食卓の風景—森忠明『ハイティーン詩集』(連載26) 2022/01/31 by Ω No comments ハイティーン詩集以降 森忠明 食卓の風景 東京キッドブラザーズ「十月は黄昏の国」のために 今朝もパンが幸せ色にこげる 嫁入り道具のトースターなのに きまって片側がこげすぎる 朝日 Continue reading →
主体の論理(13) 脱資本主義に向けて 2022/01/27 by Ω No comments 高橋一行 キューブラー=ロスの死の受容に至る5段階論は、S. ジジェクがしばしば参照するものである。これは次のようなものである。人は死に直面すると、つまり助からないとされる病の最終 Continue reading →
主体の論理(12) 実体としてだけでなく、主体としても 2022/01/13 by Ω No comments 高橋一行 「真なるものをただ単に実体として把握し、表現するだけでなく、主体としても把握し、表現する」という文言は、『精神現象学』の序言にある(p.16ff.)(注1)。S. ジジェ Continue reading →
祝婚—森忠明『ハイティーン詩集』(連載25) 2021/12/31 by Ω No comments ハイティーン詩集以後 森忠明 祝婚 ――たとえば マルクス主義者ではなかった ジェニー・マルクス ど Continue reading →
主体の論理(11) ジジェク『性と頓挫する絶対』における主体論 2021/12/20 by Ω No comments 高橋一行 「主体の論理(10) 女の主体 ― C. マラブーと円地文子に触発されて ―」を書いてから二か月以上たち、この間にこのテーマ、つまり文学を題材に、身体と主体というテーマで Continue reading →
失う日―森忠明『ハイティーン詩集』(連載24) 2021/11/30 by Ω No comments 小詩集『おれは森忠明だ』(1967) 寺山修司編 森忠明 失う日 八月の西陽にしびの中で 便所の手水ちょうずがぷっつり切れたのが 失意の手はじめだった 俺はもともと ポケットを Continue reading →
(続)「武士のエートス」とその喪失を考える 2021/11/25 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(八) 相馬千春 (七より続く) この連載のサブタイトルは「リベラル・左派の何が問題か?」なので、「武士のエートス」とその喪失というテ Continue reading →
夏―森忠明『ハイティーン詩集』(連載23) 2021/10/31 by Ω No comments 小詩集『おれは森忠明だ』(1967) 寺山修司編 森忠明 夏 立川基地拡張反対を叫ぶビラと外人ヌードショウの引札を一枚ずつ握った優しい父親が帰ってきて Continue reading →
主体の論理(10) 女の主体 ― C. マラブーと円地文子に触発されて ― 2021/10/04 by Ω No comments 高橋一行 C. マラブーの新著『抹消された快楽 クリトリスと思考』はもうその題名を見ただけで、私の手に負えるものではないと Continue reading →
四月―森忠明『ハイティーン詩集』(連載22) 2021/09/30 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 四月 何から何までおどろくほど 心機一転だ 鉄道も走るよ 何もかもだ 長身の男よおまえは どうする * 寒い四月 私立大学のスクールバス Continue reading →