相馬氏への再批判 1 2015/04/05 by KIT No comments 高橋一行 次の5点について書く。 ① ヘーゲルの初期、つまり、『大論理学』初版を書く前に、「否定の否定」は肯定であるという文言があり、『大論理学』初版の後では、これは、何か所も、この文言がある以上、これがヘ Continue reading →
ヘーゲル「論理学」の「否定の否定」と「無限判断」の解釈について――高橋一行『他者の所有』を読む① 2015/03/18 by 相馬千春 No comments 相馬千春 高橋一行氏の『他者の所有』(御茶の水書房)について、何回かにわたりコメントを書くつもりですが、初回は、高橋氏のヘーゲル「論理学」(1)の――そのうち「定在」と「定在の判断」の――解釈を扱います。 Continue reading →
PEGIDAまたは、反イスラムのデモについて - 宗教とナショナリズム(5) – 2015/03/14 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (4)より続く ペギーダ(Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes 「西洋のイスラム化に反対する愛国主義的なヨーロッパ人」 : Continue reading →
ピレンヌとトッドのイスラム観 -宗教とナショナリズム(4)- 2015/02/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (3)より続く H. ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』を読む。原著は、1935年、翻訳は、1960年に出ている(注1)。ヨーロッパにおいて、古代が終わり、中世が始まったのは、ゲルマン民族の大移動があり、それが Continue reading →
トクヴィルとウェーバーのアメリカ観 -宗教とナショナリズム(3)- 2015/02/06 by 高橋一行 2 comments 高橋一行 (2)より続く 1831年、フランスの古い貴族の家系に生まれたトクヴィルは、アメリカを訪問し、そこでは、人々が際立って宗教的であり、しかし、それが、民主主義を促進していることに気付く。これは驚くべきことである Continue reading →
ハーバーマスとC. テイラーの宗教観 - 宗教とナショナリズム(2) – 2015/02/06 by 高橋一行 2 comments 高橋一行 (1)より続く 前回の議論で見たように、19世紀のアメリカにおいて、信仰の自由があると言っても、それは、プロテスタントの中での話であった。そこにカトリックとユダヤ教が認められる。そのふたつがどのようにして、ア Continue reading →
フランスとアメリカの宗教観 - 宗教とナショナリズム(1) – 2015/02/06 by 高橋一行 One comment 高橋一行 2015年1月7日のフランスの週刊新聞社の襲撃に始まる一連のテロ事件に対して、2001年の9.11との類似性を指摘する論者は多い。とりわけ、日本に伝えられる限りでは、言論の自由を守れというデモがフランス各地で Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (3) 他者が所有する 2014/09/18 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (2)より続く 第3節は、新宮一成の『ラカンの精神分析』を主として分析する。その前に、すでに、私たちは、彼の、「所有の病理」という短い論文を取り挙げている。もう一度、それを見る。本稿そのものが、所有の病理に始 Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (2) 他者を所有する 2014/09/18 by 高橋一行 2 comments 高橋一行 (1)より続く 精神科医の津田均は、鬱親和者についての、その短いエッセイの中で、デリダのレヴィナス批判に言及している。つまり鬱親和者の理解に、このデリダの難解な論文を読解することが、役立つのではないかというこ Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (1) 鬱と所有論 2014/09/18 by 高橋一行 One comment 高橋一行 補遺-3より続く 「ヘーゲルを読む」で展開した内容を、今度は、ヘーゲルを離れて論じてみたい。そのことで、このテーマを、今までとは別の観点から深めることができると思う。 また、中にはすでに「公共空間X」に「想い Continue reading →