主体の論理(4) 厄介なる主体 2021/03/01 by Ω No comments 高橋一行 前回、バトラーの性的主体理論を扱った。そこで最後にジジェクの『厄介な』におけるバトラー批判に触れている(注1 Continue reading →
主体の論理(3) 性的主体の論理 2021/02/05 by Ω No comments 高橋一行 本稿は、J. バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読解し、性的主体の確立について論じる。 &n Continue reading →
「日本におけるリベラル左派の長期的退潮の原因は何か?」という問い 2021/01/01 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(四) 相馬千春 1. 「リベラル・左派の何が問題か?」(一)、(二)、(三)のまとめ & Continue reading →
中島正の思想研究序説―その著作目録と都市論に対する序文 2020/12/02 by Ω No comments 田村伊知朗 第1節 都市という概念の歴史 社会的な主要産業が農業であるかぎり、都市の発展は限定的である。もちろん、前近代においても商業は必然であり、統治機構は都市を必要としていた。し Continue reading →
主体の論理 (2) 当事者研究とは何か 2020/12/01 by Ω No comments 高橋一行 「主体の論理」というテーマで話を続けたい。今回は補論に入れるべき事柄かもしれないと思う。 当事者研究とは、2001年に北海道の浦河べて Continue reading →
主体の論理 (1) フロイトの事後性について 2020/11/07 by Ω No comments 高橋一行 この古色蒼然たる題名は、しかしM. フーコーやJ. ラカンやJ. バトラーの理論が私たちの共通認識になったと思われる現在において、あらためて意義を持って来るのではないかとい Continue reading →
近代日本で「個人」と「市民社会」は成立したのか? 2020/09/24 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(三) 相馬千春 1.はじめに 前回の末尾では以下の諸点を述べておきました。すなわち、<晩年のマルクス(「ザスーリチ Continue reading →
リベラル・左派にとって民衆と「前近代」は啓蒙の対象でよいのか? 2020/08/15 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(二) 相馬千春 1.近代日本教育の産物としての「リベラル・左派」 前回は、日本のリベラル・左派の低迷の背景に、<日本の「リベラル・左派」のセ Continue reading →
7月16日、参議院予算委員会での参考人・児玉龍彦氏の発言記録 2020/07/19 by Ω No comments 鳴海游 新型コロナについては、先に「これからの「対コロナ戦略」を考える――児玉龍彦氏の提起を踏まえて」で、5月16日時点での児玉龍彦氏(東大先端研)の提起(「コロナと闘う戦略図」 Continue reading →
日本のリベラル・左派と民衆のギャップを考える 2020/07/11 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(一) 相馬千春 はじめに――都知事選の結果を受けて 今回の都知事選、立憲民主党と共産党、社民党が支持した宇都宮健児は84万票 Continue reading →