森忠明
ポプラ社からファンレターが転送されてきた。葉書にボールペン字である。拙著『小さな蘭に――パパの大切なひとたちのこと――』への感想。差出人は和歌山県のMさんという、たぶん中学生の女性。〈あたしは作者の娘さん、蘭ちゃんがとてもうらやましかったです。私の父も、1人で旅立った父も、こんな風にあたしを思ってくれれば、と思います。あたしも、いつか大切な人と結婚して、その人の子供を産んだら、あたしの大切な人たちのことを知ってもらいたい。何故だか解らないけれど『小さな蘭に』は宝物になりそうです。1年後にはどうなっているか解らないけれど。最初の1ページを読んだとき、あー失敗した、むずかしいなぁと思い、蘭ちゃんへの本だと解ったとき、自分勝手な人だと思いました。だけどパワーがあって、何か好きです。幸運、お祈りします〉。そうか、オレって自分勝手な人だったのか。Mさんに無断で『えくてぴあん』に書いちゃうなんて自分勝手だよな。
“私生活の泥は吐かない”を信条とした文芸評論の泰斗・河上徹太郎氏とは正反対に、私がこれまで描いてきたのは自分と身内とタチカワのことばかりで、自己満足作家と貶されても仕方がない。でも、一番好きな思想家のシオランが”神かわが身のほかに論じうる対象など存在するだろうか”と記していて、ちょっぴり救われる。
友人たち、特に実業にたずさわる有産階級?は、私のいない集まりには、必ず私のエゴイズムや非生産性や鼻の下の長さなどを肴にして盛り上がるらしい。いわく「肩書きは『呼吸者』なんて言ってる森の気が知れん」。又いわく「一日十時間以上寝てるなんて信じられん」。又又いわく「弟子は美人しかとらないらしいぜ」
いろいろ言ってくれるものである。まあ、どうでもいいけど、申し開きしよう――私がこうなったのは、祖母森よし及び実母森美枝の教訓のせいであり、長じてからは師匠連のハゲマシとソソノカシゆえなのだ。
立川二中に入った頃、おばあちゃんはのたもうた。「おまえのような男なら、黙ってたって女はほっとかない。養ってくれるよ」。おふくろはかく語った。「寝るほど楽はなかりけり、憂世の馬鹿が起きて働く」
童話作家界のドンだった大石真先生は「奥さんに食べさせてもらえるなんて、文士の理想。森さんは前世で格別善い事をしたんだなぁ」。偉大だった抒情詩人・野長瀬正夫先生も「死ぬまでエンヤコーラの老生とちがい、あなたの美的生活こそ無類の傑作でしょう」
一九六九年。ジコチュー的意思で〈天井桟敷〉初代文芸部長を辞めることに決め、それを告げると、寺山修司は静かに言った。「森忠明の定義は『絶頂でやめたがる男』だね」
(もりただあき)
(『タチカワ誰故草』より著者の許可を得て転載――編集部)
(pubspace-x6517,2019.04.23)