進化をシステム論から考える (1) 序と真木悠介

高橋一行


 文系の著者による進化論の本を、2冊挙げておく。真木悠介『自我の起源 -愛とエゴイズムの動物社会学-』(1993)と、吉川浩満『理不尽な進化 -遺伝子と運のあいだ-』(2014)である。文系、理系という言い方をする必要はないかもしれない。単に、社会学的、哲学的関心から、生物の進化を論じた本として良い(注1)。
 社会学者の真木悠介は、その本の中で、「自我の比較社会学」、または「自己」について論じたいとし、社会生物学や動物学の利他性を論じ、次いで、ドーキンスの『利己的な遺伝子』(1976)を取り挙げて、問題意識を明らかにする。その上で、分子生物学の成果を丹念に読み解き、それを使って、自我がどのように生成したか、また、同時に、脱自我、すなわち愛について、その可能性がどのようなものか、的確にまとめている。
 一方、文筆業を名乗る吉川浩満は、ドーキンスと真木悠介を、影響を受けた本として挙げ、その上で、ラウプの『大絶滅 -遺伝子が悪いのか運が悪いのか-』(1991)を最初に取り挙げ、その主張するところを自らの本の基調にし、その上で、グールド(その断続平衡説は1972、ドーキンスとの論争は、1978に始まる。私が夥しい彼の著作の中で、読みやすいものとして挙げる、『フルハウス -生命の全容-』は1996)とドーキンスの論争を取り挙げる。この論争について、吉川は、ドーキンスの圧勝だとした上で、しかし、敗者のグールドの主張を詳細に論じることで、進化論の特徴を見事に論じている。
 さて、そうすると、以下、まず、私は、ドーキンスを論じ、その上で、真木の問題意識を考え、次いでラウプを取り挙げ、グールドも論じて、吉川の言わんとするところを整理することができる。この5人を論じることで、現代進化論の持つ論点をすべて、網羅できると思う。問題点は、すべてここにあると私は考える(注2)。
 しかしその上で、私は、この5人が取り挙げていない問題についても論じたいと思う。それは、生命が、どのように物質から生成したのかということである。この問題について、例えば、ドーキンスは、原始の海の高分子の中から、ある時、偶然に、自己複製子が出て来たと、簡潔に論じている。その自己複製子が、自己のコピーを作り、しかし、その過程で、間違いが生じる時があり、その間違いが進化を可能にすると言い、自らの論を展開して行く。私が論じたいのは、ある時、偶然に自己複製子が出て来たというのは、その通りなのだが、それがどのように出て来たのかということである。
 この問題は、1990年代以降、とりわけ、2000年代に入って、具体的に実験結果が出て、それに対して、数学的な記述がなされるようになった。私は、そこを論じるべきだと思う。というのは、そこにこそ、生物の、つまり、進化の本質的な問題が出ているからである。
 私は、進化論として、次の3つの段階を考えるべきであると考えている。すなわち、
① 物質から生物がどのように生成したのか
② 生物がどのように進化したのか
③ 生物からどのように精神を持った人間が出て来たのか
以上である。
 この内、真木は、②と③を論じている。また生物学者は、通常は、②だけを、その領域とする。しかし、私の主張は、①を重視し、②と③と、すべて論じて、これで初めて、進化論として完成するはずだというものである。

 この①の生物の発生の研究は、オパーリン(1924)に始まり、その後、様々な研究がなされて来たのだが、私が注目するのは、ひとつは、ブリゴジーヌ(1977)など、物理学者、化学者が取り組んで来た自己組織性の研究から、複雑系の研究が進み、その成果を生物学者が取り入れて、展開されて来たものである。カウフマン(1993)などが、精力的に取り組んで来たと思う。ここでは、こののちの回で、金子邦彦『生命とは何か -複雑系生命科学へ-』(2009)を扱いたい。
 もうひとつは、田中博が、『生命 : 進化するネットワーク -システム進化生物学入門-』(2007)と、『生命進化のシステムバイオロジー -進化システム生物学入門-』(2015)において唱える、進化システム生物学である。これは、1960年代に展開された分子生物学が、さらに、木村資生の中立説(1968)に引き継がれ、それが、2000年に入ると、進化発生生物学が出て来て、成果を収める。それから、さらに、2000年代の中頃から、進化システム生物学となるのである。ここでは、生物の発生の機構を研究し、さらにそれを応用して、生物のあらゆる秩序形成を扱うようになり、始原的生命の解明や、さらには、その後の進化論の見直しがなされて来たのである。
 ここで重要なのは、先の、①の始原的生命の解明は、うまく、②の始原的生命以降の進化の解明に、直接的に繋がっているということである。そこでは、遺伝子の突然変異だけを進化の要因とするのではなく、遺伝子の使い方への考察がある。つまり、遺伝子の発現調節ネットワークの進化から、生物種のマクロ的な形態的進化を解明し、そこから、生命の普遍的な形式を論じることができる。すると、そもそも遺伝子がどのように生成されたのかということを解明することと、その遺伝子がどのように、使われるのかを解明して、進化の内実に迫ることとは、繋がっているのである。
 本稿は、ここを強調したいと思う。2000年以降の進化論を検討することで、私たちが、常識として持っていた進化観は、大きく見直さねばならなくなるはずである。つまり、遺伝子の突然変異から進化を説明してきたネオ・ダーウィニズムは、大幅な修正を迫られるはずである。さらには、先の、ドーキンス、真木、ラウプ、グールド、吉川についても、彼らは基本的には、ネオ・ダーウィニズムを前提にして議論をしているから、その議論に、修正が必要になる。
順番として、田中博のシステム進化生物学を読解し、それと比較しながら、金子邦彦の複雑系生命科学の方に移る。その前に、真木悠介と吉川浩満を論じて、進化論は何を問題としてきたのか、整理する。これが、本稿の見通しである。

1. 真木悠介
 真木悠介をていねいに読んで行き、その問題意識を拾って置く。
 まず、社会生物学は、集団遺伝学に準拠することで、動物に見られる利他行動を説明し得た。それが血縁理論である。それは、アリやミツバチが典型であるが、自らが子を生まなくとも、近親の世話をすることで、その血縁社会の適応度に貢献する。それが、利他行為をする動物、つまり他個体のために、自らを犠牲にしてまで、献身的な世話をする動物が存在することを説明するのである。
この理論を徹底させたのが、ドーキンスである。血縁理論では、動物の行動を支配するのは、遺伝子だということになる。そこから、個体は、遺伝子が生存し、増殖するための「生存機械」に過ぎないという考えが出て来る。これが、ドーキンスの理論である。個体の行動や資質や関係は、「利己的な遺伝子」に支配されている。
 さてそこから、真木は、自らの理論に、このドーキンスの理論を繋げて行く。ドーキンスによれば、遺伝子は利己的であり、つまり、自らの増殖を第一に考えるのだけれども、個体は、その遺伝子の「生存機械」であって、そのために、結果としては、利他行動を取ることもあれば、利己的になることもある。つまり、利己-利他の問題は、そもそも、どの水準で考えるべきかということが問われる問題なのである。そしてまた、遺伝子が根本で、個体が本源的でないにもかかわらず、しかしそのようにして成立した個体が、それ自体、創発システムとして存在しているということが重要である。そして、そこからさらに、もう一段階上の、個体を超えた他者との関わりの水準で、個体の利己-利他の問題を考えるべきだということになる。つまり、個体は自立化していると同時に、他者に向けて自己を超越することもある。そういう理解に、私たちを運んでいくはずである。真木は、そのように、理論を展開して行く。
 そういう問題意識の上で、真木は、その当時までの、つまり1990年までの進化理論を咀嚼し、個の生成を追って行く。まず、これは私自身も、このあと何度も論じることになるのだが、真木は、原核生物から多細胞生物の出現に当たって、真核細胞が生成されたことが、重要だということを力説する。その真核細胞の出現には、原核生物の中に、他の原核細胞が入り込んで成立するという説が、有力な説としてある。つまり、自己の中に他者が入り込んで、新たな自己となるのである。個体は、その成立の段階で、すでに他者性がある。
 こういう原初の段階から始まって、次第に、生物は、その個体性を強めて行く。個体は、まずは、遺伝子のエージェントとして存立し、その主体性を強化して行くのだが、今度は個体が、自ら持っている遺伝子の内、余分なものを整理するということがある。また第二に、個体は、生殖をし、子孫を残すが、その際に、単細胞の生殖子に自らを託す。これはボトルネック化と呼ばれるのだが、一旦獲得した遺伝子を、個体がふるいにかけて、次世代に繋げるのである。第三に、個体は免疫機能を持ち、自己と非自己とを分ける。さらに、脊椎動物になれば、そこから、脳神経系が高度に発達し、自己を確立して行く。
 同時に、この主体化は、脱主体化の過程でもある。個体は、社会の中で学習し、他者との関わりの中で、自己意識を獲得する。かけがえのない個が成立するとともに、そこに他者からの作用が本質的なものとしてあり、真木の言い方に従えば、生きる歓びは、他者に歓びを与えることを、その究極とし、それは、他者から作用されてあることの歓びに他ならないのである。

 私が本稿で論じたいことは、すべて、ここにあるのかとも思う。しかし何か物足りなさが残る。それは何か(注3)。
 真木理論は、従来、実体化されていた個体を、遺伝子の乗り物に過ぎないとする観点を導入することで、一旦、関係性の中に解体し、しかしその上で、あらためて、個体の生成を論じるというプロセスを取る。個体はネットワークであり、関係性の総体であるが、そういうものとして、それは主体化される。そこを論じたのが、真木理論の意義だが、しかし、その際に、遺伝子そのものは、最初から実体化されている。本当は、その遺伝子も、同様の手続きを経て、生成されるものではないだろうか。
 つまり、先に論じたように、遺伝子は、そもそもどこから来たのかということと、遺伝子は、実体として、単独で機能を果たしているのではなく、ネットワークとして役割を担っているのではないかということが、ここではまったく論じられていない。ここで、遺伝子のネットワーク性、つまり遺伝子そのものの関係性を強調したい。そのことで、生物の発生が論じられ、また、遺伝子の突然変異によるのではない、進化の説明ができるはずである。

 もう一歩話を進めたい。真木が、ドーキンスの「利己的な遺伝子」から始めて、主体の確立と他者の必然性を論じたように、私も、ここで、その遺伝子よりも、もっと根源から論じることで、しかし同じように、主体の確立と他者の招来を論じられるのか。

 個体はドーキンスが言うように、遺伝子の乗り物に過ぎないのかもしれない。しかし、その上で、なお、個体の発現を論ずべきである。そして私は、ここでは、その遺伝子でさえ、何か物理的な性質の乗り物に過ぎないと思う。それは、情報だと言うことができる。情報が物理的に出現し、それが存続するために、生命が必要だったと、考えられないか。そしてそれがさらに発展するために、精神が出現したとは考えられないか。
 この情報とは、物質そのものだと言ってみる。それは物理法則に従い、偶然に左右される。しかし、それらを通じて、その本質を発現する。
 田中博は次のように言っている。
 物質、つまり物理的存在の複雑性が高くなると、物理的にいくつかの状態が可能になり、つまり、物理的な多義性があり、かつ、どの状態を取るかは、因果律では決まらず、偶然が決める。そのために、統計的頻度の偏りが生じる。そこに情報が生まれる。その情報がコード化されて、自己組織化される。生命は、そこから、つまり、情報による秩序形成が可能になったレベルで生じるのである。以上は、田中の説を先回りして、紹介した(田中2015, p.187f.)。
 そして物質的な情報は、生物の遺伝子になり、やがて人間の知に繋がる。その間の、連続と断絶を見て行きたい。

 吉川浩満は次回に扱う。ここまで書いておけば、私の問題意識は、大分明確になっているはずだ。

1. 哲学者の三浦俊彦、一ノ瀬正樹、伊藤邦武が、宇宙論を扱い、さらに進化論にも言及している。この3人は、それぞれ哲学的立場を異にし、かつ、私とは、まったく異なる。今回は取り挙げないが、そこのところを明らかにした上で、いずれ言及したい。

2. もうひとり、社会学者の吉田民人をここに入れることもできる。彼の主張する、所有と自己組織理論は、進化論的発想で語られる。真木悠介と並んで、多くの後輩を育ててきた社会学者が、二人並んで、進化論に関心があるのは、注目すべきことである。
 彼はまず、理系の人たちが、宇宙の進化、生物の進化を当然のものとして受け止めているのに、人文社会系の人たちは、社会的ダーウィニズムの弱肉強食の正当化理論があり、生物社会学の遺伝子根源論があって、そのために、進化論に対しては、イデオロギー的な拒否反応があるという指摘をする。これは私もかねてから思っていたことである。つまり私自身、社会的ダーウィニズムに対しては、嫌悪感がある。生物学においてさえ、自然淘汰は、過酷な競争を意味していないのに、それを自然科学に由来する言葉として、正当化を図って、社会に安易に適用するのは、如何なものかと思う。また、遺伝子で、社会的な現象を説明できるとする論をあまりに安易だと、これも嫌悪感に近いものを持っている。
 しかし、吉田の問題意識は、主体性の起源は何かということで、これは進化論的に考えるしかないと言うのである。また、その際に、遺伝情報が、原初的な規則現象であり、それが進化して、人間の規則現象の中に現れると言っている。ほぼ、私の問題意識と重なる。

3. 真木の本は、1993年に、この本が出るとすぐに、私は買って読んだ。そしてその時の感想が残っていて、それが、今回の論文の、基本的な内容となっている。しかし、それは1993年のことで、まだ、田中博や金子邦彦は世に知られておらず、私は、彼らの仕事を見ることができず、つまり、私の直観の裏付けを取ることができず、そこに書いたメモは、ただ単に、私の、希望的な観測に過ぎなかったのだ。それが、20年余りを経て、ようやく、現実的なものとなったのである。つまり、実験結果と数学的記述の両方で、成果が出て来たのである。そのことを、今回、ここに書いておきたい。

参考文献(取り挙げた順)
・真木悠介『自我の起源 -愛とエゴイズムの動物社会学-』岩波書店、1993
・吉川浩満『理不尽な進化 -遺伝子と運のあいだ-』朝日出版、2014
・Dawkins, R., The Selfish Gene (30th anniversary edition), Oxford University Press, 2006,『利己的な遺伝子』日高敏隆他訳、紀伊国屋書店、2006
・Raup, M. D., Extinction –Bad Genes or Bad Luck?-, W. W. Norton & Company, 1991,『大絶滅 -遺伝子が悪いのか運が悪いのか-』渡辺政隆訳、平川出版、1996
・Gould, S. J., Full House –The Spread of Excellence from Plato to Darwin, The Belknap Press of Harvard University Press, 1996, 『フルハウス -生命の全容-』渡辺政隆訳、2003
・オパーリン,A.I.,『生命の起源 -生命の生成と初期の発展-』石本真訳、岩波書店、1969
・Nicolis, G., & Prigogine, I., Self-Organization in Nonequilibrium Systems, -From Dissipative Structures to Order through Fluctuations-, John Wiley & Sons, 1977, 『『散逸構造:自己秩序形成の物理学的基礎』小畠陽之助他訳、岩波書店、1980
・Kauffman, S., At Home In The Universe –The Search for the Laws of Self-Organization and Complexity, Oxford University Press, 1995, 『自己組織化と進化の理論 -宇宙を貫く複雑系の法則-』米沢冨美子訳、日本経済新聞社、1999
・金子邦彦『生命とは何か -複雑系生命科学へ-』東京大学出版会、2009
・——  Life : An Introduction to Complex Systems Biology, Springer, 2010
・田中博『生命 : 進化するネットワーク -システム進化生物学入門-』パーソナルメディア、2007
・—–  『生命進化のシステムバイオロジー -進化システム生物学入門-』日本評論社、2015
・木村資生『分子進化の中立説』紀伊国屋書店、1986
・吉田民人・鈴木正仁編『自己組織性とはなにか -21世紀の学問論にむけて-』ミネルヴァ書房、1995

(2)へ続く

(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x2301,2015.08.20)