量子力学という科学の非科学性―〔メソフィジカル・バース〕の提唱

石塚正英

 
 
   本格的な研究が開始し成果が認められてから100年あまり経過した研究分野、量子力学について話題にします。100年前のアインシュタインと同様、私は数年前からこの分野に強い疑念を懐き、社会哲学者として探究しています。その経過を以下の拙稿群に記してきました。「量子力学に対する文明論的疑義―アインシュタインとシモーヌ・ヴェイユ」(2023年3月、拙著『原初性に基づく知の錬成』社会評論社、2023年所収)、「地中海的ハビトゥスと量子世界観―ブローデルとブルデューを参考に」(同年10月、拙著『原初性漂うハビトゥスの水脈』社会評論社、2024年所収)、「量子世界は半自然世界(メソフィジカル・バース)である」(2024年6月、『頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要』Vol.9/No.11)ほか。
   その調査研究の過程にあって、連日のように読んできた量子力学関連の文献中で、典型的な勘違い議論・論点すり替え議論に、私は出合うべくして出合いました。ジム・アル・カリーリ、林田陽子訳『見て楽しむ量子物理学の世界』(日経BP社、2008年)です。本書は、量子力学で最大の摩訶不思議であります「量子の非局所性とからみ合い」につき、それは実験によって証明できると力説しているだけで、なぜそうした現象が繰り返し生じるのか、その原因や根拠の説明になってはいないのです。反対に、量子コンピュータを筆頭とする技術開発面での成功が特記されています。まずは、その第4章マイケル・ベリー「不思議な結びつき」から引用します。
 

ほとんどの物理学者は、測定されるまでは、粒子は確定した位置も運動量を持っていないと言います。この考え方だけが可能なわけではありませんが、何らかの種類の非局所的なコミュニケーションが行われなければならないということは間違いありません。つまり、パートナーの粒子が受けた測定の種類が何であったのかが、状態を乱されていない方の粒子に即座に伝わっていることに、疑いの余地はありません。
   パラドックスは次のようにして「解決」されます。すなわち、二つの粒子は相互作用したので、それらはその後「からみ合う波動関数」によって表され、その運命は二つの粒子がどんなに遠く離れてもつながっているのだ、と。一方の粒子の何らかの性質を測定すると波動関数全体が収縮し、二つめの光子は即座にそれに対応した性質を与えられます。実に簡単ではありませんか?
   今日では、量子の非局所性とからみ合いはもはや哲学的な論争ではありません。それらは量子の世界の重大な特徴として受け入れられています。実際、多粒子のからみ合いは量子論の先駆者たちがまったく予想しなかったまったく新しい技術の開発につながりました。同上、119-120頁

 
   ベリーは、「量子の非局所性とからみ合いはもはや哲学的な論争ではありません」と言い切りました。けれどもここに、文明論的な領野から量子の超自然的振舞いに関心をもつに至った私がいるのです。その振舞いが生じる原因、根拠に限っては、「からみ合う波動関数」は何も解明してくれないのです。
   次に、前掲書と同じ著者が関わっているジム・アル=カリーリ/ジョンジョー・マクファデン著、水谷淳訳『量子力学で生命の謎を解く(Life on the Edge : The Coming of Age of Quantum)』(SBクリエイティブ、2015年)を読んでいて、以下の記述に接しました。
 

量子もつれについてはまだ説明していなかった。それは量子力学のなかでもおそらくもっとも奇妙な性質だ。いったん一緒になった粒子どうしは、互いにどれだけ遠くに引き離されても、魔法のように瞬時にコミュニケーションを取れるのだ。たとえば、一度は接近していたがその後遠くに引き離され、宇宙の互いに反対側に持っていかれた粒子どうしも、少なくとも原理的にはずっと結びついている。ここで一方の粒子にいわば何かちょっかいを出すと、遠くはなれた相棒が瞬時にびっくりして飛び上がる。量子もつれは量子力学者の開拓者たちが方程式から自然な形で導き出したものだが、その意味するところはあまりにも風変わりだったため、ブラックホールや時空の湾曲を導いたアインシュタインでさえ受け入れようとせず、「不気味な遠隔操作」と呼んでバカにした。「量子神秘論者」もたびたびこの不気味な遠隔作用に興味を示し、テレパシーなどの「超常現象」はこれで説明できるなどという突拍子もない主張を繰り広げている。アインシュタインが疑念を持ったのは、量子もつれが相対論に矛盾しているように思えたからだった。相対論によれば、どんな影響や作用も空間内を光の速さより速く伝わることはできない。アインシュタインいわく、互いに遠くはなれた粒子どうしが、瞬間的に伝わる不気味なつながりなど持っているはずはないのだ。しかしその点ではアインシュタインは間違っており、いまでは実験によって、量子的粒子は確かに長距離の瞬間的な結びつきを持ちうることが分かっている。同上、15-16頁

 
★石塚注記:実験で証明されたのは、「長距離の瞬間的な結びつき」に関する方法的事実だけです。そうした不思議事がなぜ生じるのか、原因や根拠は未解明のままなのです。アインシュタインの疑念は発生原因が不明な事態をも含んでいるはずです。それから、量子もつれ現象をテレパシーなどの超常現象に関連付ける発想を「突拍子もない主張」と批判していますが、不気味な量子もつれの原因を解明しようともしない現状では、大いに参考になる主張であります。
   肝心なのはすなわち、科学に必然的に伴う、不可避の非科学性を認識し前提にできるか否か、です。私は、先端科学研究に関わる人々に対して、文明論的探求心・向学心の有無を問うているのです。思うに、量子もつれの原因を探るのは量子物理科学者には不向きであります。そのための学問的動機を持ち合わせていない研究者が散見されるのです。高邁な、と形容して遜色ないその討究は、現状では自然哲学や科学哲学の領域における文明論的探究者に課せられるテーマなのでしょう。
   冒頭に記したように、この数年、私は幾度となくアインシュタインの主張に即して量子力学を批評してきました。けれども、そろそろここらで、わが量子論批評の真なる目的を述べておいた方がいいと思います。むろん、これまでも折に触れて指摘してはきましたが、ここでは明示的に語りましょう。〔量子もつれ〕の原因解明を巡って量子力学の不完全性(非科学性)を批評していますが、100年たっても解明されない諸事情こそが私のポジティブな着目点なのです。その事情解析にこそ、量子力学・量子物理学の将来性が備わっているのです。
   さらにもう一点、コメントの俎上に載せます。クリース、ゴールドハーバー著、吉田三知世訳『世界でもっとも美しい量子物理の物語―量子のモーメント』(日経BP社、2017年)に以下の記述が読まれます。
 

量子力学の意味を明らかにすることの難しさ、つまり、馴染み深い世界とその要素に量子力学を結びつけるにはどうすればいいかを見出すことの難しさは、20世紀前半の知識人らが抱えた大きな問題の一つだった。科学者でない人々に量子力学の物理や数学を教えようとしても、そんなことは長期間の厳しい訓練なしには不可能だろうが、その概念に含まれる問題や謎を描き出し、芸術家や文筆家が量子力学とのあいだに確立した結びつきを追跡することは可能だ。同上、18頁

 
★石塚注記:「馴染み深い世界とその要素に量子力学を結びつける」方法として、私は、〔メソフィジカル・バース〕理論を構築したのです。詳しくは、冒頭に列記した拙稿中、「量子世界は半自然世界(メソフィジカル・バース)である」を参照願いたく思います。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kfa/9/11/9_1/_article/-char/ja
   ここでは拙稿の説明を省略して、前掲書『世界でもっとも美しい量子物理の物語』からの引用を続けます。
 

歴史家のベティー・ダブスとマーガレット・ジェイコブは、「ニュートン的モーメント」は「現在、ほとんどの西洋人と、一部の非西洋人が暮らしている、物質的かつ精神的で、工業的で科学的な宇宙、すなわち、『近代性』と呼ぶのがふさわしいもの」を提供したと述べる。それは、迷信―特殊な、アニミズム的な力や能力への信仰―を弱体化させた。(中略)「なぜ」を尋ねるすべての質問に力学的・数学的な答えが存在するという事実は、宗教を信じる人々を守勢に追い込んだ。/それにもかかわらず、ニュートンは、文学や音楽から政治理論、哲学、そして神学に至るまで、文化のほぼすべての領域に対して、強力で決定的な影響を及ぼした。同上、34-35頁

 
★石塚注記:「量子のモーメント」は、「ニュートンのモーメント」の真逆な効果を産み出すだろう。後者は②ニュートン科学的世界観が①アニミズム的観念要素を追放したのに対して、前者は③量子もつれ(entanglement)的世界観が②ニュートン科学的世界観を追放することとなる。その際、〔量子もつれ〕はジェームズ・フレイザーが樹立した共感呪術理論の宇宙拡張版に相当する点に注視したい。つまり、大ざっぱに括ると、振舞いにおいて③は①に接近しているのである。アインシュタインは、それを見越したように〔量子もつれ〕は不気味だと感じて量子力学研究から遠ざかったのです。けれども、私にすればその不気味さこそ、〔メソフィジカル・バース〕理論の確立にまたとない素材を提供してくれるのです。量子力学の将来性は、③から①への転回に見通すことができるのです。前掲書『世界でもっとも美しい量子物理の物語』からの引用をさらに続けます。
 

量子力学は微視的な領域において、ニュートン物理学に代わる理論となった。この量子の歴史の第二段階に入ると、ニュートン的世界と対照的なものとして、量子の「世界」を語ることができるようになった。まるで、異なる法則によって支配される、異なる世界が二つあるかのように。この新しい領域は、ニュートンの世界に比べれば、風変わりで、摩訶不思議にさえ見えた。同上、41-42頁

 
★石塚注記:「量子力学は、ニュートン力学では説明できなかった現象を説明し」はしたが、ニュートン的世界にはありえなかった新奇の現象、非局所性と瞬時性という現象、すなわち〔量子もつれ〕現象の発生根拠を解明できない、という難問に出くわしたのです。そこで私は、ニュートン的世界を〔フィジカル・バース〕におき、〔量子もつれ〕世界をそれから切り離して〔メソフィジカル・バース〕に組み入れたのです。右図〔存在圏(バース)の3類型〕をご覧ください。〔メソフィジカル・バース〕は一方の足を自然世界(実体)におきつつ、他方の足を観念世界(メタフィジカル・バース)においています。「メソ」とは、そういう中間的現象・立ち位置を指します。ナノスケールにある量子は波と粒子の性質を併せ持ち、同時に複数の場に併存し瞬時に同一の動きをします。瞬時の移動でなく、瞬時の同時多発です。そのことを確認しない限り量子は存在していない、あるわけでもないわけでもない、という理解です。先に挙げたアル=カリーリ/マクファデン『量子力学で生命の謎を解く』にはこう書かれています。
 

ミクロな世界で、粒子が同時に二つのことをし、壁をすり抜けたり、不気味なつながりを持ったりと奇妙な振る舞いをすることができるのは、誰にも見られていないときだけである。ひとたび観測されたり何らかの方法で測定されたりすると、その不気味さを失い、身の回りに見える古典的な物体と同じように振る舞うようになるのだ。同上、17頁

 
   これはまさしく「メソ」の特徴なのです。上に示した図〔存在圏(バース)の3類型〕の3区分中、bにおける「象徴物」は、ここでは量子にあたります。c(自然)+b(量子)=量子(力学)世界、となるわけです。その際、量子世界は必ずや古典世界(c)に根を持つことになるのです。(2024.09.28記)
 
(いしづかまさひで)
 
(pubspace-x12056,2024.10.05)