『あゆみの時間』他 2019/01/20 by Ω No comments 森忠明 漱石の『三四郎』は青年期の退屈の美しさを描いたものだといったのは、たしか河上徹太郎で、”平成の三四郎”というのは講道館柔道のヒーローに与えられた称号 Continue reading →
大人の慢心・子どもの白心 2018/11/25 by 森忠明 No comments 森忠明 子どもは世界をひっくるめて断言できるほどの時空を閲していないし世界を知性化する必要も興味も大人ほどにはない。その子どもの謙抑さ、素身さを無制約者的なプラスと見、文学作法の基点と考えるとすると、 Continue reading →
「童話俗化の問題」 2018/09/27 by 森忠明 No comments 森忠明 昨日、NHKに出演いたしましたが、アナウンサーの明石さんが「森さん、リハーサルお嫌いでしょう」といわれました。しかし私は「いえ、ぼくは、五分毎に考えが変わってしまう男だから、リハーサルはちゃんとや Continue reading →
2DKのかくれんぼ 2018/07/29 by 森忠明 No comments 森忠明 前立腺を煩っている父が、しきりに便所を使うので、ゆっくり用を足せない私は、パレスホテル立川のトイレをしばしば借りに行く。シャワレット付きの伊勢丹のも重宝しているが、開店まで待てないことが多い。 Continue reading →
涙かくしのサングラス 2018/04/21 by 森忠明 No comments 森忠明 都立田園調布高校の数学教師・西潟にしがた泰やすしが拙宅にやってきて、「2学期、文学志望の生徒に講演してください」と言った。ノーギャラのようである。互いに十六歳の春、都立五日市高校で出会ってよりの付 Continue reading →
立川ワールドをめしあがれ -森忠明『タチカワ誰故草』を読む- 2018/03/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 森忠明にとって、エッセイは作者と等身大の人物を主人公にする童話であり、童話は作者と思しき少年を主人公にするエッセイである。どちらも立川 Continue reading →
「薄情息子」と母は言う 2018/02/27 by 森忠明 No comments 森忠明 細江英公氏の〈銀座の乞食の母子〉という写真を見て思いだすのは、五十年前、私が立川二小一年生のとき、通学途中に目にした母子?乞食の姿である。 今の曙橋交差点、NAITO鞄店寄りに黙座していた。母であろう人は三十 Continue reading →
さようならサッちゃん 2018/01/19 by 森忠明 No comments 森忠明 母校立川二小の家庭科教室に集まった五、六年生に向かい、講演をさせてもらったのは六年前か。どんなことを話したのか忘れたが、私に謝辞を述べるべく立った六年生のハンサム君が途中で文句を失念、どぎまぎ状態 Continue reading →
森忠明『ともきたる 空谷跫音録』(翰林書房)を読む 2016/08/22 by 高橋一行 No comments 高橋一行 私は書評を書こう思ったのである。しかしまもなく、それは不可能だということが判明する。森忠 Continue reading →
空谷跫音録(ともきたる)第二回 下男のためのパヴァーヌ――松谷みよ子回想 2015/08/12 by 森忠明 No comments 森忠明 「尊敬してる人物の名前は音読み敬称無しでいいんだよ。だからあなたはモリチュウメイ」。 一九六七年夏の初対面の日、寺山修司はハイティーンの弟子に、どこか憐憫がうかぶまなざしで語った。生意気盛りの私は Continue reading →