ピレンヌとトッドのイスラム観 -宗教とナショナリズム(4)- 2015/02/19 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (3)より続く H. ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』を読む。原著は、1935年、翻訳は、1960年に出ている(注1)。ヨーロッパにおいて、古代が終わり、中世が始まったのは、ゲルマン民族の大移動があり、それが Continue reading →
トクヴィルとウェーバーのアメリカ観 -宗教とナショナリズム(3)- 2015/02/06 by 高橋一行 2 comments 高橋一行 (2)より続く 1831年、フランスの古い貴族の家系に生まれたトクヴィルは、アメリカを訪問し、そこでは、人々が際立って宗教的であり、しかし、それが、民主主義を促進していることに気付く。これは驚くべきことである Continue reading →
ハーバーマスとC. テイラーの宗教観 - 宗教とナショナリズム(2) – 2015/02/06 by 高橋一行 2 comments 高橋一行 (1)より続く 前回の議論で見たように、19世紀のアメリカにおいて、信仰の自由があると言っても、それは、プロテスタントの中での話であった。そこにカトリックとユダヤ教が認められる。そのふたつがどのようにして、ア Continue reading →
フランスとアメリカの宗教観 - 宗教とナショナリズム(1) – 2015/02/06 by 高橋一行 One comment 高橋一行 2015年1月7日のフランスの週刊新聞社の襲撃に始まる一連のテロ事件に対して、2001年の9.11との類似性を指摘する論者は多い。とりわけ、日本に伝えられる限りでは、言論の自由を守れというデモがフランス各地で Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (3) 他者が所有する 2014/09/18 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (2)より続く 第3節は、新宮一成の『ラカンの精神分析』を主として分析する。その前に、すでに、私たちは、彼の、「所有の病理」という短い論文を取り挙げている。もう一度、それを見る。本稿そのものが、所有の病理に始 Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (2) 他者を所有する 2014/09/18 by 高橋一行 2 comments 高橋一行 (1)より続く 精神科医の津田均は、鬱親和者についての、その短いエッセイの中で、デリダのレヴィナス批判に言及している。つまり鬱親和者の理解に、このデリダの難解な論文を読解することが、役立つのではないかというこ Continue reading →
他者の所有 -ヘーゲルの余白に- (1) 鬱と所有論 2014/09/18 by 高橋一行 One comment 高橋一行 補遺-3より続く 「ヘーゲルを読む」で展開した内容を、今度は、ヘーゲルを離れて論じてみたい。そのことで、このテーマを、今までとは別の観点から深めることができると思う。 また、中にはすでに「公共空間X」に「想い Continue reading →
スピノザの非在 2014/09/08 by 高橋一行 No comments 高橋一行 過日、友人を訪ねて、オランダのデン・ハーグに赴いた。この街には、スピノザの銅像があり、それを見ることもまた、目的のひとつだった。 スピノザは、その生涯の痕跡がみっつ残されており、ひとつは、アム Continue reading →
言語という他者 2014/09/08 by 高橋一行 No comments 高橋一行 英語帝国主義という言葉を、私はしばしば使い、自分自身の英語の苦手なことから来る、劣等感と英語への憎しみをそこに込めて来たが、今、それは考え直す時期に来ていると考えている。英語ができないのなら、アメ Continue reading →
ヘーゲルを読む 補遺-3 ヘーゲル入門 2014/09/07 by KIT One comment 高橋一行 補遺-2より続く ヘーゲルが、今よりは少しだけ、読まれていた時代がある。私よりも年上の世代が、若い頃である。当時、マルクス主義は全盛で、マルクスを理解するためには、ヘーゲル読解が必要だということで、多くの人が Continue reading →