てめぇごしらえ考

森忠明

 
   旧臘、古恋人を立川駅改札で見送り、彼女の姿がエスカレーターに消えると同時に私の腹に差し込みがきた。一刻を争う便意である。北口と南口のトイレは遠い。最短距離にある構内のを借りようと判断。
「すみません、モレそうなのでそこの貸してねっ」
   事務所につめていた駅員諸氏に片手をあげて頭をさげ、通せんぼのバーをまたいだ。すると、茹玉子みたいにつるんとした顔の二枚目おにいさんが追いかけてきて、「駄目です、あそこで百三十円の切符買ってください」。にらみながら言った。(おわけえの、そりゃ殺生だぜ)。彼を無視した私は便所に駆け込み危うくセーフ。ほっと一息ついて出てくると、おにいさんは恐い面相で待っていた。「もう貸さないことになったんです。百三十円払ってください」。いい根性だ、と、その時点では胸にぐっと来るものがあった。
「国鉄時代はな、『はいどうぞ』って気持ちよく只で貸してくれたもんだぜ」。腹をさすりながら反論したら、彼は何と応えたと思います?「だからツブレたんですよ」だと。しゃらくせー。
「ソポクレスっつう偉い学者が『人情あるゆえの倒産のほうが不人情で邪悪な勝利より気高い』って言ってんだ。三流成功のJR東日本より一流挫折のほうが上等だってことさ。めっちゃウンコしたい同胞に同情もしねえで、自分たちだけそんな金モール銀モールの立派すぎる制服ひっかけて、勝手に制度規則こしえらえて、つまんねえてめぇごしらえするんじゃねえっ」
   私の剣幕にあんちゃんは頬返しがつかぬたじろぎ。「じゃあいいですよ」。すごすご引き下がった。

   あの日、ひょいと口をついてでた〈てめぇごしらえ〉という言葉は、『立川の方言』(鈴木為佐生氏著・立川市教育委員会発行)の中で私が一番愛用しているボキャなのである。鈴木功(本名)氏は”立川学”の権威。「自分ばかり良くみせる、って意味で、柴崎町あたりで使われましたけど、話し方によっては汚い感じ」等々、くわしく教えてくださったことがある。
   清明心あかきこころや無為自然の反義語だろうその荒っぽい語を、さらに憎々しいエロキューションでやってみると、他者への揶揄や嫉妬をこえて、ある脅威に対する不安や恚恨いこんがひそんでいることがわかる。共同体内の一個体の”きたなき心”が多くの者に致命的な結果をもたらすことがあったのだ。
〈身の伊達に下女が髪迄ゆって遣り〉という川柳や、本をだすことなど〈名聞より出る〉卑しき心と断じた芭蕉ではないが、ダテやバニテによるてめえごしらえが個人レベルでさえ端迷惑なのに、内外の国家レベルの権力亡者たちは、無恥で非情なてめえごしらえ路線を暴走し、地獄駅ターミナルまで行く気らしい。
 
(もりただあき)
 
(『タチカワ誰故草たれゆえぐさ』より著者の許可を得て転載――編集部)
 
(pubspace-6452,2019.03.16)