」と言い換えられ、武道の「稽古が他者との同期、共同的身体の形成のため」にあると言われることになる(『武道論』 p.114f.)。
   これらの本を読むと、私が言いたかったことを、実践的にも理論的にも私以上に深く的確にまとめていると思う。また長く武道の修行をして来たことと、専門のレヴィナスやラカンの考えが見事に体現されているようにも思える。
   この内田理論を、先の南郷継正の理論と比較すると、南郷のそれは主体化についての見事な理論となっている、しかしそこに他者がいないと言うことができる。指導する師の重要性は触れられている。しかしそれはあくまでも主体化を促す存在に過ぎない。確かに主体化の理論は徹底していて、かつ実践的である。それは三浦つとむに影響を受けたと言われるヘーゲル読解に基づくのであろう(注2)。そこにおいて、理論と実践は見事なまでに一致している。
   一方、内田樹において、主体化という考え方は意識的に避けられ、他者論が前面に出てくる。主体と客体という二元論は意識的に忌避されている。
   これを、ヘーゲルvs.レヴィナスの影響下にある武道論とまずは捉えることができる。思想史的に見て、近代哲学において、主体化理論を創ったとされてきたヘーゲルと、他者理論で知られるレヴィナスの対立が、ここに見られる。
   そのように捉えた上で、以下、もう少し細かく内田理論を見ていきたい。
   内田によれば、武道の修行に師は絶対に必要である。師なくして武道は語れない。つまりここで武道論は、師の理論でもある。
   内田は、武道における師の重要性だけでなく、哲学の修行においても、またそもそも人生一般について、師を得て、師に従うことが必須であることを説く。『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(以下『他者と死者』)の第二章は、「テクスト・師・他者」という題で、これはまさに師についての考察がなされている。
   ここでまず、「私たちは師に就いて学ぶことで、「他者」との出会いの原基的形態を経験する」とされている(『他者と死者』 p.55)。師としての他者との出会いが、これから先に出会うすべての他者との出会いのプロトタイプになるというのである(同 p.55)。
   ここから師に就くということはどういうことかということをさらに考えたいのだが、先にこの本の3年前に出た『レヴィナスと愛の現象学』(以下『レヴィナス』)の第一章「他者と主体」を見る。ここでもこの他者とは師のことである。「師とは私たちが成長の過程で最初に出会う「他者」のことである」と明記される(『レヴィナス』 p.25)。
   ここで内田樹自身が、レヴィナスを師と見なしているということが説明されている。つまりこの本はレヴィナスについての研究書ではない。レヴィナスの弟子を自称する内田が、「レヴィナス思想の擁護と顕彰」を目指して書いた本なのである(同 p.45)。そういう説明があって、いよいよレヴィナスの言う他者とは何かということに入っていく。
   するとそこには、ふたつのタイプの他者がある。ひとつは自己によって経験され、所有される他者である。すべての知は予め自己の内部にある。つまり私が知ろうとしていることを私はすでに知っている。もちろんこの世界には自己の理解を超えるものが存在するのだが、しかし自己は絶えず未知のものを征服しようとする。こういう知の対象をレヴィナスは「他なるもの」と呼ぶ。「他なるもの」は自己に摂取され、自己を豊かにする。
   もうひとつの他者は、「絶対的に他なるもの」すなわち「他者」であり、この他者は私に抵抗する。これは他者が予見不可能性を持っているからで、他者は私を超越しているのである。私は他者を認識することはできない。そのことを私が理解したときに、他者は初めて他者として私の前に現れる(同 p.84 – p.91)。
   この後者の他者が師である。そしてさらにそこから、師とは私には知られていないゲームのルールを知っていると想定された人間のことだと言い、弟子というのは、そのゲームのプレイヤーに気が付いたらなっている人間のことだと説明される。そしてそのゲームのルールを知りたいと望むことが欲望である。弟子の内に、「絶対的に他なるもの」に対する欲望が点火する。その際に、欲望する者、つまり弟子は、欲望されたもの、つまり師に、絶対的に遅れる。そしてこのことが武術の極意であると内田は言う(『他者と死者』 p.72f.)。
   さらにそこから主体も定義される。主体は他者に遅れて出来する。まず主体があって、他者を志向するのではなく、まず他者の接近があり、それに遅れて応答するものとして主体が到成する。主体は事後的に出来する(同 p.122f.)。
   以上が内田のレヴィナス論である。そして哲学においては、レヴィナスが内田の師であり、また武道においては、内田が25歳で入門した合気道道場の道場主が、内田の人生の生涯の師であることが、その武道論で語られているのである。
   内田が、この師についての理論=他者論を、武道の経験から得たのか、レヴィナス読解から得たのか。多分それは同時なのだと思われるが、ここでも理論と実践が見事に一致していて、それは爽快なまでにそうである。
 
   さてこの内田の哲学論と武道論を私は以下のように考えていきたいと思う。ここで私はこのレヴィナス解釈をそのままヘーゲル解釈に持ち込む。私は先ずヘーゲルを読み、次いでレヴィナスを読んで、その解釈を通じてヘーゲルを読み直すということを主張してきたのである(注3)。つまりレヴィナスの他者論を通じて、ヘーゲルの中にある他者論を戦略的に読み込んでいきたいと考えている。そしてその上で、レヴィナスを、脆い基盤の上ではあるが、しかし何とか主体化を図ろうとしている思想家であると考えている。
 
   内田は「身体を鍛える」という発想を嫌う(『修行』 p.94f.)。それは確かにスポーツ選手が筋肉強化をして、運動能力の高まったことを数値化して、そのことによって、自分が自分の身体の支配者であるという全能感をもたらすだけの話だからで、それは武道の発想ではないとして、きっぱりと退ける。その思いは理解できる(同 p.76f.)。しかしそのために、身体を主体化するという発想を全面的に拒否している。
   しかし私が達人と並んで型の演武をするときに、いつもよりも滑らかに演じられるのも、また先輩と組み手をしたときに、ひとりで突きや蹴りをするときよりも、もっと鋭い技を繰り出すことができるのも、もちろん他者である達人や先輩のお陰なのだが、しかし同時に私がまったくの素人ではできない話であって、少なくとも数年間の鍛錬を経て初めて経験できるものなのである。またその鍛錬の度合いが高まれば、他者からの働き掛けと相乗効果を発揮して、より一層私の技を高めてくれる。
   つまり主体が事後的に形成されるものであれ、他者に遅れて発動されるものであれ、いずれにしても主体化の努力もまた、重視されねばならない。
   私の経験で言えば、自分の思うように動かない身体が、ようやく思い通りに動くようになって、まずは満足していたのだが、今度は他者に触発されて、私の身体が思い掛けない動きをし始める。こんなことが私にできるのかと思う。まるで自分の身体が自分の身体でないかのようである。そういう新たな発見もある。
   ここで主体化と脱主体化は同時に起きているのである。
   身体はまずは客体としての他者であり、次いでそれは主体に取り込まれて一体化するという意味での主体化がなされ、さらに今度は師や先輩という本当の他者からの触発があって、身体も身体と一体化した主体も脱主体化する。しかしそれらの運動を通して、身体自身が主体化していると言うことができるのではないか。
   内田が相手の力を利用して相手を制する合気道の達人であり、一方私が突きと蹴りを主に相手を攻撃する空手に親しんでいるという違いがここにあるのか。それともレヴィナスの弟子を自称する哲学者の議論と、古典的なヘーゲル読解から始めて、レヴィナスなどを経由して再びヘーゲルに戻った立場からの議論という違いがあるのか。そのあたりのことは今後考えたい(注4)。
 

1 本稿は、このサイトに連載した「身体を巡る考察」(1)-(5)、及び「主体の論理」(9)-(10)に続くものである。
2 ヘーゲルの観念論を唯物論的に解釈して活用するというのが、当時、つまり三浦や南郷の本が出た時代の流行りだったと思う。
3 レヴィナスとヘーゲルについては、高橋2014 第4章を参照せよ。
4 内田は、レヴナスをラカン理論と絡ませながら、読み解いていく。その際に、ラカンの3界の内、象徴界と想像界を対比させて他者の説明をしているが(『他者と死者』 p.102ff.)、私はジジェクに倣って、現実界を重視する点で、ラカン読解は内田のものと随分と異なる。高橋2021を参照せよ。
 
参考文献 (今回は邦文文献だけなので、著者名を五十音に並べる)
内田樹 『レヴィナスと愛の現象学』文藝春秋、2011(初出2001)
—-   『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』文藝春秋、2011(初出2004)
—-  『武道的思考』筑摩書房、2019(初出2010)
—-  『修行論』光文社、2013
—-  『武道論』河出書房新社、2021
南郷継正『武道とは何か 武道綱要』三一書房、1977
三浦つとむ『弁証法とはどういう科学か』講談社、1968
高橋一行『他者の所有』御茶の水書房、2014
—-   『カントとヘーゲルは思弁的実在論にどう答えるか』ミネルヴァ書房、2021
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
 
(pubspace-x8535,2022.05.03)