Tag Archives: 森忠明

絶頂でやめたがる

森忠明      ポプラ社からファンレターが転送されてきた。葉書にボールペン字である。拙著『小さな蘭に――パパの大切なひとたちのこと――』への感想。差出人は和歌山県のMさんという、たぶん中学 Continue reading →

てめぇごしらえ考

森忠明      旧臘、古恋人を立川駅改札で見送り、彼女の姿がエスカレーターに消えると同時に私の腹に差し込みがきた。一刻を争う便意である。北口と南口のトイレは遠い。最短距離にある構内のを借り Continue reading →

大人の慢心・子どもの白心

森忠明      子どもは世界をひっくるめて断言できるほどの時空を閲していないし世界を知性化する必要も興味も大人ほどにはない。その子どもの謙抑さ、素身さを無制約者的なプラスと見、文学作法の基点と考えるとすると、 Continue reading →

「童話俗化の問題」

森忠明    昨日、NHKに出演いたしましたが、アナウンサーの明石さんが「森さん、リハーサルお嫌いでしょう」といわれました。しかし私は「いえ、ぼくは、五分毎に考えが変わってしまう男だから、リハーサルはちゃんとや Continue reading →

2DKのかくれんぼ

森忠明    前立腺を煩っている父が、しきりに便所を使うので、ゆっくり用を足せない私は、パレスホテル立川のトイレをしばしば借りに行く。シャワレット付きの伊勢丹のも重宝しているが、開店まで待てないことが多い。   Continue reading →

涙かくしのサングラス

森忠明    都立田園調布高校の数学教師・西潟にしがた泰やすしが拙宅にやってきて、「2学期、文学志望の生徒に講演してください」と言った。ノーギャラのようである。互いに十六歳の春、都立五日市高校で出会ってよりの付 Continue reading →

「薄情息子」と母は言う

森忠明  細江英公氏の〈銀座の乞食の母子〉という写真を見て思いだすのは、五十年前、私が立川二小一年生のとき、通学途中に目にした母子?乞食の姿である。  今の曙橋交差点、NAITO鞄店寄りに黙座していた。母であろう人は三十 Continue reading →