身体の所有(8) メタバース、または共有する身体(2) 2023/02/08 by Ω No comments 高橋一行 伊藤亜紗は、けん玉をバーチャルな空間でトレーニングするという話を紹介している(伊藤2022 p.2ff.)。ヘッドマウントディスプレイを装着してバーチャルな空間でけん玉を Continue reading →
CSIS「中国の台湾侵攻の図上演習」の「要旨」を試訳する 2023/01/16 by Ω No comments 相馬千春 岸田政権は防衛政策を大転換させて、敵基地攻撃能力の獲得を始めとした軍備拡張に乗り出しました。こういう情勢になると、市民にとっても軍事問題を考えることは避けて通れない Continue reading →
身体の所有(7) メタバース、または共有する身体 2022/12/14 by Ω No comments 高橋一行 メタバースは情報化社会が進展することで生まれた。それは私たちが現実世界とは別の世界を持つことができるということを意味する。 ひとつはゲーム業界が Continue reading →
身体の所有(6) 食人について 2022/11/21 by Ω No comments 高橋一行 檜垣立哉と雑賀恵子を参照しながら、食について書いてきた。彼らはそこから食人に言及する。今回はその食人について書きたい。 食人はなぜいけないのか。 Continue reading →
身体の所有(5) 毒を喰らう、または消化と排泄 2022/10/27 by Ω No comments 高橋一行 旅行記と言えば、どこでおいしいものを食べたとか、珍しいものを飲んだといった話になる。私はそういう話は好きで、自分でも書いたことがある(注1)。しかし今回は趣向を変えて排泄 Continue reading →
身体の所有(4) 笙野頼子または性のない身体 2022/10/11 by Ω No comments 高橋一行 「水晶内制度」(2003)は、私が笙野頼子の小説の中で最初に読んだものであり、これは幸運だったと言うべきである(注1)。傑作である。笙野は夥しい数の作品を書いているが、そ Continue reading →
身体の所有(3) コロナ禍の身体 2022/08/15 by Ω No comments 高橋一行 現時点でコロナ第七波がピークを迎えたものの、感染者数が下がる気配はなく、まだまだコロナ終息を宣言するには程遠い。しかしお盆を迎えて、帰省ラッシュも始まり、3年ぶりに人の動 Continue reading →
身体の所有(2) 野口整体または気について 2022/05/26 by Ω No comments 高橋一行 シリーズ第2回目も、私の体験から話を始める。 高校生の頃、学校から帰るとほぼ毎日地元の公立図書館で過ごしていたのだが、その時に、野口晴哉の書いた Continue reading →
身体の所有(1) 武道について 2022/05/03 by Ω No comments 高橋一行 「身体の所有」という題で新しい連載を始めたい。題を見ると、また所有の話かとか、身体まで所有するつもりかとか、所有に拘るなんて相変わらず時代遅れだということになるのだが(こ Continue reading →
デモクラシーの契機としての「精神的貴族主義」は可能か(一)-ヘーゲルの「ストア主義」論 2022/03/29 by Ω No comments 相馬千春 先に掲載した「リベラル・左派の何が問題か?」の(七)と(八)では、主に丸山真男によって「武士のエートス」とはどんなものかを見たのですが、それを通して逆に、近・現代の日本が Continue reading →