主体の論理(5) ハイデガーの政治的主体論 2021/05/01 by Ω No comments 高橋一行 1933年、43歳のM. ハイデガーはフライブルク大学総長に選出されるとすぐにナチスに入党した。これは歴史的な事実である。この問題をどう考えるか。つまり20世紀最大の哲学 Continue reading →
週末―森忠明『ハイティーン詩集』(連載17) 2021/04/30 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 週末 若いのだ ということ 不覚といえばそれだけで おれもやはり土曜は半どんで多少多く愛するだろう 旅にでれば哀しい過去の Continue reading →
日本的な〈わたし〉の問題 2021/04/28 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(五) 相馬千春 (四より続く) 1. 近代日本における「主体的契機」の転換 明治以降の日本は西欧文明の導入に努めてきたわけですが、そ Continue reading →
此所―森忠明『ハイティーン詩集』(連載16) 2021/03/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 此所 此所へ何をしに来たか 鳩尾あたりの皮膚を眺めていると おれにはおれの意義が また わからなくなる あと Continue reading →
主体の論理(4) 厄介なる主体 2021/03/01 by Ω No comments 高橋一行 前回、バトラーの性的主体理論を扱った。そこで最後にジジェクの『厄介な』におけるバトラー批判に触れている(注1 Continue reading →
主体の論理(3) 性的主体の論理 2021/02/05 by Ω No comments 高橋一行 本稿は、J. バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読解し、性的主体の確立について論じる。 &n Continue reading →
別言―森忠明『ハイティーン詩集』(連載14) 2021/01/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 別言 左様なら 万全を期したはたとせ 不愉快だった 口笛で呼びとめられたあの五月 その俺の口笛で呼びそ Continue reading →
「日本におけるリベラル左派の長期的退潮の原因は何か?」という問い 2021/01/01 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(四) 相馬千春 1. 「リベラル・左派の何が問題か?」(一)、(二)、(三)のまとめ & Continue reading →
覗窓―森忠明『ハイティーン詩集』(連載13) 2020/12/31 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 覗窓 突如 男は女を殴り 不思議に女は男にしなだれ 小外刈をかけそこなったように 非衛生な寝台に崩れていく 老映写技師キクタさんは 今日 Continue reading →