森忠明
タクシー運転手をしている幼なじみに言わせると、私は「日本一セコイ作家」なんだそうである。理由は「死んだ姉貴のことだけで何冊も本を書いちゃったり」して「取材のためのタクシーなんか全然使わない」からだそうである。
脳腫瘍をわずらい六歳で世を去った姉は、生前、洟たらしの不細工な弟を嫌って、邪険にふるまうことが多かった。
「おかあちゃんはなんで忠明みたいなミニクイのを産んだのよー、あたしは妹がほしかったのにー」
などとクレームをつけていたのを覚えている。(いやな女だ)と憎み返していたけれど、頭部に包帯をまかれて棺に横たわる姉を見た時、さすがに胸が潰れた。四歳の愚弟は(もう二度とこの家に帰ってこないんだな、おねえちゃんは)と思い、生まれて初めて死の恐ろしさにふるえた。
一昔前、物置を整理していたら古いネガが出てきた。現像に出すと私と姉が一見仲良さそうに写っていた。父の友人の撮影らしい。昭和二十七、八年、未舗装のどろんこ道。姉のおさがりセーターを着た私は、粗末な三輪車に乗って有らぬ方向を向いている。姉はカメラに正対、弟の肩に手をかけたりしていっぱしのポーズ。
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昨秋、地元の公民館で成瀬巳喜男監督の「浮雲」を上映したが、そのワンシーンに私と同じような三輪車をこいでる男児がいた。乗り物は貧弱でも私よりずっと可愛い子だったせいか、敗戦直後の絶望的なストーリーの中で、唯一”日本の復活”を約束する登場人物に見えた。
幼いトルコ人姉弟と知り合ったのは一昨年の夏。アパートの401号室で惰眠をむさぼっていると、405号室に引っ越してきたばかりのエブルちゃん(当時八歳)とエムレ君(四歳)が、突然ドアをノック。「オイデ!オイデ!」と叫び、屋上へ手招き。二人のあとについてゆくと、東の空にでっかく見事な二重虹が立っていた。トルコ語を話せない私は「おお、すばらしいフタエニジだ。ビューテイフルダブルレインボー」。怪しい言語で感嘆の声を放つと、小さな姉弟は満足そうにうなずいた。
今では、美男のパパや美女のママより日本語が達者になった二人は、日本語でいたわりあったり、日本人子女よりも礼儀正しく上品に生きている。このあいだ、エムレ君が泣きじゃくりながら歩いてきたので、「どうしたのぉ」ときくと「うるさいよ!かんけいないよ!」。それを非常階段で見ていたエブルちゃんが「エムーレ、あやまりなさいっ。森さーん、すみませーん」。トルコの未来も明るいと思った。
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『ノートにかいたながれ星』(岡田なおこ・作、久住卓也・絵、講談社・一二〇〇円、九六年十月刊)では、耳の病気で「たくさんの音はきこえない」妹と、彼女を気づかう小学二年生の兄が描かれる。兄の名前はさとし君、妹はひとみちゃん。さとし君と同級のひでと君を「いーえーどーくーん」としか呼べない妹に「キュッとかたをすくめ」て落胆する兄。その姿に私は四十三年前の自分を重ねた。病院のベッドで、いわゆるスパゲッティ状態になった姉の、痛々しいありさまの前で、何もしてやれない悔しさと怖気。
しかし、この作品は私の場合よりいっぱい救いがある。ひでと君に澄んだ友愛があり、さとし君に兄らしい優しさがそなわっているからだ。七夕の夜、「ささのは、さらさら」を歌いながら、耳に指をいれたりだしたりして妹の全快を流れ星にお願いするひでと君。
きょうだいも親友同士もつまるところ、非力な沈黙しか共有できないのかもしれないが、二重虹や二重星のように冴えた光と光の、天上的な結びつきであることは確かなのだ。
(もりただあき)
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
(pubspace-x9984,2023.04.30)