進化をシステム論から考える(5)  中立説とその後

高橋一行

(4)より続く
5.中立説とその後
 先の章で説明した偽遺伝子の研究で、中立説を確立させることに貢献した宮田隆は、『分子からみた生物進化』(2014)の中で、次のように言っている(注1)。
 自然淘汰に有利でもなく、不利でもない、中立的な変異が、遺伝的浮動によって、つまり、集団内に偶然広まった結果として、進化が起きるという中立説が提唱されると、ダーウィン流の自然淘汰を万能のように考えていたネオ・ダーウィニズムから、激しく批判される。しかし、先の章で言及したように、提唱者の木村資生は、自説が、ネオ・ダーウィニズムと相容れないと考えていたのではなく、自然淘汰の考えを熟知し、それを受け入れている。このことについて、つまり、自然淘汰と中立説は、どのように折り合いを付けるのかということについて、宮田は、次の3点にまとめている(第3章)。まず、①有害な変異には、淘汰が働き、集団から除去される。これは、私の言い方では、淘汰理論を拡張するものである。ダーウィンは、激しい競争があり、最適者が生き残るとしたから、そうではなく、有害でなければ生き残るのである。その程度に、淘汰理論を修正し、しかし、有害なものは、除去されるのだから、淘汰は働いていると考えるのである。次に、②DNAに蓄積した変異は、中立的で、それは偶然に集団内に広がる。すなわち、中立説は成り立つ。また最後に、③形態レベルでの進化は、有利な変異に淘汰が働いた結果、起きる。以上である。
 これをどう考えるかという問い掛けから、本章を始める。これはしかし、分子レベルでは中立説が成り立ち、形態レベルではダーウィン流の淘汰が働くという、二本立て理論で、両者が結び付いていないのではないか。分子レベルでの進化と表現型レベルでの進化をどのように橋渡しするかということは、木村が投げ掛けた、大きな問題であったが、ここでは、しかし、それが、全然解決されていない。そういう不満が残る。ところが、宮田は、同書のこのあとの展開で、事実上両者を結び付けている。
 本書では、まず、中立説が、ていねいに説明される。その上で、いよいよ表現型レベルでの進化の説明がある。形態レベルの変化は、宮田の説明では、偶然の遺伝子の突然変異に、すぐに対応して起きるのではなく、要は、遺伝子の使い方の問題で、すでに変異した遺伝子を、うまく環境適応的に使っていくことで起きる。そのように説明される。すると、ここでも、淘汰の考え方から大きく離れているのではないだろうか。遺伝子の偶然の変異に基づいて、形態レベルでの変異が偶然起き、それが淘汰されて、有利なものが残るというのではなく、すでに変異した遺伝子を使って、環境適合的に、進化が起きているというのである。
 しかしそのメカニズムは、ダーウィン流の自然淘汰と矛盾しないと、宮田は考えている。というのは、それは、物理的なものだからである。宮田は、本書の中で、繰り返し、進化理論は、機械論的になされるか、創造説によるか、そのどちらしかないと書いている。ダーウィンの淘汰理論も、木村の中立説も、またそれを受けてさらに展開される宮田理論も、すべて、機械論的なものであると言う。しかし、その、形態レベルでの進化は、環境適合的に起きており、大分、機械論から離れているように、私には思われる。あるいは、それがネオ・ダーウィニズムと異ならないとするのならば、相当に、ネオ・ダーウィニズムを緩やかなものにする必要があるように、私には、思われる。変異した遺伝子にすぐに対応して、偶然に、形態レベルでの変異が起きるのではなく、蓄積された遺伝子を、うまく使って、環境の変化に合わせて、その環境に適合した形態レベルでの進化が起きると考えるからである。
 宮田が説明するように、進化理論が、機械論的か、創造説か、そのどちらしかないのならば、宮田の説明は、物理法則に従うのだから、それは機械論的なのである。しかし、事実上、それは、物理法則に基づいて、機械論を超えていると私は思う。ただ、そういうことを、私が言えば、すぐさま、それは、創造説かということになってしまう。そうではなく、あくまでも物理法則と、そしてさらにそこに、私は、偶然によるということも、付け加えて、生命の原理を説明したいと思う。しかし、そのことは、本稿全体を通じて説明することになる。ここでは、事実上、宮田は、そのことに成功しているのに、自らの説明は、機械論的なものだと、繰り返している。
 
 具体的には、次のようなことである。先のグールドが取り挙げた、カンブリア紀に爆発的な進化の多様性が現れたことについて、宮田は以下のように論じている(第10 – 13章)。
まず、表現型レベルで、生物が爆発的に多様化したのは、化石の示す事実である。とすれば、あとは、この表現型レベルでの進化と、分子レベルでの進化との関係を解明することが必要である。それは、生物の多様性と遺伝子の多様性の関連の問題と言い換えても良い。このことを、具体的に、カンブリア紀における、爆発的な、多細胞生物の多様化において、検証したいと言うのである。
 まず、おおよそ6億年ほど前から、5億5千年ほど前に、身体の小さな多細胞生物が、急速に多様化し、身体の大きな生物が爆発的に増加する(注2)。すると、その表現型レベルでの爆発的多様化に対応した、遺伝子レベルでの多様化があったはずである。そしてそれが、細胞間情報伝達や形態形成に関与したはずである。それを解明したい。
 順番から言うと、遺伝子の多様化はどのようになされたのかというところから、説明が要る。これを、宮田は、遺伝子重複と遺伝子混成から多様化がなされたと説明している。
 まず、すでに長い進化の過程を経て、その時に、そこに存在する遺伝子は、それなりに、完成しており、一般的に言って、新しい遺伝子がそこに加わるのは困難である。元来、遺伝子は保守的なものである。突然変異の大部分は、有害なものであって、有利な遺伝子が現れることは、難しい。すると、この遺伝子の保守的な体制を維持しつつ、しかし、革新を可能にする機構がなければならない。その方法のひとつが、新しい機能を持つ遺伝子を進化させるのに先立って、まず、遺伝子のコピーを作ることで、これは遺伝子重複と呼ばれる。ここで、基になった遺伝子とそこからコピーされた遺伝子とは、同じ塩基の配列を持ち、従って、同じ機能を持つ。こうして一対の遺伝子ができるのだが、そうすると、一対の片方の遺伝子が、従来の機能を果たし、もうひとつの方は、従来の体制に縛られず、自由に振る舞うことが可能になる。つまり、こちらは、容易に変異ができるようになる。こちらには、自然淘汰は掛からない。それで、従来持っていた機能を変革する遺伝子になり得るのである。
 ここで中立説が適用される。自然淘汰の圧力が掛からない遺伝子は、早い速度で、変異をし、その変異が蓄積される。
 さらに、遺伝子の多様化が、以下のように起きる。コピーされたいくつかの遺伝子は、組み合わされて、ひとつの大きな遺伝子に統合され、新しい機能を持った遺伝子となる。これが、遺伝子混成である。遺伝子は、このように組み合わされることで、そこから多様な遺伝子を作り出すことができるのである。
 この遺伝子重複と、遺伝子混成とを繰り返すことで、多数のメンバーから成る、大きな遺伝子の集団が形成されて行く。この集団を、遺伝子族と呼ぶ。ここでは、変異によって、機能が少しずつ異なる遺伝子が、群れを作るのである。そしてそれは、その族の中で、さらに変換を起こし、さらに大型化する。この遺伝子重複と遺伝子混成が、高い頻度で繰り返されて、多様化が起きたのである。
 さて、それから次に考えねばならないのは、この遺伝子の多様化がいつできたのかということである。これはまさに、これこそが、分子進化学の成果なのだが、遺伝子の配列の比較から、進化に関する情報が得られる。つまり、いつ遺伝子が変化したのかということは、現在の研究水準で、確定できる。それが分子時計である。
 すると、それは今から、10億年前から9億年前に掛けて、まだ、多細胞生物が出現する前の、単細胞の原生生物の最後の段階で、起きているということが分かる。
 ここでふたつのことが注意されねばならない。この遺伝子の多様化は、漸進的に起きたのではなく、断続的に、つまり短期間に集中して起きたものであることが示されている。つまり、遺伝子の多様化も爆発的に起きているのである。先のふたつの原理が、大規模に、つまり、一気に重複し、配列が挿入され、増殖したと考えられている。
 それからもうひとつは、カンブリア紀の生物の多様化の爆発、つまり、形態レベルでの変化が起きたのは、6億年前から、5億年前に掛けてのことであった。とすると、この時期と、先の遺伝子の多様化の時期がずれているということである。しかも、形態レベルでの多様化の時期に、遺伝子は、ほとんど多様化していないのである。つまり、10億年前から9億年前に掛けて、遺伝子の多様化が爆発的に起き、その後、遺伝子の変化はあまり見られず、その後、今度は、6億年前から5億年前に掛けて、形態レベルでの爆発的多様化が起きているのである。
 このことから分かるのは、表現レベルでの進化には、新しい遺伝子を作るという視点が重要なのではなく、すでにある遺伝子を如何に使うかということが重要だということである。遺伝子を作るハードの面ではなく、遺伝子を使うソフトの面が重要だということである。
 また、単細胞の原生生物から多細胞生物へ進化する際、すでに、原生生物の時代に、遺伝子の多様化が起きていて、つまり、素材はすべて用意されていて、実際に多細胞生物になって、細胞間の高度な情報の伝達が必要になったときに、容易にそれを可能にするのである。
すると、この遺伝子の変異は、自然淘汰に掛からず、また、すぐに表現型レベルに影響を与えるのではなく、様々な工夫で、多様化させて蓄積し、現時点ではまったく役に立たなくても、将来必要な時に、一気に進化できるよう、準備していたのである。無駄を許す、このゆとりが、高度な生物を産み出すことを可能にしたのである。
 カンブリア紀の爆発的進化は、遺伝子レベルでの多様化が直接的な引き金になったのではなく、それ以前から十分準備ができていて、そこに地球環境の変化があり、具体的に言えば、酸素が増えて、現在の私たちの環境に近付き、多細胞動物が代謝を行うのに必要なレベルに達し、大型動物の出現を可能にするという変化があって、そこに一気に、表現レベルでの進化が起きたのである。その際に、新たな遺伝子の突然変異を必要とせず、すでにある遺伝子を、環境適応的に、適切に使うことで、つまりソフトモデルで説明可能な仕方で、表現型レベルでの進化は起きている。
 
 さて、この後、この表現型レベルでの進化がどのように起きたのかという説明には、別の理論が必要だろう。これは、このあとの章で説明する予定である。ここでは、この中立説のその後の進展で、先に、グールドが提唱した生物の爆発的な多様化が、説明されたということに注意を促しておく。生物は、自然淘汰によって、漸進的に進化したのではなく、中立説によって説明される、遺伝子レベルでの蓄積が先にあって、その十分な準備の上で、それが環境の変化に触発されて、一気に、進化するのである。
 また、もうひとつ、これもグールドが、ネオ・ダーウィニズム批判として挙げていた、数十億年の間、まったく進化しないバクテリアこそが、最大で、最強の生物であるという点も、この中立説で説明ができる。つまり、生物の多くは、ある段階で、進化を止め、そのまま環境に適応して、生き延びる。むしろ多くの生物はそうである。進化する生物は、ごく一部なのである。ではなぜ、多くの生物は、単純な形態のままで、生き延びるのか。これは以下の通りに説明される。
 遺伝子は、重複し、必要もないのに勝手に変異し、多様化して行くこともあるが、逆に、ある遺伝子が偶然、その機能を失ったときに、別の遺伝子が、それをカバーすることもある。遺伝子は、複数の遺伝子で、互いにバックアップし合っているので、ある遺伝子が欠失しても、別の遺伝子が、その肩代わりをすることがある。遺伝子は柔軟である。その柔軟性が、遺伝子の総体を減らすことに貢献する。ここでは、先の話とは逆で、遺伝子は、無駄を省き、その総体のサイズを減らし、効率よく、必要最小限の遺伝子だけで、やって行くという戦略を取ることがある。すると、その生物は、小型のままで、効率よく、環境に適応し、大量の子孫を残すことに成功する。形態レベルで、進化をする必要がなくなるのである。
 いずれにせよ、遺伝子レベルでの、自然淘汰によらない変異が、環境適応的に、形態レベルでの変異に影響を与える。それはもう、大分、ネオ・ダーウィニズムの機械論的な説明を超えていると私は思う。このことは、さらに、次章以降、扱われる。
 
 もうひとつ、太田朋子の説を取り挙げたい。
 自然淘汰説では、新しく生じる遺伝子の突然変異は、ごく一部が進化に有利なもので、残りの圧倒的多数は有害なものである。進化に有利なものが残り、有害なものが淘汰されて行く。
 そこに、中立説が提唱され、自然淘汰に良くも悪くもない中立な突然変異が、偶然、すなわち遺伝的浮動によって、集団内に広がり、固定するという主張が出て来たのである。この遺伝的浮動とは、繁殖に伴う遺伝子頻度が、世代間で、偶然によって、変動するというものである。それが、1980年代に入って、学説として、確立される。つまり、有害なものと、有利なものの間に、そのどちらでもない領域があることが確認され、しかも、その領域は結構広いものであることが、認められている。
 さて、木村資生の弟子の太田朋子は、木村の中立説を以下のように、修正する。彼女は、その淘汰に掛かるものと中立なものとの間の領域を問題にする。進化に有利なものは、ごく少数だから、現実的に問題となるのは、中立と有害なものの間、つまり、弱有害な領域、または非常に弱い淘汰を受ける突然変異を問題にする。
 そして提唱されたのが、弱有害突然変異仮説、または、「ほぼ中立説」である。これは集団が大きい時は、遺伝的浮動の力が弱く、淘汰が有効に働くので、弱有害突然変異は、集団から除去されるのだが、集団が小さい時は、遺伝的浮動の力が大きくなるから、弱有害突然変異が、中立と同じく、集団中に広がることがあり得るのである。
 これは結構、大きく、自然淘汰説を揺るがすものになると思う。現在、生き残っている遺伝子は、何億年もの進化の産物だから、そこから外れる突然変異の多くは、有害なものである。それで、自然淘汰説によれば、それは、淘汰される。しかし、弱有害な突然変異で、しかも、その集団が小さなものであるならば、中立説と同じく、その集団内で広がって、固定し、進化に寄与することになる。
 私の感触では、これは、ずいぶんと大きく、ダーウィン流の淘汰概念を変えてしまう。本稿で、私は何度も、淘汰概念を緩めて、負でなければ、最適でなくとも、十分、集団内に広がり得ると言ってきた。遺伝子レベルでは、中立説は、まず間違いなく正しいと見なされているし、形態レベルでも、上で述べた通り、ダーウィン流の淘汰概念を緩めるべきだと言ってきた。しかし、ここでは、負であっても、弱い負ならば、集団内に広がり得るのである。これは相当に、淘汰の概念を緩めることになる。なぜならば、現実的に、この領域に属する突然変異は多いと思われるからだ。
 太田がなぜ、この弱有害突然変異仮説に至ったのか、その説明は以下の通りである。
 まず、遺伝子は、長い時間を掛けて進化した結果、その時点で存立しているものなのだから、それは、十分合理的で、そこからはみ出る突然変異は、圧倒的多数のものが、有害である。それで、中立説は、このあり得ない位、わずかな、有利な突然変異に、進化の原因を求めていたのでは、進化が説明できないと考え、有利な突然変異と圧倒的多数の有害な突然変異の間に、中立の領域を設けたのだが、それにしても、まだ、圧倒的多数の変異は、有害である。すると、有害な突然変異をレベル分けし、淘汰に掛かるほどに有害なものと、中立説が成り立つ程度に、やや有害なものとに分け、後者が、中立説を補強すると考える方が、現実的ではないか。
 このように考えても良い。つまり、中立突然変異遺伝子というのは、厳密には、中立ではなく、実際には、有害なのだけれども、その有害な程度が弱く、中立的に、集団内に広がり得るのである。突然変異は、基本的には、有害なのだけれども、その有害度が、無視し得て、進化が起きることがあり得ると考えるのである。
 さらに、この弱有害突然変異の集団は、小さなものと大きなものに分けられる。小集団においては、遺伝的浮動が働き、つまり、偶然的に、その変異した遺伝子が、集団内に広がり得る。しかし、大集団では、自然淘汰が働き、進化に寄与しない。すると、小集団であれば、有害な突然変異でも、それが弱いものであれば、集団内に広がり、進化に寄与するのである。そこまでが分かる。
 さらに、そこから、重大な帰結が得られる。まず、上述のことから、小集団では、弱有害突然変異が効果を持ち、大集団では、それが効果を持たないから、集団のサイズと進化速度の間には、負の相関関係があることになる。しかし、これは、集団のサイズによらず、突然変異率と進化速度は常に等しいという中立説と、一見、矛盾する。
 このことと、もうひとつの問題とが関係してくる。これは、例えば、ショウジョウバエとヒトといった、世代の長さが大きく異なる生物の、分子進化の速度を考えた場合、世代あたりに、その速度が一定であると考えるのが、自然である。しかし、実際には、年あたりの進化速度が一定である。このことをどう考えるのか。
 ここで、世代の長い動物は、身体が大きく、集団サイズは小さい。逆に、世代の短い動物は、集団サイズが大きい。すると、世代が長く、集団サイズが小さなものは、先の、弱有害突然変異仮説によれば、中立説が成り立って、進化が早くなり、しかし世代は長いということを考えねばならず、このことと、逆に、世代が短く、集団サイズが大きいために、なかなか中立説が当てはまらず、多くが自然淘汰で除去され、有効中立な突然変異の割合が小さいために、進化速度が遅くなるものとが、ここで、その効果が打ち消し合って、年あたりの進化が一定になると考えるのである(注3)。
 
 私の見るところでは、これは大分、自然淘汰概念を緩めるというより、淘汰が根本ではないということを主張している。存在するのは、圧倒的に有害なものが多く、そこに中立理論が出て来るのだが、さらに、その中立と有害の境にある、弱有害こそが、進化の決め手である。
 さらに太田は、遺伝子の突然変異だけでなく、遺伝子がどのように、発現調節されるのかという問題に入って行く。進化とは、遺伝子の発現を、どう変化させていくのかという過程であるからだ。
 しかしこの分野は、1995年以降、ないしは、2000年に入ってから成果が出て来た分野で、2009年のこの本では、決定的な結論に触れることはできない。しかし、この、遺伝子発現調節の変化においても、中立説、または、やや中立説が成り立つのではないかということが示唆されている。つまり、木村においては、遺伝子レベルでは中立説が成り立ち、形態レベルでは、自然淘汰が成り立つとされていたのに、ここに来ると、形態レベルでも、中立説が成り立つのではないかということが示唆されている。とすると、自然淘汰は、どのくらい重要なのかということが問われる。
 

1.活性のあるタンパク質を作る機能を喪失した偽遺伝子が、最大の速度で進化していることを、著者を含む研究グループが報告している。このことは、本書の第6章にある。
2.5億7千万年前に、エディアカラ紀の多様化があり、しかし、そのときに出現した生物は絶滅し、その後、5億4千万年前に、カンブリア紀の爆発的な多様化がある。これは以前(本稿第2章で)、述べた通りである。前者がなぜ、絶滅したのか。大陸の大移動の時期で、超大陸の出現があったとも言われている。いずれにせよ、何かしらの偶然、つまり、生物にとっては、外的な偶然があったはずだ。しかしここでは、このふたつの時期の、連続と断続を説明することが主題ではなく、下に述べるように、遺伝子が、さらにその数億年前に、変異をし、それが蓄積されて、表現型レベルでの爆発的多様化を準備して来たことを指摘したい。
3. 木村は、すでに、木村1986の中で、この太田理論を扱っている。その上で、これを修正する木村モデルを挙げている。私の上述の説明は、太田のものよりも、むしろ、この木村のものを多く参照している(木村1986, p.258f., p.265, p.328f.)。
 
参考文献
宮田隆『分子から見た生物進化 -DNAが明かす生物の歴史-』講談社、2014
太田朋子『分子進化のほぼ中立説 -偶然と淘汰の進化モデル-』講談社、2009
(たかはしかずゆき 哲学者)
(6)へ続く