ジジェクのヘーゲル理解は本物か(1) 闇と鬱 2020/03/07 by Ω No comments 高橋一行 S.ジジェクは、その単著の内30冊が邦訳されている。また共著やインタビュー集なども10冊の訳が出ている。未邦訳のものは単著で10冊以上、あちらこちらに寄稿しているものは一体 Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →
病の精神哲学6 実在論から目的論へ 2018/03/17 by 高橋一行 No comments 高橋一行 5より続く ジジェクはドゥルーズを論じた本の中で、私が前回取り挙げたボグダーノフの主張にドゥルーズのそれが近いのではないかと言 Continue reading →
病の精神哲学5 人間が生まれる前に自然は存在したのか 2018/03/10 by 高橋一行 No comments 高橋一行 4より続く 17世紀のデカルト以降、主観と客観の関係が問われ、そこから意識が分析される。それは認識論的転回と言って良いものである。それ Continue reading →
病の精神哲学4 カントとヘーゲル 2018/02/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 3より続く 本稿を3回分書いて来たが、ここで短いまとめを提出する。次回以降、さらにテーマを広げて行く予定だ。 柄谷行人は、カントの物 Continue reading →
病の精神哲学1 ヘーゲルの構想力論 2017/11/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 すでに前著『所有しないということ』の最終章において、私自身の精神哲学と自然哲学を書きたいと言い、それは「偶然の自然哲学」と「病の精神哲学」という題になるだろうということを示しておいた。いよいよ Continue reading →
「身体の使用」アガンベンを読む(5) -『他者の所有』補遺(5)- 2016/05/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (4)より続く アガンベン『身体の使用 -脱構成的可能態の理論のために-』を読む。原文は2014年に出て、邦訳が、2016年に入ってから出ている(正直に言えば、翻訳が出て、読んでみたら、私の問題 Continue reading →
ヘーゲル自然哲学の面白さ (1) 2015/08/22 by 高橋一行 No comments 高橋一行 ヘーゲルの自然哲学を、『自然哲学』と「論理学」に即して、読解して行く。 ヘーゲル『自然哲学』において、自然が時間的に発展するという考え方は、明確に拒否されている(注1)。しかし、ヘーゲルは、「自然は様々な段階 Continue reading →
ヘーゲル「論理学」の「否定の否定」と「無限判断」の解釈について――高橋一行『他者の所有』を読む① 2015/03/18 by 相馬千春 No comments 相馬千春 高橋一行氏の『他者の所有』(御茶の水書房)について、何回かにわたりコメントを書くつもりですが、初回は、高橋氏のヘーゲル「論理学」(1)の――そのうち「定在」と「定在の判断」の――解釈を扱います。 Continue reading →
ヘーゲルを読む 5-3 偶然と必然(マラブー論3) 2014/07/11 by KIT No comments 高橋一行 5-2より続く 習慣によって、魂と身体は統一された。そこで成立するのは、5-1において論じた、可塑的個体である。ヘーゲルが『美学』で論じた、内的なものと外的なものとの一致としての、可塑的個体は、また普遍性と個別 Continue reading →