主体の論理(9)身体は主体か、客体か 2021/09/21 by Ω No comments 高橋一行 谷崎潤一郎の「刺青」という短編をM. フーコーが論じている。小説の粗筋は以下の通りである。時は江戸、まだ「世間がのんびりして居た時分」、清吉という名の腕利きの刺青師(ほり Continue reading →
「武士のエートス」とその喪失について考える 2021/09/20 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(七) 相馬千春 1. 「兵学的リアリズム」を支えるものとしての「武士のエートス」 前回、幕末・維新期の武士たちの「兵学的リアリズム」について触れましたが、「兵学 Continue reading →
終息―森忠明『ハイティーン詩集』(連載21) 2021/08/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 終息 優しい院長! 乳と血の芳香と共に忘れない貴殿のやさしみ 「家庭の医学」の指摘どおり死は登りつめ 隣のベッドのケイコさ Continue reading →
主体の論理(8) エーテルから生まれる主体 2021/08/20 by Ω No comments 高橋一行 1. エーテルは純粋存在である エーテルはヘーゲル論理学における純粋存在であるという主張がある(加藤尚武1988)。これは単に比喩として成り立つという話ではなく、ヘーゲル Continue reading →
恋着―森忠明『ハイティーン詩集』(連載20) 2021/07/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 恋着 愛を告げることも難しいけれど その愛を受けることも難しいものです と リエコさんは言ったが Continue reading →
主体の論理(7) 否定性から出現する主体(2) 2021/07/17 by Ω No comments 高橋一行 木元裕亮は、ネットに膨大な量のジジェク論を展開している(注1)。木元の論稿は、ジジェクの多岐に亘る論点を追っているが、その中で注目すべきは、ジジェクとハイデガーの関係 Continue reading →
〈日本の知識層におけるリアリズム喪失〉という問題 2021/07/06 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(六) 相馬千春 1.「兵学的リアリズムでパワー・ポリティクスの波を乗り切る」――幕末の武士たち 前回は日本的な<わたし>というものがどのようなもの Continue reading →
花見/初夏―森忠明『ハイティーン詩集』(連載19) 2021/06/30 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 花見 一週間もごぶさたしたビルの建築風景のように 彼の心は易く癒いえている 強い風のあとから天気雨で 閉め忘れの木戸はおとなしく濡れてい Continue reading →
主体の論理(6) 否定性から出現する主体(1) 2021/06/28 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの『真ん中の部屋 ヘーゲルから脳科学まで』の第2章は、フランスにおけるヘーゲル受容がテーマである。それは、ハイデガーによって開かれ、J. イポリット、A. Continue reading →
遊園―森忠明『ハイティーン詩集』(連載18) 2021/05/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 遊園 うまい物を食べて帰ろう 珍芸の犬たちも辛くなったらしいし 切符をもぐおねえさんの口紅も褪せかかった あと十年もしてお Continue reading →