「ラカンを通じてヘーゲルを読み、ヘーゲルを通じてラカンを読む」『他者の所有』補遺(6) 2016/06/13 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (5)より続く ヘーゲル『法哲学』を読んで、ヘーゲルの所有論を探っている。するとその論理は、「論理学」の、肯定判断、否定判断、無限判断で言い表され、その最後の無限判断が最も所有の論理を言い当てて Continue reading →
路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして(その三) 2016/05/30 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 (その二)より続く。 4. 自然との調和 ここでの自然概念には、人間的自然も包摂されている。人間は様々な欲求を持っている。その欲求に応じて、その外観も異なる。人間 Continue reading →
路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして(その二) 2016/05/27 by 田村伊知朗 2 comments 田村伊知朗 (その一)より続く。 3. 公共交通の結節と公共交通路線網の維持のための技術 本邦ではほとんどないが、ドイツでは都市内交通ではなく、都市間交通として路面電車が利用 Continue reading →
「身体の使用」アガンベンを読む(5) -『他者の所有』補遺(5)- 2016/05/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (4)より続く アガンベン『身体の使用 -脱構成的可能態の理論のために-』を読む。原文は2014年に出て、邦訳が、2016年に入ってから出ている(正直に言えば、翻訳が出て、読んでみたら、私の問題 Continue reading →
路面電車による市民的な公共空間の形成――ベルリン市とハレ市の日常的空間における事例を中心にして(その一) 2016/05/23 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 1. はじめに 本稿は、日常的空間において路面電車が果たす役割を考察する。とりわけ、ドイツ連邦共和国(以下、ドイツと略)におけるベルリン市とハレ市の事例を媒介にしながら、この問 Continue reading →
「福沢諭吉神話」解体の道のり・補遺1 ――「東大病」症候群(?)との闘い 2016/05/13 by 安川寿之輔 No comments 安川寿之輔 「丸山眞男の支持者」や東京大学関係者が、安川の福沢研究の成果をもっぱら黙殺・無視する傾向があるが、これは、現在の日本の学界の汚点の一つと考えている。そこで、原則として、下記の私の諸著書で言及している件を中心 Continue reading →
演劇時評(3)――「素敵な世界」T1Project 2016/04/28 by ハンダラ No comments ハンダラ 以下のURLで示したT1プロジェクトを主催する友澤 晃一氏は、TV台本などを200本以上も手掛けてきたが、今作は50本目の舞台脚本・演出作品だ。3月22日から27日迄中野のThe Pocketで Continue reading →
現代ギリシャ文学ノート(3) ――エーゲ海とその変容(オディッセアス・エリティスについて)―― 2016/04/22 by 茂木政敏 No comments 茂木政敏 エーゲ海 愛 無数の島々 その泡立つ舳先 夢の鷗どり いや高きマストに水夫の揺らす 歌 愛 その歌 旅の水平線 こだまする郷愁 濡れそぼつ岩に許婚者の Continue reading →
後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その三) 2016/04/14 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 (その二)から続く 4.公共交通の復権への具体的前提 本節では、この市民意識の変容において触媒的役割を担った要素、つまりその実体的根拠に触れてみよう。官僚機構にお Continue reading →
生き物語ー自然は尋常ではない!14話「冬枯れの蔦・アブストラクト」 2016/04/13 by 若生のり子(NORIKO WAKO) No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . わこう のりこ (Artist) (pubspace-x3153,2016.04.13)