空海〔即身成仏〕に関する〔身体知〕的考察

石塚正英

 
はじめに
   論題に記されている〔身体知(bodisophy)〕のうち「知(sophy)」の部分は、通常なら身体でなく頭脳・精神に関係する。これはギリシア語由来で、内容としては賢明や知性、智慧を含む頭脳知(ソフォス、σοφός)である。〔哲学(philosophy)〕はその文脈で知られる「愛知(知を愛す)」といった複合語である。だが、それは文明的な概念であって、古今東西のいずこでも通用するわけではない。「知」はそもそも、喜怒哀楽とかを感じ享受する身体なくして存在できない。身体と無関係に開発された人工知能(AI)は、情報・知識を処理できても、身体知ではない。歴史や文化に培われ言語化できない内実まで複合的かつ有機的に兼ね備えた術語・概念である〔身体知〕を、私は長年にわたって討究してきた(☆01)
   そのような討究テーマの一つに古代インド思想、とくにヴェーダ文化がある。太陽神インドラを讃える詩歌『リグ・ヴェーダ』を筆頭とする精神世界において人々は、抽象神(インドラ)を崇拝する宗教文化の中に自然神(太陽)を崇拝する儀礼文化を潜ませていた。古代インドにおいて、叡知(prajiñâ, Weisheit, sagesse, wisdom)は、ユダヤ・キリスト教のごとき教祖・教義・教団組織を有する成立宗教を介してでなく、インダス河のごとき先史野生の自然崇拝(アニミズムやフェティシズム)から生まれ、ドローメノン(神態的所作)とレゴメノン(神語的唱誦)によって伝承されてきた。それはギリシア的すなわちロゴス的な哲学でなく、インド的すなわち汎身体的な叡智を構築した。「汎身体」とは、森羅万象に遍く身体が行き渡っている、あるいは森羅万象それ自体が身体として存在している、という概念を指している。その世界では、自然崇拝ないしそれに起因する人格諸神への崇拝は顕在化しつつも、ユダヤ・キリスト教的な超越神・唯一神へと結実しないまま多様化を見せていった。のちにヒンドゥーの神々がさまざまに林立してくるが、それはみな、宗教神(その典型はユダヤ教の神)というよりもインドならではの汎身体的な〔叡智神〕である(☆02)
   その汎身体的な叡智の一類型を、私はゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)すなわち釈尊が創始した涅槃身体の原初的仏教に見いだす。その際、釈尊自身は否定的だったとされるものの方法としての呪術(密呪・密法)にも一定の役割を見いだす(☆03)。さらには、9世紀、中国から日本に密教をもたらした空海(774-835、諡号は弘法大師)の、生身供(しょうじんぐ)を伴う即身成仏論にも一類型を見いだす。生身供とは、1200年もの長きにわたり毎日2回、弘法大師に食事を運ぶ儀式である。その食事を、真言宗総本山の東寺関係者は「お舎利さん」と呼んで親しんでいる。そのような儀礼を指して、私は「原始的」とはせず「原初的」と表現している。前者は文字通りの歴史性を有するが、後者は現代まで歴史貫通的に存在意義を保っているからである。その理解でもって、「原始仏教」をも、ときに「原初的仏教」と表記している。
   そうした確認を為したうえで、本稿では空海の汎身体論に焦点をあてて幾許かの議論を構築してみたい。なお、江戸時代に出羽三山(山形県)の一つ湯殿山などで行者が即身仏となるために死してミイラ化する儀礼、あるいは村人の犠牲となって人柱となる儀礼は、本稿での考察対象とはならない(☆04)
 
1.空海「即身成仏義」を読む
 
   仏教学者の竹村牧男は、著作『空海の哲学』の中で、即身成仏を育む密教思想について以下のように説明している。
 

たとえば、密教が釈尊を開祖とする仏教かといえば、それは微妙な問題となる。たしかに密教は空の思想や唯識の思想などを受け継いでおり、思想的に大乗仏教に多くを負っている。しかし密教においては、釈尊はじつは、根本を大日如来とする曼荼羅のなかの一尊格に過ぎない(☆05)

 
   この引用文には、密教の仏教的性格ないしその概念を捉える上で、きわめて重要な記述が読まれる。①密教は大乗仏教の一部を受け継ぎその影響下にある。②密教において釈尊は開祖でなく、大日如来(Mahāvairocana,毘盧遮那仏)の下位に属する一尊格である。①と②の間に、一つの矛盾がある。①において、密教は釈尊が創始した仏教諸派の一つであると読める。②においては、仏教の開祖である釈尊は密教においてはそうでなく、大日如来こそ根本であると読める。以上の理解を前提に議論を進めると、解脱の境地に至ったとはいえ歴史上の人間である釈尊は曼荼羅すなわち密教世界(宇宙)の主宰者でなく、その一構成員にすぎないことになる。主宰者・教主は超自然的存在圏―私の造語ではメタフィジカル・バース―に存在する大日如来であって、宗教上の根本存在であり、宇宙の絶対者である。私はそれを日本の古神道のような自然的存在圏―私の造語ではフィジカル・バース―に位置づけるのでなく、それを突き抜けた超自然的な存在・理念と規定している。
   ところで、釈尊については解脱の前後で存在圏域を区分する必要がある。解脱前の彼が生きた世界はフィジカル・バース(自然的存在圏)であるが、解脱後の彼が横たわっている存在圏については、私なりにオリジナルを設定している。自然と超自然の中間という意味での「メソ(meso)」を用いて、メソフィカル・バース(半自然的存在圏)と命名している。大日如来(メタ)と解脱後の釈尊(メソ)が一緒に描かれている曼荼羅はその双方を含んでいる。それに解脱前の釈尊(フィジカル)を加えると、そのすべてが右図に収まる。絶対的理念である大日如来は、「法身(dharma-kāya)」ともどもメタフィジカル・バース(a)に存在し解脱前の釈尊はフィジカル・バース(c)に、解脱すなわち即身成仏を果たした釈尊はメソフィジカル・バース(b)に暮らしたから、密教はメタとメソとフィジカルの3圏域を含むわけである(☆06)
   さてさて、ここで議論は早くも佳境にさしかかる。それは、我らが空海のかかわる圏域である。774年、讃岐国というフィジカル・バースに生まれた空海は、ゆくゆくはメソフィジカル・バースにて釈尊の隣に座すことになる。なぜなら、空海は、密教世界にあって835年に入定し弘法大師の諡号を得て即身成仏を達成したからである。釈尊も空海も物質界(フィジカル・バース)に生まれ土臭いままで成仏しているからである。空海作の『即身成仏義』を読むと、以下の記述に出あう。(/は改行)
 

〔引用1〕おたずねしたいと思います。多くの経典や論書では、どれをみても、ひとが成仏するには無限の長い時間がかかる(三劫成仏)と説いてあります。それなのに、いまあなたが、この身このままで成仏できる(即身成仏)というお考えを建立なさいましたが、そのお考えの成立するうえの根拠(憑拠)がおありなのでしょうか。/お答えいたします。秘密の経典(秘密蔵)のなかで、大日如来がつぎのように、即身成仏するとお答えになっておられます。/その経典の説くところは、どのようなものでしょうか。
〔引用2〕『金剛頂経』につぎのようにもいいます。/「誰にせよ、衆生(ひと)が、この秘密の教えに遇(あ)って昼と夜の四時(早晨=朝、哺時=昼、黄昏=夕、後夜=夜半)に、たえず精進したならば、この世にあっては、法身大日如来の最初の境地とされる(初)歓喜地(かんぎち)という宗教的境地を身につけ(現世に歓喜地を證得し)、後生においては、仏にもっとも近いとされる十六の生命(すなわち十六大菩薩のさとり)を得る」と。(『金剛頂瑜伽修習毘盧遮那三摩地法』一巻、金剛智訳)
〔引用3〕「はっきりと知るべきである。行者自身が仏の金剛のごとき身体となる(自身即ち金剛界と為る)のである。行者自身が金剛となれば、心身ともに堅実で、ゆるぎこわれる(傾壊)(きょうえ)ことがない。自分が金剛身となっている(我れ金剛身となる)のだから」と(☆07)

 
   〔引用1〕に読まれる「この身このままで成仏できる(即身成仏)というお考え」、〔引用2〕に読まれる「歓喜地(かんぎち)という宗教的境地」、それから〔引用3〕に読まれる「行者自身が仏の金剛のごとき身体となる」を合わせて解釈するならば、歓喜地とは地上の聖地・楽園なのだろうが、まるきりの地上でもない。それこそ、フィジカル(この世)とメタフィジカル(あの世)との中間、メソフィジカル・バース以外のどこでもあり得ない。密教研究者の佐伯泉澄は『弘法大師 空海百話II』にこう記している。「真如(絶対の真理)は物質界を越えたものではありますが、物質界を通してはじめて悟る事が出来ます」。「真実の法界は物質界を越えているけれども、悟りの仏国はこの世を離れたものではない事」(☆08)。佐伯の言う「悟りの仏国」は、私の区分け(わが造語)によればメソフィジカル・バースなのである。大日如来や阿弥陀如来(Amitābha,無量寿如来)などの世界はメタフィジカルなのだが、密教曼荼羅の世界はメソフィジカルなのである。そこにフィジカル出自の空海が座しても不思議はない。
   くり返すようだが、宗教とは、通常は人間の能力や思想を超えた存在・超越神を信仰する観念・思想なのだが、原初的仏教にはその〇〇神は存在しない。ただし、釈尊死後に種々の超越神が仏教の神体として崇拝されるようになる。それが大乗仏教における大日如来や阿弥陀如来などである。また、釈尊および直弟子の教えを文章化した「経蔵」、修行の戒律である「律蔵」、それらの解説・註釈である「論蔵」などが「三蔵」として集大成されたが、これらも一種の信仰(文字信仰)の対象になっていく。なお、大乗仏教では釈尊自体も釈迦如来(Śākya-muni,釈迦牟尼)となって神格化されるが、上座部仏教では歴史的人間の釈迦のみを信仰対象とした。その際、釈迦はイエス・キリストのような神人(人となった神)でなく人神(神となった人)なので、この宗派は大乗仏教と比べてフィジカル・バースを重視していることがわかる。歴史上の釈尊は呪術を退けたということだが、信徒が個別に係わる呪術まで禁じたわけではない。方法としての呪術は、21世紀の現代まで歴史貫通的な価値と機能を備えているのである。
 
2.空海の仏舎利信仰
 
   空海にとって、生身の人間はそう毛嫌いする対象ではなかったとみえる。四国や近畿の山林での修行は、汗と土埃の入り混じる己が身体を労わって余りあるものだったに違いない。『弘法大師空海読本』著者の本田不二雄によれば、「自然智」という括りで特徴づけられる僧侶の立ち位置である。以下に関係個所を引用する。
 

自然智を得るとは、「後天的な学習によって獲得される『学知』と対照されるような、『生知』すなわち『生まれながらの知』を獲得すること(薗田香融氏)」を意味している。この、生まれながらの知に目覚めるということこそ、実は仏教の悟りの本質であった。ところが、密教以前の日本仏教には、この“体験知”を得る実践的方法論が欠けていたのである(☆09)

 
   「自然智」は、空海が入唐留学を終えて日本に持ち帰った経典を習得する「学知」とは対照的である。「生知」・「体験知」たる「自然智」は、生まれながらの知とはいえ、山野での修行、自然との融合体験を経て自覚され血肉化される。さりとて、ジャイナ教のように身体を傷つけて我が身を苦しめるわけではない。広い意味での体験知・感性知の一つ、からだが覚えている知である。
   ところで、空海が唐から持ち帰った品々―「御請来目録」がつくられ朝廷に献上された―の中に、仏舎利80粒があった。中には輝く一粒もあったという。釈尊の遺骨である仏舎利については、すでに奈良時代に鑑真和尚が我が国(唐招提寺)に持ち込んでおり、平安時代に空海が持ち帰ったものは「東寺舎利」と称している。古代文化史の専門家である河田貞の論文「仏舎利と経の荘厳」には、鑑真和尚によって仏舎利が日本にもたらされて以来の経緯について詳しい説明があり、次のようにその意義が説明されている。
 

東大寺の重源、笠置寺の貞慶、西大寺の叡尊などによって鼓舞されたこの新しい形の釈迦信仰は、前代末における仏像の形式化、貴族化、仏教徒の腐敗・堕落を戒め、奈良時代の旧仏教に立ち帰って、この世の中を釈迦在世の古に復そうという思想に基づくものであったが、それは釈迦の遺骨である仏舎利に直接結縁し、その功徳にあずかることを願う仏舎利信仰となって顕現したのである。舎利荘厳に関わる夥しい遺品もその所産にほかならない(☆10)

 
   引用文の冒頭に記されている重源には、意味深長な呪術履行の逸話が残されている。鎌倉初期の僧である俊乗房重源は、神仏や修行僧への供養をなす「作善」を為したことで知られる。彼は、数度の入宋を果たした後、平重衡の南都焼討で失われた東大寺再建に力添えを願って、伊勢太神宮つまり天照大神に祈願して東大寺に参詣している。奈良の大仏(毘盧遮那仏)と大日如来、さらには大日如来と天照大神とは習合し同体であると観念されていた。いずれも同じ祈願の信仰対象だった。その折り伊勢太神宮は、重源にこう告げたと言われる。「われ近年身疲れ力衰え、大事を成じ難し、もしこの願を遂げんと欲すれば、汝早くわが身を肥やすべし」(☆11)。なんと身体的で世俗的なお告げであることか。伊勢太神宮といえば、20年に一度の遷宮で知られる。神宮の内宮・外宮などの社や神宝、装束を全て新しく作り直す式年遷宮であり、その作法もまた「早くわが身を肥やすべし」に近似する呪術的儀礼である。住居を新たにすればそこに住う人の心身も新たになる。人類学者ジェームズ・フレイザーによれば共感呪術の作法である(☆12)
   その重源は、阿弥陀信仰の霊地である信濃善光寺において念仏の百万遍を成満した際、阿弥陀如来から夢告を受け、金色に光る舎利を「呑むべし」と差し出され、それを呑みこんだ。重源の宗教思想はそうした雑修性(hybridism)を特徴としている。彼は、まずもって浄土信仰の重心を観想念仏から称名念仏へ移した。これは言霊による霊魂強化(レゴメノン)にあたる。さらには数度の入宋経験を踏まえて、新しい仏教の造形文化を中国から移築して勧進活動に機動力を付加した。これは身体による霊魂強化(ドローメノン)にあたる。こうして重源は、阿弥陀如来をはじめ彼が帰依する超越神仏を激しく揺り動かすとともに、ついには仏舎利を嚥下し神仏と合一するというカニバリズムにでた。神仏を物質的・呪術的に体内に取り込むことによる、生身仏の完成である。これもまた、即身成仏の一種ではある。
   鎌倉仏教のダイナミズムは、そのエネルギー源をここに有していた。ときに神仏の夢告を通じて神威を回復する力能をもつ聖者、ときに神名を称えて発声=言霊により神威を獲得しうる聖者、ときに自ら神像を造立し清祓しこれに神威を授けうる聖者、そしてついには、聖骨を呑み込んで自ら神仏に合致しうる聖者。重源はそうした聖(勧進聖、念仏聖)なのだった。己が亡骸を焼く荼毘の火中に仏舎利を光らせた叡尊(1201-90)も、しかりであった。そうした舎利信仰とその儀礼文化を日本にもたらした人物こそ、空海その人だったのである。なお、河田貞前掲論文によれば、9世紀当時、日本への仏舎利持ち込みは合計で12000粒を超えたとのことである(☆13)。ことほどさように、仏舎利は、何らかの由緒さえ添えられれば、信憑性は信仰の深まりとともにいや増し、仏教開祖の釈尊と結縁する最重要のフェティシュ(呪物神)となった。「御請来目録」中の「仏舎利八十粒」は、独鈷杵などの法具と違って釈尊の神霊を宿している。それは修行する密教の求法史上、唯一無二の、紛う方なきフェティシュだったのである(☆14)
   そのほか空海は、如意宝珠を仏舎利に見立て、秘法の本尊とした。昨今、宝珠といえば寺社仏閣や橋の欄干に載っているギボシ(擬宝珠)を連想する。これは文字通り宝珠に範をとっている。元来、宝珠は舎利を収める容器だったから、聖と俗を仕切る結界を設けるのに役立った。宝珠にはそのような習俗があり、空海以後、如意宝珠は仏舎利の代理(象徴)となっていく。「その信仰を弘めていったのは、宝珠が埋められたといわれた高野山や稲荷などを根城にし、全国津々浦々に流れていった僧や聖や行者らであった。そんな彼らこそ、後に民衆に弘法大師の伝説を弘めていく担い手となっていくのである」(☆15)。舎利塔に収納されたものには、仏舎利のほか、サンスクリット語を発音通りに記した陀羅尼(dhāraṇī)・真言(mantra)など、いわゆる呪文もあった。なお、「空海密教の基本的要語解説」(『空海コレクション4』)には、「空海は『般若心経秘鍵』で、陀羅尼は如来の秘密語であるといっている」と記されている(☆16)。「秘密語」とは、サンスクリット語のままの表現のことだろうか。日本でよく知られている「秘密語」は般若心経の最後に書かれている「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃーてーぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそうぎゃーてー ぼーじーそわかー)」だろう(☆17)。ここに添付する般若心経は、2008年に私が韓国南部の海印寺で入手したものである。版木に「戊戌歳高麗國大蔵都監奉勅彫造」と刻まれているごとく、同寺には高麗版八萬大蔵経が収納されている。

 
3.空海思想の原初性
 
   空海が唐から持ち帰った品々の中に、曼荼羅がある。これには2種があって、成立の順からみると、『大日経』に倣った「胎蔵曼荼羅」と、『金剛頂経』に倣った「金剛界曼荼羅」がある。「胎蔵」は大日如来の心を、「金剛」は大日如来の智を、それぞれあらわしている。それをセットにして両部曼荼羅と称している。私見であるが、心は身体(物質)に通じ、智は頭脳(精神)に通じる。「金剛」がメタを連想させるとすれば、「胎蔵」はメソを醸し出している。それに対して、同じく唐にわたって修行し帰国後に天台宗の開祖となった最澄は、メソよりもメタに引き寄せられていた。その点につき、竹村牧男は自著において以下のように記している。
 

平安時代の天台宗においても、特に最澄は『法華経』によって現世のうちに成仏しうることを打ち出している。最澄は、『法華経』がもっとも深い真理を説くだけでなく、円教としての『法華経』の力によって、これに拠る者はたやすく成仏できるのだと考えた(☆18)

 
   最澄の場合、円教すなわち完全無欠の教えである「法華経」それ自体が信仰の対象として神格化されているので、法華経信仰はメタフィジカル・バースの存在となる。仏教は①上座部仏教や空海密教のようなフィジカルないしメソフィジカルな信仰と、②法華経信仰や阿弥陀信仰のようなメタフィジカルな信仰とに区分される。そのうち、①には信仰生活におおいに役立つアイテムがあった。それは五輪塔である。高野山真言宗総本山金剛峯寺には、供養塔として様々な由緒の五輪塔が立ち並ぶ。中には武田信玄や織田信長など戦国武将の石塔類が多く並ぶ。
   通常の五輪塔は日本各地いずこでも、元来は大日如来に関連する供養塔として発展した。上下に五つの部分からなる石塔には、正式なものであれば大日如来の真言「キャ・カ・ラ・バ・ア」が刻まれている。すなわち、上から空輪(キャ、宝珠形)・風輪(カ、半月形)・火輪(ラ、三角形)・水輪(バ、円形)・地輪(ア、方形)である。通常は空風を同石にして、合わせて四石で一基をなすが、ときに一石で五輪すべてを刻んだもの(一石五輪塔)も見かける。塔全体で大日如来の身体を表現している(上から頂・面・胸・臍・膝)。また、この五大は大日如来等を信仰する行者・信徒の身体をも表現すると考えられ、後に五輪塔は行者や信徒の供養塔に転用されるようになっていった。あるいは、水輪に大日如来のほか阿弥陀如来などいずれかの種子一字を刻んで特定の信仰を集めるようにもなっていった。曼荼羅を種字真言で埋め尽くしたものを法曼荼羅というが、それは文字信仰の典型である。密教では、精神的要素である「識」を加えた六大要素が森羅万象ないし大日如来の身体を構成すると考えられている(☆19)。「識」を交えていることからわかるように、密教では五輪(自然・物質)は心を離れない。空海著作『即身成仏義』では以下のように記されている。
 

〔引用1〕この経文について説明しますと、これは自分のからだに五字五大を観じて、法身を自身に実証してから蔓茶羅をつくらねばならないことを述べた部分ですが、臍下の「金剛輪」とは、阿字(あじ)を指し、すなわち「六大」のうちの、地大を指します。「水」「火」「風」は、この経文に書かれているとうりに理解してください。「円壇」とは、「六大」のうちの、空大であり、「真言者」とは、心大、すなわち識大を指します。
〔引用2〕「四大」等の物質に象徴されるはたらきも、真実世界の生命(心大)によって存在するのですから、「心」と「物(色)」は、異なる名前で呼ばれていますが、本質(性)は同じです。「色」はすなわち「心」であり、「心」はすなわち「色」であり、本質的真理と存在現象は、本来一体ですので、たがいにさしさわりもさまたげもありません。観ずる主体(智)と、その対象(境)も、本来一体であり、世界の根本的道理(理)と、それをさとる智慧(智)も、統一のとれた法身の内的一致のうえでのあらわれですから、たがいに何のさまたげもなく自在です(☆20)

 
   〔引用1〕には紛れもなく五輪塔に刻まれた、森羅万象に仏性ありの精神が記されている。〔引用2〕には、「般若心経」でよく唱えられる「色即是空」でなく、「色即心」が強調されている。ここは文字通り、自然(色)と人間(心)の一致が唱えられているのである。その際、仏性を介して、生きとし生けるものの身体は自然と一体であり、相互交流の鎹(かすがい)となっていることに留意したい。そうした側面はアニミズムなど自然信仰の認識と一致している。相違するところは、大日如来のような超自然的宗教性を有するか否かである。
   それから、竹村は前掲の『空海の哲学』にこう記している。「伝統的には、身は聚集とか所依とかいわれる。聚集とは、種々の要素の集まりを意味する。地水火風等、身体は種々の要素の集まりにほかならない」(☆21)。この指摘は、私が長年研究している19世紀ドイツの自然信仰研究者ルードヴィヒ・フォイエルバッハの他我(alter-ego)論に似つかわしい。フォイエルバッハは、こう述べる。かつてキリスト教徒に蹴散らされてしまった古代人の神々、野生人の神々は、キリスト教の神と違って、石塊とか樹木、泉、山羊といった自然そのものである。古代人・野生人は、これら自然神になるほど拝跪するものの、ときと場合によってはこれらを打ち叩きもする。崇拝するが攻撃もし、攻撃したあと和解する。1857年に出版した『神統記』においてフォイエルバッハは述べる。古代人や野生人のもとでは「あらゆる対象が人間によってただ神として尊敬される。この立場はいわゆるフェティシズムである」。「動物に対する尊敬の根拠は動物そのものの中に横たわっていないだろうか?」「神がみを動物的に表象し模写している人は、無意識的に動物そのものを尊敬しているのである」(☆22)。フォイエルバッハによれば、そのような古代人や野生人の信仰は宗教以前のもの、あるいはそこから宗教が派生する根原にあたるものである。動物崇拝も擬人化を前提にしたものではない。その段階では、神と人間と動物(自然)との質的な区別は一つもない。フォイエルバッハにおいては、人間と神との関係はもともと交互的であるもの同士の内的関係であり、ときに人間は神に拝跪するが、ときに神は人間の強請に従うこともある。そうした交互関係は原初的なものであり、フェティシズムと称する(☆23)
 
4.入定信仰の神たる空海
 
   さて、774(宝亀5)年生まれの空海は、835(承和2)年に没する。通常、仏教用語で死亡を入滅と称する。「滅」とは悟りの境地に達した状態を指す。キリスト教の場合、イエス・キリストの「昇天」と称する。昇って行く先が天国だからである(☆24)。それに対して、空海の場合は「入定」と称する。「定」とは永遠の瞑想に入っている状態を指す。ここで「天」は論外として、「滅」と「定」とでは何がどう違うのだろうか。簡単に言うと、じっとして動かず瞑想に入ってはいるが、人格的には死んでいないのである。毎日午前と午後の2回、食事をとる。印を結んで座禅を組んでいるような状態に入ることを指して「入定」と称しているのである。『空海 即身成仏義』著者の金岡秀友はこう言っている。
 

私は、空海が即身に成仏したことは、疑いない歴史的事実であったと信じている。この『即身成仏義』に述べているところと、空海の一生の重要なできごととは、まったく符節を一にしているからである。/たとえば、本書にいう「自身金剛身(こんごうしん)と為る」境地は、宮中の清涼殿において自身を金色の廬遮那身(るしゃなしん)に変えたという伝承に、もっとも端的にあらわれている。金色とは妙色であって、不可変の端厳を指す。空海の本質が傾壌(きょうえ)なき精神性によってつらぬかれ、それが廬遮那仏をひとしい、端正(たんじょう)な肉身となったことを物語っているのであろう(☆25)

 
   空海の即身成仏を、金森は「歴史的事実」としている。それは違うだろう。あくまでも密教的事実なのだ。「金剛身」は密教的に転成した境地である。即身成仏の宗教者はわが身を森羅万象と一致させつつ、それをいわば信仰上の方便としている。方便とは、「到達する、接近する」という意味を有するサンスクリット語「ウパーヤ(upāya)」に由来する。自然信仰者もまたわが身を森羅万象と一致させるが、方便と見なしてはいない。自らも自然の一員(共生者)であり、よって自然とダイレクトに向き合う。歴史的事実というか生物的事実としては、空海は間違いなく死去したのだが、真言密教の宗教世界では、1200年を経過して永遠の生を営んでいる。それはカトリック世界における聖体拝領と類似している。ゴルゴタの丘で磔刑死したイエスは、死後は霊的に生きるにせよ、前夜の晩餐会で、卓上の麺麭と葡萄酒を自身の血肉として食しなさい、と弟子たちに言い渡した。その儀礼つまり聖体拝領は2000年を経て現在も執り行われている(☆26)。両者の違いは、信徒が空海(神的存在)の食事を用意するか、信徒がイエスを食するか、ということである。
   けっきょくのところ、空海の目指す即身成仏とは、佐伯の次の説明にあるごとくなのではなかろうか。
 

仏様を拝むという事の究極の本当の意味は、自心仏(自身仏)を拝む、という事である。自分が「仏」である事を自覚し、仏様らしく仏として生きる事を、お大師様は教えて下さった。/「即身成仏」とは、この身このまま仏として生きる、という意味である。修行をしなくても、お経を拝まなくても、法として自然に金剛薩埵(永遠に生きる仏の子)である(☆27)

 
   即身成仏を私なりに言い換えるならば、密教において生物の一員である人間が生存中に「自心仏(自身仏)」を崇拝することである。だから、即身成仏は、時系列の前半(生存中)をフィジカル・バースで過ごし、後半(入定中)をメソフィジカル・バースで過ごす、ということなのである。繰り返すようだが、メタフィジカル・バースは、密教では大日如来の世界であり、キリスト教では天国(heaven)である。神の子イエスは〔神人〕(人となった神)であり、人間でいる限りメソフィジカル・バースに暮らす。即身成仏もまた人間(肉)の中に神(絶対)が体得されるが、こちらはいわゆる〔人神〕(神となった人)の類である。同じメソフィジカルでも、イエスと釈尊・空海ではベクトルが真逆である。前者はメタフィジカル(超自然)からメソフィジカル(半自然)へ、後二者はフィジカル(自然)からメソフィジカル(半自然)へ、なのである。
   それから、空海は歴史上の釈尊をもって信仰の対象としているのでなく、大日如来つまり法身を信仰の対象としている。大日如来はメタフィジカル・バースに存在する。即身ということは神(大日如来)でもあり人間でもあるという状態あるいは意識を指すのだから、身をもって神を体現する人間空海はメソフィジカル・バースに存在する。そのあたりの区分けは即身成仏の概念確定にとって重要なのだが、中にはけっこう曖昧にしている研究者がいる。たとえば寺田弥吉がそうである。寺田は著作『弘法大師の哲学と信仰』の中で以下のように記述している。
 

〔引用1〕釈尊はその身をもって、ただちに成仏を為しとげた。仏法は、修道と実践にはじまる。わが弘法大師もそれを行じた。のみならずそれの原理化に、努力を傾注している。それにより、その一身に、宇宙万物の根源となる縁起乃至は生起の法を証した。それはじつに、この流転し流動してやまない現実に、絶対が顕現されることを意味するものである。
〔引用2〕まさに大日如来とは、そのような絶対としての光明が、仏格化されたものである。ここに仏格化といっても、それがありのままの「知恵の日光」として、この現実に、釈尊に証されたものであり、さらに大師によって、即身成仏として示されたものである。/もちろんそうした絶対は、この現象界のいかなるものをもってしても、表現ができないし、把握することもできないものである。むしろその反対に、宇宙の一切、かくしてその現象界も、その絶対を欠いては成り立たない義である。それを絶対者の徳と称する。
〔引用3〕さような場合、その絶対を象徴するものとして、かの太陽が見出される。わたしたちが住むこの相対的な現象界において、わたしたちを生命づげ、草木を年長せしめ、かくて明るさと温かさをめぐんでくれるものは、じつにかの太陽であって、それは絶対の慈悲の光を意味している。(中略)それこそが大日如来であり、大毘慮遮那仏である。それを大師が説明した言で示してみると、/「毘慮遮那とは光明遍照の義なり。一灯一室に遍して暗を除き、一日一天に遍して黒を奪う。然れば遍明の名は、諸仏に通す」/それにより、毘盧遮那を絶対の光とすることが理解される。(☆28)

 
   寺田は〔引用1〕で「釈尊はその身をもって、ただちに成仏を為しとげた」としている。それはおかしい。釈尊は解脱あるいは涅槃によってすべての束縛から解放され、不生不滅の境地に至ったが、その境地に大日如来の如き神霊は存在していない。私は大日如来を超越的理念とみる。森羅万象(自然界)の象徴などとはみない。原初的仏教にあっては超越的な神々などありえない。対して弘法大師空海には、釈尊をも生み出した大日如来(毘盧遮那仏、法身)が即身成仏の「仏」として存在している。釈尊とて、なるほど解脱により成仏は果たしたが、その場合の仏とは解脱者それ自体を指しているだけである。寺田自身がこういっている。法身つまり大日如来、「これをわが身に体するところに、成仏の縁起の法が成立する」(☆29)。また寺田は〔引用2〕で、絶対者としての大日如来が①「釈尊に証されたもので」あり、②「大師によって、即身成仏として示されたものである」としている。その際、寺田において②はその通りだろうが、①は違うだろう。むしろ反対に、釈尊は大日如来によって生み出されたのだろう。さらに寺田は〔引用3〕で、空海が絶対を象徴するものとして「太陽」をもち出した、とする。しかし、絶対者は、自然界に存在する太陽そのものではない。太陽は大日如来を象徴しているだけなのである。そこで問題なのは、実物と象徴の関係である。実物を五感で認識できないとき、実物にかわる象徴が意味をもつ。数々の神像が象徴物として考案されてきた。即身成仏においては人間(信徒)の身体が「仏」すなわち大日如来の象徴なのではなかろうか。思うに寺田は、密教が先史文化を宿していることを認識できていない。先史文化については、萌芽的に批評できているだけである。即身成仏の「即身」は文明宗教以前のじつに原初的な文化、あるいは非文明的原初性に即した構えなのである。
   本節の最後に、ここで修験と密教との関係を簡潔に記しておきたい。空海は青年時代から山岳修験の徒だった。空海は山岳信仰=修験道においてこそ神格化されていった。仏教の一派としての密教のゆえではない。高野山は修験の山であって、それと同時に密教に適した風土を有していた、と考えるのが妥当である。主(修験)と従(密教)の関係である。それから、民族学者の五来重によると、空海は「陀羅尼や印の意味、あるいはその起源をきわめようとして渡唐をくわだてたらしい」とされる(☆30)。そうであるならば、空海の好奇心は文明の最先端でなく文明の起源に向かっていたことになる。その推測は私だけのものかもしれないが、本稿の論題「空海〔即身成仏〕の非文明的原初性」にとって、たいへん気になるところである。
 
むすびに
 
   私はこれまで、自然崇拝(儀礼)を先史に起因させ、ユダヤ・キリスト教に典型的な成立宗教(礼拝)を文明に関連させて文明論的課題を調査研究してきたが、ここに古代インド思想を指し挟むことにより、その論旨をいっそう明快に整理できるようになった。これまでの研究の歩みにおいて、私は、古代文明の代表であるインダス文明には、それに先行する先史段階の「プレ・インダス文化」があったとしている(☆31)。インダス文明には、それに先行する先史文化が必ずや存在した。その時代と概念を〔プレ・インダス〕と名づけるとするならば、プレ・インダス文化を土台にしてインダス文明が生まれた。その後インダス文明は移住アーリア人に引き継がれ、両文化の融合としてヴェーダ諸思想が成立した。それを発展的に解体し、あるいは換骨奪胎的に継承して仏教・ジャイナ教が登場してくる。
   そのような諸思想の展開過程で、密教に残存する即身成仏は先史文化に起因するものである。本稿冒頭に記した以下の一文、「太陽神インドラを讃える詩歌『リグ・ヴェーダ』を筆頭とする精神世界において人々は、抽象神(インドラ)を崇拝する宗教文化の中に自然神(太陽)を崇拝する儀礼文化を潜ませていた」は、この文脈にあるわけである。その際、先史に起因するプレ・インダス文化を、私は〔文化の第二類型〕とし、文明期に至ったインダス文明を〔文化の第一類型〕としている(☆32)。原初的仏教の開祖である釈尊や真言密教の空海は、歴史の底流に潜む〔文化の第二類型〕に惹きつけられたのであり、大乗仏教の開祖たる龍樹(Nagarjuna、2世紀)などは明らかに〔文化の第一類型〕に育まれた人物だったのである。
   ところで、平安初期に即身成仏を唱えた人物として、空海のほかに最澄がいる。けれども、彼ら二人の間には、橋渡しの困難な懸隔が横たわっていた。密教を大乗仏教から相対的に切り離し、即身成仏ないし仏舎利を重視する肉体派の空海と、大乗仏教の代表的経典である法華経を密教のコアに据える精神派の最澄では、密教世界の描き方に決定的な相違があったのである。最澄は、法華経を軸として宗教の原初的形態から脱していった。対して空海は、自らの肉体を通して即身成仏を実践してみせる原初的信仰者だったのである。進藤浩司「最澄の即身成仏思想」によれば、最澄は晩年の『法華秀句』(821年)に至って初めて即身成仏という術語を使用した。その目的は「最澄が即身成仏を自宗の優位性の根拠として強調」するためだったし、背景として「即身成仏の内容には宗派により違いがあるけれども、即身成仏思想が、歴史の流れに沿ったものであり、初期天台宗の即身成仏思想の形成が広く他宗を意識して行われたものであったことが窺える」(☆33)。そうであれば、「即身成仏義」に示された空海の立ち位置は、一説によれば「天上天下唯我独尊」と発声してこの世(フィジカル・バース)に誕生したと伝わる釈尊の立ち位置に比肩できるものだったのではなかろうか。
   最後に、私事に及ぶが一言する。実母のキミエは、1924年、越後は旧高田城下の陀羅尼町(現・上越市北本町2)に生まれた。奈良平安の都で流行した陀羅尼信仰に因む町名だった。実家のある北国街道沿いの雁木通りは、これといった災害にも遭わず静かな佇まいを残してきた。母方祖母キクノいわく、明治時代の家業は粷屋だった。近くには、八坂神社(直江津)の神輿渡御に際して御旅所を兼ねた社、越後総社陀羅尼八幡神社が鎮座していた。1950年代後半、八幡さんの夏祭りにでかけ、お神楽から子ども相撲まで、そのすべてが幼い私を不思議な宙夢遊歩にいざなった。とくに、町名の「ダラニ」という呼び名がわが身に奇しく響いた。長じて1990年代、故郷にて学術上の民俗調査に携わるようになって、「ダラニ」をテーマにしてみたくなった。その思いは、母と祖母の実家がとうに失われたわが後期高齢の今日に至り、はからずもこのようにして実現することになった。
 

01 2001年、私は、当時所属していた東京電機大学理工学部の研究振興会から特定研究費の配当を受け、課題「身体をめぐる主客コミュニケーション論―subjectとしての身体objectとしての身体」の研究に着手した。その成果をも踏まえて取りまとめた術語〔身体知〕に関しては、以下の拙著を参照。『身体知と感性知―アンサンブル』社会評論社、2014年。
02 本稿の議論とは直接の関連はないものの、インドの伝統文化を押さえながら巧みに現代文化を解説している文献を記しておく。宮崎智絵『インド沼―映画でわかる超大国のリアル』集英社インターナショナル、2024年。
03 仏教学者にして学僧の勝又俊教は、「空海以前の密教」(大法輪閣編集部編『真言密教とマンダラ』大法輪閣、1998年、10頁)において、呪術に対する釈尊および最初期仏教の態度を次のように記している。

密教の素材はヴェーダの宗教に求められる。その後、原始仏教の成立時代において、仏陀が特に世俗の呪術や密法を禁止したことは阿含経や律蔵の中に見られるが、仏教教団の発展に連れて、信者の中には呪術や密法を好む傾向もあったので、仏道修行にさまたげとならないような治毒呪・治歯呪などを認めるに至った。/かくして次第に密呪を重視し、それに信仰の基礎をおく密教経典の成立を見るに至り、部派仏教から大乗仏教の中期時代までには、かなり多くの真言密呪の経典が成立した。

   はたして釈尊は呪術を根っから嫌ったのだろうか。彼が直面していた旧態依然たるそれを嫌っていただけなのではなかろうか。呪術を呪法とか魔術とかに言い換えたりすると、何か特定のものを指すように聞こえるが、古今東西の諸宗教において、方法としての呪術をまったく用いない教団・宗派があっただろうか。私は、呪術を歴史貫通的な儀礼の一種、一側面と思っている。宗教的な要素を拭えば技術と称して差し支えないと思っている。詳しくは以下の拙稿を参照。「呪術の意味と効力・呪術と科学・自然を制御する呪術」、石塚正英『フレイザー金枝篇のオントロギー―文明を支える原初性』社会評論社、2022年、第1章。
04 即身仏、人柱儀礼については以下の拙稿を参照。「神話の意味・神話世界の母神的性格」、石塚正英『フレイザー金枝篇のオントロギー―文明を支える原初性』社会評論社、2022年、第4章。「〔講座〕猿供養寺の人柱伝説―スケープゴート」、石塚正英『原初性漂うハビトゥスの水脈―量子世界・地中海・ゲルマン・クルド』社会評論社、2024年、第15章。
05 竹村牧男『空海の哲学』講談社、2020年、77頁。
06 「メソフィジカル・バース」に関する詳細については、以下の拙稿を参照。「量子世界は半自然世界(メソフィジカル・バース)である」、「量子力学という科学の非科学性―〔メソフィジカル・バース〕の提唱」、石塚正英『量子力学の陰日向―文明を支える原初性』社会評論社、2025年、第1章、第4章。
    ところで、寺田弥吉『弘法大師の哲学と信仰』(太陽出版、1971年、134頁)には、私の提唱する〔メソフィジカル・バース〕と似通った議論が示されている。以下に引用する。下線と( )内は引用者の挿入。

およそ世界の諸宗教は、例外もなく絶対者を対象にしている。それに対するわたしたちの態度には、三つあると考えられる。そのなかの一つは、絶対者をかりに想定して、それをまったく人間から、超越してしまったものとすることにある。たとえてみると、キリスト教の「神」がそれである(メタフィジカル)。ところで、さような絶対の超越者に対しては、人間自身がそれに到達することを、不可能と見なければならない。でなければ、超越者ということはできないわけだ。その二は、相対である人間と、絶対者との間に、つながりがないわけではないけれど、後者はどこまでも、前者が歩みをつづける目標にとどまるのであって、あたかも到達のできない究極として、仰ぎみる立場である(メソフィジカル①)。それはたとえばカントの哲学に見出されるように、道徳的立場からする絶対者乃至神の見方に類する。前記の隔生成仏説に近いそれであり、相対と絶対とが対時している。/ところが第三は、第一と第二の立場から大きく転回して、絶対そのものをこの現実に、そしてこの身に、具現する道である。現実即絶対、現象即実在、現身即成仏の立場であり、相対に絶対を証す態度を意味する(メソフィジカル②)。

   引用文中の挿入の内(メソフィジカル①)を除くと、寺田の議論は私のそれに近しいと言える。
07 現代語訳「即身成仏義」、金岡秀友『空海 即身成仏義』太陽出版、1985年、50頁、52頁、54頁。
08 佐伯泉澄『弘法大師 空海百話II』東方出版、2009年、19頁、20頁。
09 本田不二雄『弘法大師空海読本』原書房、2002年、105-106頁。
10 河田貞「仏舎利と経の荘厳」、『日本の美術』280号、1989年、40-41頁。
11 中尾尭『中世の勧進聖と舎利信仰』吉川弘文館、2001年、63頁。
12 フレイザーの共感呪術および伊勢神宮の式年遷宮に関しては、以下の拙稿を参照。「大嘗祭における呪術性の再検討―折口・フレイザー・ド=ブロスをヒントに」、石塚正英『フレイザー金枝篇のオントロギー―文明を支える原初性』社会評論社、2022年、第16章。
13 河田前掲論文(34頁)には以下の記述が読まれる。

とりわけ注目されるのは 『円行詰来目録』中に記載される仏舎利三千粒の内訳である。一百粒は円行が長安の青龍寺に住する義真から、二百粒は中天竺三蔵難陀から付授されているが、九割を占める残る二千七百余粒は、ことごとく霊仙大徳の弟子から付授されたものという。霊仙は興福寺の僧で延暦二十二年(八〇三)に遺唐留学生となり、同二十三年最澄・空海らとともに入唐、五台山滞留中の天長年間、同地で非業の最後を遂げた。在唐期間は二十余年の長期に及ぶが、その間彼は留学期間の延長を願い、それを認めてくれた国恩に報いるべく一万粒の仏舎利を若干の仏典類ともども潮海国優を介し朝廷に献じている。やはり霊仙の収集になると考えられる請来目録記載の二千七百粒を加えれば計一万二千七百余粒。一僧侶の収集としてはまさに空前絶後の厖大な数であるが、それはまた仏舎利収集にひたむきな情熱をかけた入唐学僧達の不退転の決意を示しているといえよう。

14 呪物(フェティシュ)の歴史文化的重要性やその性格について、詳しくは以下の拙著を参照。『フェティシズム―通奏低音』社会評論社、2014年。本田不二雄によれば、「なかでも金色の一粒を含む仏舎利八十粒は、仏の呪力を凝縮した重宝と見なされる」。前掲書、177-178頁。
    また、民間習俗としての「骨嚙み」について、酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』第一書房、1987年(346頁)から少々引用する。

死という悲劇的な要素を、少しばかり意味を加えて希望的な状況に置きかえ、これを自己所有しようというのが私の考える骨嚙みである。・・・琉球列島ではとくに骨嚙みの伝承が濃厚で、いきおい本項の主題として登場するわけであるが、もちろんこの伝承は日本内地の各地方に分布している。この骨嚙みの若干変形したとみられる枕飯の共食、これは忌の飯といって忌まれる一方では、自らすすんで食うことを良しとする例があり、四十九日の忌明けにも、死者の身体の各部分にたとえた餅を食う例もある。さらに人間になぞらえて、獣肉などが葬儀に共食されることも注目してよい。

15 同上、262頁。
16 空海著『空海コレクション4』筑摩書房、2013年、563頁。
17 般若心経の原文と読みくだし文については以下の文献を参照。玄侑宗久『現代語訳 般若心経』筑摩書房、2006年、206-209頁。
18 竹村牧男、前掲書、98頁。
19 私は1990年代を通じて、新潟県と長野県を中心に民間信仰のフィールド調査を継続したが、五輪塔調査もその一つに入っている。詳しくは以下の拙稿を参照。「石の民俗文化誌または神仏虐待儀礼」、石塚正英『儀礼と神観念の起原』論創社、2005年、第5章。
20 金岡秀友『空海 即身成仏義』太陽出版、1985年、96頁、104頁。
21 竹村牧男、前掲書、178頁。
22 L. Feuerbach, Theonogie, Ludwig Feuerbach Gesammelte Werke, Bd. 6, hg. v. W. Schuffenhauer, Akademie-Verkag, Berlin, 1969, S. 201, S. 366.
23 原初的信仰のフェティシズムについて、私は以下の拙著で縷々説明している。『フェティシズムの信仰圏』世界書院、1993年。
24 イエスは昇天したが、母のマリアは神を生んだが、マリア自身は神ならぬ人間なので中途半端である。マリアの場合は、自力で天国に昇ること、つまり昇天はできず、昇天させてもらうことになるので、「被昇天」と称される。
25 金岡秀友、前掲書、3-4頁。
26 聖体拝領については以下の拙稿を参照。
27 佐伯泉澄、前掲書、41頁。
28 寺田弥吉、前掲書、145頁、157-158頁、160-161頁。
29 同上、138頁。
30 五来重『空海の足跡』角川書店、1994年、56頁。
31 拙稿「リグ・ヴェーダの歴史知的討究―プレ・インダスの提唱」、石塚正英『歴史知のオントロギー―文明を支える原初性』社会評論社、2021年、第3章、参照。なお、私は文化と文明を使い分けており、前者を先史社会や野生社会に関連させている。以下の注29をも参照。
32 文化の第一類型は経済学でいう交換価値を有するもの、あるいは高級なもの、先端的なものとしての文化である。「宮廷文化」「国民文化」「デジタル文化」などはこの典型である。文化の第二類型は経済学でいう使用価値を有するもの、あるいは生活習慣・生業としての文化である。「縄文文化」「農耕文化」「漁労文化」などはこの典型である。耕作(cultivation)は文化(culture)と同類語である。第二類型は先史時代から人類文化に備わる、いわば通奏低音である。第一類型はその上にあって文明(civilization)に昇華している。
33 進藤浩司「最澄の即身成仏思想―思想史の観点から」、『印度學佛教學研究』51-2、2002年、15頁。
 
(いしづかまさひで)
 
(pubspace-x13441,2025.06.24)