主体の論理(8) エーテルから生まれる主体 2021/08/20 by Ω No comments 高橋一行 1. エーテルは純粋存在である エーテルはヘーゲル論理学における純粋存在であるという主張がある(加藤尚武1988)。これは単に比喩として成り立つという話ではなく、ヘーゲル Continue reading →
主体の論理(7) 否定性から出現する主体(2) 2021/07/17 by Ω No comments 高橋一行 木元裕亮は、ネットに膨大な量のジジェク論を展開している(注1)。木元の論稿は、ジジェクの多岐に亘る論点を追っているが、その中で注目すべきは、ジジェクとハイデガーの関係 Continue reading →
〈日本の知識層におけるリアリズム喪失〉という問題 2021/07/06 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(六) 相馬千春 1.「兵学的リアリズムでパワー・ポリティクスの波を乗り切る」――幕末の武士たち 前回は日本的な<わたし>というものがどのようなもの Continue reading →
主体の論理(6) 否定性から出現する主体(1) 2021/06/28 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの『真ん中の部屋 ヘーゲルから脳科学まで』の第2章は、フランスにおけるヘーゲル受容がテーマである。それは、ハイデガーによって開かれ、J. イポリット、A. Continue reading →
主体の論理(5) ハイデガーの政治的主体論 2021/05/01 by Ω No comments 高橋一行 1933年、43歳のM. ハイデガーはフライブルク大学総長に選出されるとすぐにナチスに入党した。これは歴史的な事実である。この問題をどう考えるか。つまり20世紀最大の哲学 Continue reading →
日本的な〈わたし〉の問題 2021/04/28 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(五) 相馬千春 (四より続く) 1. 近代日本における「主体的契機」の転換 明治以降の日本は西欧文明の導入に努めてきたわけですが、そ Continue reading →
主体の論理(4) 厄介なる主体 2021/03/01 by Ω No comments 高橋一行 前回、バトラーの性的主体理論を扱った。そこで最後にジジェクの『厄介な』におけるバトラー批判に触れている(注1 Continue reading →
主体の論理(3) 性的主体の論理 2021/02/05 by Ω No comments 高橋一行 本稿は、J. バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読解し、性的主体の確立について論じる。 &n Continue reading →
「日本におけるリベラル左派の長期的退潮の原因は何か?」という問い 2021/01/01 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(四) 相馬千春 1. 「リベラル・左派の何が問題か?」(一)、(二)、(三)のまとめ & Continue reading →
中島正の思想研究序説―その著作目録と都市論に対する序文 2020/12/02 by Ω No comments 田村伊知朗 第1節 都市という概念の歴史 社会的な主要産業が農業であるかぎり、都市の発展は限定的である。もちろん、前近代においても商業は必然であり、統治機構は都市を必要としていた。し Continue reading →