「ライシテという言葉を発してはいけない」- イギリスから(8) -

高橋一行

(7)より続く
 
 16年前の今日、9.11と呼ばれる事件が起きる。私はその時、カリフォルニアにいた。そしてその日を境に、アメリカが劇的に変化していく様を観察していた。一言で言えば、強いアメリカ、安心できるアメリカが、テロとの戦いに巻き込まれ、自信を喪失して行ったのである。恐ろしいまでに人気のなかったブッシュ大統領が、この日からカリスマ性を帯び、アメリカは戦争に突入していく。それから8年経ち、私の見るところ、ブッシュ大統領への反動で、オバマ大統領が誕生する。そしてさらに8年が経って、またその反動でトランプ大統領が生まれる。2016年、アメリカは、再び世界を大きく変えたのである。しかし最初の兆候は2001年にあった。この年から世界が変わったと思う。
 さてそれがヨーロッパに影響し、2015年、2016年と、ヨーロッパも激変する。それは今や、世界史的なレベルでの大変動が進行しているのではないかという風に、イギリスに来る前の私には思われた。それは、ピレンヌが言うように、古代ローマを終わらせたのは、ゲルマン民族の大移動のせいではなく、8世紀に地中海世界にムスリム(今回、イスラム教徒をこのように表記する)が広がったからであり、また中世が終わったのは、キリスト教徒が、十字軍の戦いを通じて、イスラム文化に触れたからであって、それによって、そこに保存されていた、古代ギリシア、ローマの文化を再評価したからである(「ピレンヌとトッドのイスラム観 -宗教とナショナリズム(4)-」2015/02/19)。今、世界全体でみると、キリスト教徒の人口よりも、ムスリムのそれの方が上回りそうな様相を見せていて、それは数十年以内に確実にそうなり、また多くのムスリムが欧米諸国に押し掛け、欧米諸国の価値観で成り立っている近代の原理を脅かすだろうと思う。ただしかし、それはもしかしたら、数十年後に世界がそうなるのかもしれないという話であって、この半年間、日々、ヨーロパの内部にいて観察する限り、そうなるにはまだまだ時間が掛かると思う。
 要するに、変化は大きいのだが、まだ大変動が来ているという感覚ではない。今後もムスリム移民は増え続け、ある段階で閾値を超えるだろう。しかしその閾値がどのくらいのところにあるのか、またその値を超えて大幅な質的変化が起きたら、一体どうなるのかということはまだ現時点では、見えていない。もう少しそれが見えるのに、時間が掛かりそうなのである。
 またすでに書いたように、ムスリムは確実に近代化しつつあり、しかしそのために却って今は原理主義が台頭し、社会は混乱する。そこに欧米の無理解が加われば、テロは容易に起きる。そして残念ながら、まだそれらの状況を超えたあとの、新たなムスリムの原理は見えて来ない。今回の滞在を私はまもなく終えるのだが、そこで得られたのは、そういう結論である。
 
 ヨーロッパの大きな変化は2015年と2016年にあり、2017はその延長上で、それらの問題を整理すべく、フランス、イギリス、ドイツに選挙があった。そうまとめることができるのではないか。そして各国とも、当面は現状を維持するのである。
 EUの将来は、結局イギリス、ドイツ、フランスの国内事情が決めるというのが、前回の結論だった。そしてそれぞれの国の政治の現状を私は分析して来た。最終回は、それぞれの国の移民や移民の子孫や、それらを巡る国民の反応について、状況をもう一度整理したいと思う。
 
 具体的に言えば、以下のようになる。まずフランスから始める。シャルリ・エブド新聞社への襲撃事件があったのが、2015年の1月。これにフランスが、いささかヒステリックに反応する。同年11月にはパリのコンサート会場などで爆破事件があって、130人の死者が出ている。翌年7月には、ニースの花火大会に、トラックが暴走して突っ込むという事件が起きている。
 そういうテロに際して、フランスが、言論の自由を守れという建前を掲げて、そこにライシテの原理をあらためて打ち出して来たのである。フランスのライシテについては、すでに何度も書いて来ているが、フランスの特殊な国民国家成立の事情から生まれた原理であるライシテを、あたかも人類普遍の原理であるかのようにフランス人は見做すのである。つまり19世紀初頭までは、カトリックが、政治や教育の場を支配しており、それに対抗して、共和国の原理を確立すべく、戦いが始まり、そして百年、いや、20世紀も入れて、二百年掛けて、フランスはライシテの原理を確立したのである。それはカトリックから離れるための原理であるが、今度はそれを、弱者のムスリムに押し付ける。政祭一致のムスリムにライシテを適用しようとするのは、苛め以外の何物でもないと私は思う。特殊フランスの原理をなぜムスリムにまで当てはめられる普遍的な原理だと見做してしまうのか(「フランスとアメリカの宗教観 - 宗教とナショナリズム(1) -」2015/02/06)。
 一方で、ムスリムを排斥する極右の運動が起きる。そうすると、少数の過激なムスリム排斥派と、自らを正統だと自認する多数派の、陰湿なムスリム苛めと、そのふたつしかフランスにはないのかと、いささか陰鬱になる。
 そこへ、ちょうどその時期にフランスに滞在していた同僚と話す機会があり、フランス人には、ライシテの持つ偏狭な排他性、差別性に苛立って、そういう言葉は使わないという人たちもいるという話を聞く。特に大学では、ライシテという言葉は発してはいけないと言われる。ライシテを掲げて、ムスリム苛めをする政府を腹立たしいと思う人たちがいるのである。そういう話を聞くと、まだまともな感覚もあるのだと思い、希望がほのかに見えて来て、さてそれでは、2017年にフランスはどうなるのかと思い、今年の春にごく短い期間、出掛けて行く。
 そこで見たのは、しかし選挙においては、ライシテがどうのという、面倒なことはいささかも議論されず(これは選挙なのだから、当たり前だ)、極右勢力の台頭に対して、反極右勢力の連合ができて、マクロン大統領が誕生するという事態であった。それはフランスの健全さを示すというより、何ひとつ問題は解決はしていないのだが、結論を先延ばしにし、数年は現状維持を選ぶという選択に過ぎない。
 
 一方ドイツは、2015年春から生じた大量の難民に対応せざるを得なくなり、同年9月にメルケル首相は、ハンガリーで滞留していた難民に国境を開放する。そうして一日当たり一万人以上の難民がドイツに殺到する。
 反移民を掲げるペギーダが誕生したのは、2014年の秋だが、2015年、2016年と急激にその支持者を増やして行く(「PEGIDAまたは、反イスラムのデモについて - 宗教とナショナリズム(5) -」2015/03/14)。
 今や、その運動は過激である。ここでも、この時期にドイツに滞在していた同僚と話すと、とにかく排斥運動の激しさは増していて、反移民排斥運動もまた過激化し、社会が分裂し、対立を深めている。日に日に暴力沙汰が増える。いわば内紛状態になっている。
 2015年の大晦日の夜に、ケルンなどの大都市で同時に起きた暴行事件も、その真相はあいまいだが、国民の反移民感情を高めるのには十分な事件であった。
 そうして、ここでも2017年は、何らそういう状況を改善せず、対応できないままに移民は増え、社会はそれに反発し、しかし政治は現状維持を選ぶ(ことになると、現時点で私は予想する)。
 
 さてイギリスは、すでにEU域外の移民の制限にはある程度成功していたのに、EU内のポーランドなどから来る移民の増大に反感を持つ人たちは多く、ついに2016年6月に、EU離脱の選択をする国民投票がある。そうすると2017年は、ここでもやはり、単に昨年に決められた方針を確認して、それを先に進めるという年に過ぎない。
 そのあたりをもう少し詳細に見て行く。イギリスは、ケンブリッジにいると、あとで書くように、中国人の多さに圧倒されて、ムスリムやポーランド移民の現状が見えて来ない。と言うのも、ここは大学町で、かつ観光客も多く、アジア系、特に中国人はたくさんいるが、彼らは移民ではない。
 それでロンドンを歩いてみる。ふたつのことに気付く。ひとつは、移民は固まっている。これはイギリスに限らず、世界のどこに行っても、また日本人を除く世界のどこの国の人たちも、異国で固まって住む。それはすぐに見て取れる。もうひとつは、例えばロンドンの東側とか、北の一部に特にムスリムが多く住んでいるのだが、そのあたりの地区は、元々、ユダヤ人だとか、アイルランド系移民が多くいたのである。マイノリティーたちが、ロンドンの下町地区に固まって住んでいた。そこに、ムスリムという、新たなマイノリティーが住み始め、それらの地区では、元々いたマイノリティーを上回る人口になってしまった。そういう構造がある。要するに、新移民は、先祖代々イギリスにいるという人たちが多く住む町には来ない。イギリスの、弱いところに入り込む。そこで、古い移民と新しい移民の対立が出て来る。ポーランド系にしても同じで、彼らは固まって住む。英語ができない人が多いのだから、そうやって助け合わないと生きて行かれないので、それは当然のことだ。そうして古い移民から排斥される。
 だから、結果論なのだが、反移民感情はイギリスにも強くあり、そこにフランスやドイツでの事件の話が入って来て、ますますそれが強まり、さらに元々あったEU懐疑論、つまりEUからイギリスへ主権を取り戻せという運動と相俟って、イギリスがEU離脱を選択するのは必然的であったように思われる。
 保守党、労働党それぞれの問題もあった。保守党は、後の首相メイをはじめ、多くがEU残留派だったのに、一部がEU離脱を叫び始め、それが2016年に入ると、一気に加速してしまう。保守党内の内紛とも言うべき事態がある。さらに労働党も、党としてはEU残留のはずなのに、党首コービンは、内心ではEU離脱派だったと言われる。少なくとも、積極的にEU残留を、離脱を望んでいる労働党の多くの支持層に訴え掛けようとはしなかった。これは大きな問題で、私はコービンを信用していない。2017年の総選挙においてもそうで、EU問題をできるだけ争点にしたくないという、これはしかし保守党との差異をこの点で強く打ち出せない以上仕方ないのだが、しかしイギリスにとって一番重要な問題は、やはり選挙で明確に、本人及び政党の立場を打ち出すべきだと思う。
 さてそういう事情があって、2016年に、EU離脱が決まり、2017年は、その結論を確認するだけの話だ。大きな変化はない。
 
 しかしそれよりも先に変化が起きているのは、中国の欧米への影響で、中国の場合は、エリートと金持ちと、その家族や関係者が、大挙して欧米諸国に押し寄せ、特に有名大学に集まり、また土地を買い漁り、さらには高級ワインまで独占し始めている。EUを離脱するイギリスは、その中国との関りをますます深めようとしている。そこから、中国の影響力が大きくなればなるほど、それに反比例して、日本の存在感がなくなるということを私は指摘して来たのだが、それは指摘したというよりも、私にとっては恐怖なのである。
 そして中国国内で進行している少子高齢化社会は、相当に深刻な影響を中国経済に与えるだろうから、数十年後のあり得べき像は、エリートはますます国外に逃亡し、国内では大衆が困窮するというものだ。それが世界にどう影響するか。そしてそのころには、ムスリムはますますその人口を増やす。そのふたつのことが、どう交差して、どう世界を変化させるかということなのである。そこが読めない。近代化しつつあるとは言え、そう簡単には資本主義的なエートスを持たないであろうムスリムが、その人口だけを増加させて、一体どうなるのかということが私の関心事だけれども、そこがまったく読めない。これはしかし、あと数年で、予測が付く程度には、何か見えて来るかもしれない。
 何度も書いたが、夏休み、学生のいなくなった大学街を席巻しているのは、高校生の集団で、つまり彼らは大学見学に来ているのである。そしてその大部分は、中国人である。街の目抜き通りと言うべき、有名なカレッジの集まっている、ほんの数百メートルを歩くだけでも、30人位の中国人の集団が、それは小学生、中学生であったり、高校生であったり、中高年の集まりだったりするのだが、その集団が10余り、そして家族連れというのも案外多く、総計数百人の中国人とすれ違う。その感覚は何と言うべきか、世界がすっかり変わってしまったと言うべきか。間もなくこの街の学生の半数は中国人になり、この街を訪れる観光客の8割は中国人になるだろうという、私の予測が極端な、誇張されたものでなく、確実にその通りに実現されるだろうということだ。
 もうひとつここに暮らしてみて感じるのは、イギリスはドイツよりもアメリカに近いということだ。例えば、ゴミの収集にしても、ドイツはできるだけゴミを出さないように、肉や野菜を入れるパックや紙袋を節約しているのだが、ここイギリスは日本やアメリカと同じく、無駄な包装が多く、自炊をしていると、たちまちゴミで溢れてしまう。またゴミの分別もドイツは徹底していて、街中にゴミ箱があり、そこでは、ワインの瓶も、白と青と茶色で、分けて捨てている。しかしここイギリスでは大雑把な分け方しかしていない。さらにドイツでは、店は夕方早くに閉まり、日曜は完全に休むのに、そしてアメリカでは日本と同じく、24時間営業の店で溢れているが、ここのマーケットは、朝7時から夜11時までやっているというところが多い。生活の仕方が、イギリスはドイツよりはアメリカに近いのである。
 もっとも、最近は、ドイツやフランスでも、中国人移民が増え、彼らは勤勉だから、夜遅くまで営業する店が増えたという話があり、そういう意味で、世界は均質化していくかもしれないとは思う。均質にアメリカ化して行くのである。
 要するに、イギリスはドイツと付き合うよりは、アメリカと元々感覚的に近いのだから、そちらとの付き合いを重視し、経済的には中国とやって行くという道を選んだのである。そしてまた、ドイツやフランスでも、中国人の移民、留学生、観光客は増え、また彼らの、つまり一部移民と富裕層の生活習慣のアメリカ化も進んでいるのである。世界のアメリカ化に中国人の進出が大きな役割を果たしているというのが、私には面白いと思われる。
 
 1990年代、中国経済が伸びて来ると、私たちは(欧米のリベラル派は皆そうだったと思うのだが)、いずれ中国でも中間層が育って、次第にリベラル民主主義になるだろうという期待があった。しかし、エリートと貧困層の格差はますます開き、中間層は育たず、海外で博士号を取る人たちは膨大な数に上るのだが、彼らは欧米のリベラリズムは学ばず、自分の国に戻って出世をする。国内の需要を喚起せず、消費を促さず、海外に金をばら撒き、海外での発言権を増して、声高に自己主張をする。そうしてそこに、急激な少子高齢化が進み、格差はますます広がる。外国での発言力は大きくなるが、国内はますます逼迫する。
 すると私の今後の予測は、まずはイギリスを失い、移民をたくさん抱えて、身動きの取れないドイツやフランスが先に沈んで行き、まだ今後しばらくはアメリカと中国の勢いは続き、イギリスはEUよりも、そちらとの付き合いを選ぶ。それは当面はうまく行くと思う。世界はアメリカ化し、外国における中国人の影響はますます増えるからだ。しかしすでにアメリカもかつての勢いはなく、中国も何度も書いているように、長期的には衰退するだろう。
 イギリスはEUとともに没落するという道を選ばず、過去の栄光を背にして、少しつずつ衰えて行くアメリカと組み、不安定な中国を相手に、静かに沈んでいく道を選んだのである。
そしてそれよりも先に急速に存在感を失いつつある日本が心配だというのが、今回の滞在で得られた私の印象である。
 繰り返すが、他国の悪口に終始してはいけない。日本の反省をすべきである。日本は、不安定な大国の隣にある小国として、静かにしかし穏やかに、世界に対して一定の自己主張をして生きて行くしかない。
 つまり、中国の心配をする余裕などない。自国がこのまま経済力なく、発言力もないまま、埋もれて行くのを見たいとは思わない。小国らしい、小国にしかできない理想主義を掲げるべきだと私は思う。 

2017.9.11

          - 了 -                        
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
 
(pubspace-4396,2017.09.12)